私はジェットコースターのたぐいは、いままで何でも楽しめてこれたタイプである。
だが、ラスベガスにあるとされる東京タワーの高さもあるタワーの屋上から、地上に向けダイブする絶叫コースターだけは絶対に絶対に無理だ。

これを考えた人物は病的なサドじゃないかと疑ってしまうほど、高所恐怖者の深層をついた絶妙すぎるアトラクションである
ここはフリの段階なのでポイントだけを簡潔に述べたい。
高所恐怖症とは自ら落ちる姿をリアルに想像出来てしまうことからの恐怖なのだ。逆にいえば想像力が豊かとも言えるかもしれない。
極度な高度恐怖症な私が断言しよう!
最も怖い落とされ方のシチュエーションは、足をすべらすでも、突き落されるでもない・・・
滑り落とされるなのだ!!その恐怖は言葉に出来ない・・。
高層ビル屋上の絶壁ですべり台につかまっている状況で、その傾斜角度が徐々に上がっていく状況を想像してほしい。
そしてこの絶叫マシーンは当たり前だが、滑り落ちながらも先端で
止まるのである。
お化け屋敷の幽霊は怖がらせても危害は絶対に加えないという保険があるから楽しめるのと同様に、止まるという前提が重要でスリルも生まれるのだ。
だが、その昔日本で
止まらずそのまま滑り落とされるという究極の罰ゲームがあったのをご存じだろうか・・
高所恐怖症の人間にその内容を告げると、人間本来のリアクションを出せるようになるようだ(笑)
↓

そう、その番組とは
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(1989〜1996)である。
数々の修羅場をくぐってきた芸人達でもあの番組は
やらされる事の桁が違がったと後に語り継がれることになるあの番組である。
7年間全19回の放送の中で行われてきた様々なバツゲームの中でも、第10回大会のすべり台バンジージャンプクイズはさらに桁が違ったといえる。
(たけしのお笑いウルトラクイズ Vol2より)タワー屋上の高さ 60m
高さ60mのすべり台につかまっている状態で、形式だけの最終問題
Q, 「現存する世界最大の
両生類は?」
(正解はオオサンショウゴ)
の問いに・・
「
カルーセル麻紀!」
それ両性類w
とこの状況ながら瞬時のアドリブでこれを答えられたダンカンはもっと称賛すべきである(笑)
CCDカメラの配置とその表情を撮るためという撮影者側の理由で、
仰向けで頭から滑り落ちるというさらなる恐怖が襲うのです。
滑り台は徐々に時間をかけながら傾斜をつけ、かつて見た事もないバンジャージャンプが行われたのです。



バンジージャンプ寸前で飛べなくなった人ように、こんなシステムあったらイヤすぎますね。
現在の放送理念でこの行為は通らないような気がします
s.jpg)
星になったダンカン
この後に落ちる予定のないジミー大西もやらされることとなったのですが、
2回目ゆえにインパクトはいまいちでこの放送はやっぱりダンカンでした。
島崎俊郎の日本初の芸能人バンジージャンプと共に忘れてはならないこの時代の放送として、ここに記したいと思います。
- 2008/03/30(日) 06:09:39|
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2007年の出来事をそろそろ振り返っていきたい。
世の中ではいろいろあったが、私は日本アカデミー賞での惨劇を取り上げたい。
南海キャンディーズの山里亮太が相方のバーターながらインタビュアーに抜擢され、その悲劇は起こった。
生放送で日本全国に放送されたこの番組。
(気まずい)空気を感じる事に関しては人一倍敏感な私は、テレビの前で、あわわ・・あわわ・・を繰り返していた。
見逃した方の為にも、私のフィルタを通してカイジ風に描写してみる。
山里のしゃべり初めに音声トラブルで、放送事故のあの映像を10年ぶり観た事からこの悲劇は始まった
松山ケンイチにインタビュー
山里 「(カンペを読みながら)4ヶ月にもおよぶトレーニングを積んで、役作りをして映画に臨まれたということで…」
松山 「えぇ?」
山里 「4ヶ月・・・っていうことなんですけども・・・」(カンペ再度確認)
松山 「え?! 2週間ですけど・・」
山里 「あ・・2週間ですか、えらく短くなりましたね」
ざわ・・
おかしい・・
決められた進行に従ってカンペを読んでいるだけ・・
リハでも確認したアドリブ要らずの安全な橋・・
4か月でもつじつまの合う話を、わざわざしょぼい方に言い直したのか・・
妙な胸騒ぎ・・ 違和感・・
気を取り直し、大沢たかおにインタビュー
山里 「今回は一人三役とのことですが、三役をやるコツは?」
大沢 「え? コツ? コツですか?(半笑い)」
山里 (笑顔も完全に消え、真顔でカンペを確認)
なぜ、そこにひっかかった!
お前の生きている世界は虚無、矛盾で成り立っているはず・・
そんなお前が、なぜそんな軽石にひっかかった・・・!!
大沢 「・・・・(沈黙)」
山里 「…そうですか、どうもありがとうございました」
さわ・・・
さわ・・
なんだ この違和感・・・
まるで異物、畑違いを排除しようという空気・・
場を覆う悪意に満ちた空気
それ以上に背後に感じる2億6千万の冷たい視線・・
その遠巻きにブラウン管から窺って(うかがって)いる男達・・
その黒い期待・・!
単なる視聴者ではない・・・・・。
なんというか・・
もう少し別の何か・・・
人のミスや・・・・、愚かさ、不幸・・
そんな人間を嗤(わら)う笑い・・・・。
考えるなっ!
考えちゃダメだ・・・!
麻痺させろっ・・・!
麻痺させるんだっ!
大御所の山田洋次監督で、この空気を変えてみせる!!
山里 「時代劇にはこだわりがあるんですか?」
山田 「特にこだわりはないですね」
きさまらっ!(俳優陣)・・・・
きさまらっ!(俳優陣)・・・・・・・・
それでも・・・・・・
人間かっ・・・・!?
山里「時代劇にこだわりがあるということで…」
(※パニくり、本来のカンペをそのまま読む)
山田「だからねっ!、こだわりはありません!」
ダメだ・・カンペに頼ろう・・・
そんな気持ちだから足元をみられる・・・
自分を救うのは・・・
自分だけっ・・・・!
何か策・・・突破口・・・・!
勝つための方向性・・・
勝負の羅針盤が欲しい・・・
先輩のくりーむしちゅー上田が「受賞の実感がまだ湧かない」との女優に対し
「KONISHIKI のマラソンより遅いですね」
と、上田さんらしいツッコミで会場を和ませていた
そうだ・・ここ一番でいつもおれを救ってきた鉄板
必勝パターン・・!
ブサイクである強み・・
自虐ネタしかない・・
山里「・・今後僕みたいなのと恋人同士の役とか・・?」
女優「・・・・」
鉄ちゃんも言ったはず・・
黙っちゃダメ! と・・
元U-turnの芸能界を去った方も
解散間際はしゃべらずひたすら笑っているだけだった・・
最も危険な兆候・・! サイン・・!
置きにいった定石こそが、
最も浅はかで危険球・・
結局は偽りの奮起・・・。
似非もいいとこ。
言うなら玩具屋で売っている
安物のロケット花火のような決意
飛び出してそれで終わりという代物
もはや持続の燃料は積んでいない。
どうか・・矜持をっ・・・!!
(2007年 2月06日放送)
「後でビックリするくらい怒られました」という山里。
地上波で初めて「ざわ・・ざわ・・」という生擬音をお茶の間に届けたこの放送をこのブログとしては後世に伝えたい。
- 2007/10/25(木) 22:55:17|
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夏の終りに怪談話でもひとつ
SMAPのドッキリは、なぜあんなにリアル性を追及したものだったのか? 全国に果たして何人がこの部分にひっかかっているのか不明だが、少なくとも私はひっかかっていた。そしてこの疑問を追及することが、「歌舞伎町アンダーグラウンド」の著者のような末路を辿る可能性を承知であえてその危険な領域に踏み込みたい。
この疑問に至った理由には、SMAPに関わる過去の3つのドッキリがある。
・スターどっきり(秘)報告 木村×中居×森 のケンカ
・スターどっきり(秘)報告 ブラザー・コーン×木村拓哉 の修羅場
・夢がMORIMORI プロデューサー激怒
この3つのドッキリに共通しているのは、すべて怒りをテーマにして乱闘に発展するも、種明かししてもそれがリアルすぎて全く笑えないという点である。
スターどっきり(秘)報告 ブラザー.コーン×木村拓哉仕掛け人 ブラザー・コーン その他のSMAPメンバー
ターゲット 木村拓哉 香取慎吾
<大まかな概要>
ブラザーコーンが対談前にSMAPにプレゼントしたはずのリングが無くなる。徐々に不機嫌になっていくブラザーコーンに、彼に憧れていたはずの木村、香取からも徐々に笑顔が消える。最後には木村が楽屋から出ていくコーンに詰め寄り、それを止める中居と乱闘へ
事細かに書くと長くなるので、ポイントだけ書きます。
まずターゲットの木村と香取がコーンに強い憧れを持っていたという前提が重要。徐々に豹変していくコーンへの疑問から怒りへと変わっていく描写がリアルすぎるのだ。その一部を文字起こししてみた。通常のドッキリとは毛色が違うのがわかってもらえると思う。
(〜中略)
コーン「こいつ(木村)なんかさ、飲んでたら芝居の話ばっかするんだって」
木村 「どこで?」
コーン「生意気だと思わない?人気だけで芝居やってさ。「俺はカメラ目線でこうやってるけど、お前だったらどうするんだ?」とかしゃべってるらしいんだよ。」
木村 「誰が言ったんですか!?」
コーン「武田真治から聞いたんだけどさ」
木村 「マジで?」
コーン「なんか人気だけで芝居やっちゃってさ」
中居 「木村さー(コーンさんに) 聞きたいことなんかない?」 ←フォロ役
木村 「な・い・ね!!」
ターゲットを怒らすためとはいえ、非常に危険球の攻めである。楽屋を蹴り荒らし出ていくコーンに「なんすか?あれ?」と詰め寄る木村とそれを止めに入った中居が乱闘となり、映像が途絶える。再び戻ってレポーターきりこが登場するも場は収拾がつかない状況に。木村の徐々に笑顔から鬼神へと変わっていく表情は彼の出演作のどのドラマよりも視聴者を釘付けにする迫真の表情であった。さあ、一体誰がこれを笑うというのだろうか?決して見せてはいけないアイドルのリアルドキュメントである。
まずブラザーコーンがうますぎたのだ。大まかな流れは決まっていたとしても、雰囲気作りや細かなセリフはコーンのアドリブだったと思う。本当の親友である武田真治の名をさらりと出す辺りが絶妙で、銀行強盗ドッキリをニヤニヤ観ているのとは訳が違い、その緊張感がお茶の間まで届くのだ。スタジオに戻った後の「コーンさんは本当はすごくいい人です〜」のフォロがお茶の間にむなしく響いたのは、コーンの迫真の演技力かただの素かを褒めるべきだろう。
「夢がMORIMORI プロデューサー激怒」については音松くん、荒井P収録止めると断片的にしか記憶がないので、情報をつかみ次第追記したい。
そして今回のメインであるのが
スターどっきり(秘)報告 木村と中居の喧嘩どっきりである。仕掛け人 中居、木村
ターゲット その他のSMAPのメンバー
<台本に書かれていたであろう
本来の概要>
中居がリハに遅刻してくるも終始逆ギレ態度。木村と乱闘になりその様子をうかがう他のメンバーの様子を隠し撮り楽しむというもの
このどっきりは事件だったといっても過言ではない。皆さん観た事を前提に話をすすめさせてもらうが、このケンカはビール瓶で頭を割るという演出まであり、乱闘を超えたものであった。そして何が事件だったかというと、ターゲットの森くんである。稲垣や香取が隅で固まっているのに対し、ビール瓶で木村の頭を振りぬいた中居に対して
軽快なステップを踏みながらシャドーボクシングで威嚇し始めたのだ。その時歴史が動いた(笑)
正直、こんな衝撃的な方向へ変換していくドッキリを私は知らない。ある意味殴り合いになるよりも衝撃的なシーンだった。SMAP内の微妙な年齢差、人間関係が垣間見れるのがこのシャドーボクシングだったのだ。この時の森の姿は後ろ姿しかうつしだされておらず、その森の目を唯一見た仕掛け人である中居は「あの時の森はマジ怖かった。マジで殴られると思った。」と後日談で語っている。
「メンバーでケンカをしたことは一度もない」とアイドル的回答を言い続けてきた自らの殻を良い意味で破った瞬間でもあった。
思い出してほしい。この当時のどっきりにおけるアイドルの位置付けを。光GENJIが寝起きドッキリだったりコラ!おじさんのショートドッキリで誰も傷つかないドッキリ中心だったり、中森明菜がスキャンダルに見舞われると強盗ドッキリでの涙で視聴者の同情を誘うなど、どっきりとアイドルには蜜月の関係があったのだ。
では製作者側はこのSMAPの偏ったドッキリに何の意図を考えていたのか?
その答えを私はSMAPの男闘呼組(おとこぐみ)化を狙ったのではないかと思う。
SMAPはジャニーズ史上唯一(当時)デビュー曲で1位を取る事が出来なかったグループである。初期はスポーツを前面に押し出すも光GENJIの圧倒的人気もあり、一時は初登場オリコン10位内も危うい時期があった。光GENJIのキャッチコピーが、“超新星からのメッセージ”と王子さまである事に対して、男闘呼組はその名の通り「闘い呼ぶ男達」であった。実際に事務所と闘いを起こし人気と裏腹に短命に終わった男闘呼組であるが彼らが解散した年に、それまでの「笑顔のゲンキ」「負けるなBaby!」といった路線から「 $10」をリリースし、翌年に念願の1位を取得している。その同時期に行われていたのが、このSMAPのリアルどっきりなのだ。これは偶然なのだろうか?
目をそらしたくなるほどのリアルさを追及したドッキリをあのジャニーズが検閲をかけずあえて放送したその裏に、
SMAPの仲良し6人組から
闘を呼ぶ男達への事務所側のシフトチェンジがあったのではないのかと思ったりもします。
その意図が成功したのかどうかはわかりませんが、結果的にアイドルのドッキリの常識を覆した事が、その後のアイドルなのに熱愛宣言や子持ちのアイドル、司会ができるアイドルといったこれまでの枠にとらわれない老若男女問わす愛される国民的アイドルのポジションをつくるキッカケになったのではないかと考えます
- 2007/09/03(月) 22:18:08|
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折口会長の連日のお詫び行脚の様子を見ていると、しばらく雲隠れしていた時に、数年前のまだ生き生きしていた折口氏の映像がずっと流れていたせいか、今のその死んだ目が強く印象に残る。
どんな心労が重なればあんな目になってしまうのかと、朝の満員電車で高度圧縮されながらボーと考えていたが、ふと正面の窓ガラスに目をやると、そこに折口氏と全く同じ目つきの自分がいた。ああ、そういう事か・・人は覇気を無くすとあんな目になるらしい。意外と近くに答えはあった。
折口氏といえばジュリアナ東京の仕掛け人として、バブルを象徴する映像と共にその経歴を紹介されることも多い。地方在住のわたしにとってのジュリアナ東京は、「トゥナイト2」などのテレビでその様子を間接的に見ているだけだった。今で言うヒルズ族のようなその時代を象徴する場所だったと思う。いつか自分もあの場所に行ってみたいと思っていたが、ご存知の通り1994年にジュリアナ東京はその短い幕を閉じた。自分がいざその土地に降り立った時は、その残り香すら嗅ぐ事が出来ない状況だった。
タワーレコードなんて行くと「ディスコ80's」なんてタイトルのアルバムが行く度に新しいのがリリースされている。ディスコ世代の人たちにとってディスコサウンドは、その音楽と共に若き日の踊り明かした自分が蘇ってくるので、金太郎アメのようにいくら同じものがリリースされようとも購入意欲を刺激されるのだ。どうもダンスミュージックというのには劣等感がある。パラパラ、ユーロビートなんてものあったが、知らぬ間に通り過ぎていて、今じゃ竹の子族との区別がつかない。ブレイクダンスは骨が硬いから無理だ。レゲエは髪が痛むからイヤだ。素人がかなり偏った思い込みとひがみで書いているので、許してほしい。
折口氏から始まり連想ゲームのようにボヤいているが、何が言いたいかというと、わたしは
ディスコやクラブに行ったことが全く無い!という事だ(笑)
そしてそれを時代のせいにしようとしているのだ。
踊って楽しむという空間に、ことごとくすかされてきた気がするのだ。最後に踊ったのは中学の頃の山の家でのキャンプファイヤーぐらいだ。ダンスという事に関しては本当に縁がなかった。そのくせ、「フラッシュダンス」は幾度も観たし、荻野目洋子のダンシングヒーローは十八番だ。
踊り明かそうなんてよくある歌詞をカラオケで歌う度に、その経験が無いのでなんだか切なくなる。これは私の生きてきた時代というよりかは、わたしだけなのかもしれない・・。それぐらいの客観視は出来る子である。
ただ学生時代の友人の間でも踊るというキーワードに関しては、ほぼ出なかった。生きてきた時代というよりかは、その時に在住していた地域によるものが大きいかもしれない。今後、社交ダンスに興味を持つとは思えぬため、ダンスという事に関しては一生無縁だったことになりそうだ。。
そんなわたしが、唯一ダンスという文化に触れかけたのが、
ダンス甲子園というTV発の一種のムーブメントだった。M.C.ハマー、 C+CMUSIC FACTORYなんてあの番組で使われていた曲を聴くと オヤジたちがジンギスカンを聴いて高揚するのと似た感覚になる。
「制服対抗 ダンス甲子園」のはずが、中期以降は制服などのルールは一切無視され、大本である高校生というルールすら全く守られていなかった事など今となってはどうでも良い。この企画の初期の頃を支えたあのチームについて振り返りたい。
れいかん やまかん とんちんかん本格派ダンスチームはT-BOYS、インペリアル、L.L BROTHERSとそのチーム名も横文字中心にかっこよさを求めたものが多かったが、それゆえに似たり寄ったりで今はほとんどその名を覚えていない。その点、この「れいかん やまかん とんちんかん」は抜群のインパクトに加え、ユーモアセンスも感じられる。そしていつまでも耳に残る韻をふんだ言葉遊び。ネーミングの才を感じずにはいられない。
どんなメンバ−で構成されていたのか、その後の活動と共に振り返ってみたい。
メンバーは全員で4人だったが、一人はその後芸能活動には携ってなく、現在一般人だと思われるので、伏せさせてもらいます。敬称は年齢的に考えても「〜さん」なのですが、当時を思い出す意味でもここでは「〜君」と呼ばせてもらいます。
田中傑幸 (左)
このダンス甲子園の企画初めはL.L BROTHERSをうまくデビューさせるための企画だったという事はL.L本人達も認めている。そんな大会で、れいかん やまかん とんちんかんは第一回・第二回と全国大会
準優勝チームであり、L.Lが既に高校生じゃなかった事を考えると、実質的な優勝であったといってもよいと思う。そしてこのチームにとっての田中君とは杉山清貴&オメガトライブの杉山清貴、いや、1986オメガトライブのカルロス・トシキ的存在であったのは言うまでもない。
そのリーダーである田中君は、その後俳優業に転向し、ドラマで今井美樹の弟役として出演していた記憶がある。私の記憶はそこで途切れているため、その後の作品は何があるのかと少し検索してみたが、一発目に出てきたのが、吉田栄作 主演の「代打教師」(名門高校の落ちこぼれ生徒が集まる“Z組”にやって来た熱血代打教師が〜)のちょい役と知り、検索の指を静かに止め、コーヒーを飲みながら、これ以上の捜査は痛みを伴いそうなので打ち切ることを決意した。現在はプロのダンサーとして、またその名を広めているようだ。
永田雅規 (中)
ミクスチャー系バンド「JINDOU」として(「遊戯王」「ボーボボ」のOP曲を担当)に参加。日本ゴールドディスク大賞のニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞した経歴を持つ。音楽の道へと進み、実績も残している。
小笠原秀春(右)
リーダーの田中君の存在感が大きすぎたせいか、その他のメンバーの顔すら覚えてない方がほとんどだと思うが、小笠原くんはその後、
いいとも青年隊を務めた経歴がある。岸田健作と共に「WithT」を結成し10代目いいとも青年隊として活動。その後の活動は岸田健作の今の所在すらつかめないのに、小笠原くんの現在を知るのはもっと困難そうだ。
結局、ダンス甲子園のビデオ4本を購入するまで熱を入れたが、彼らの唯我独尊なダンススタイルを真似出来るはずもなく、自分の才能の無さを知るまでに3日とかからなかった。そんな事よりも衝撃だったのは、地方の狭い文化で育っていた自分は、学生服の最先端の着こなしはモヒカン頭の鹿島優みたいな短ラン、ボンタンだとてっきり思っていたのだが、それがとんでもない勘違いだった事をツーブロック頭と細いズボンの東京代表だった彼らに教わった。そう、髪型、制服の着こなしもこの頃非常に地域差があり、そのブレを正す役目も果たしていたのです。
- 2007/06/12(火) 22:25:10|
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先日開催された吉本の芸人が勢揃いする「
LIVE STAND 07」に行ってきました。開催前、チケットがあまりに売れてないと言うのでガラガラの会場を冷やかす目的でチケットを購入しました。
いやいや・・ウソつきました。
発売日初日に飛びつくように購入し、人気のチケットを取れたと興奮していたのですが、後に
発売日初日にたった2枚しか売れなかったという衝撃的なニュースが全国に流れた時、もしかしてそれはオレの事では・・ と嫌な汗をかきました。
さてさて、私の行った2日目は出る芸人も一番人気があったのか、前評判とは別にとても混雑していました。3つの会場で同時に進行されるこのLIVEは、当然観客の動きで人気芸人の度合いがわかってしまうというある意味過酷なものであった。メイン会場ではトップバッターがタカトシで、キングコングへと変わり、3番目に私のお目当てでもあったケンドーコバヤシが出てきた。吉本のお偉いさんが大勢見つめる中、替え歌ネタで「おっぱいを触りたいー」を初っ端に連呼しだし、案の定、子供連れのお母さんを中心に、今まで動きのなかった観客達が一斉に別会場に移動しだすという事態が、このLIVEでの私の初笑いであった。やはり万人には評価されぬも、記憶に残る芸人であった。
それはさておき、普段彼ら芸人を見るときはテレビの前で一人で観る事がほとんどだが、その日来場者は2万人との事でその観客と一緒に芸人達の生LIVEを観ていて気になったことがあった。
それは次長課長、チュートリアルを観ていた時に観客から起きた
笑いとは別のアイドル的な歓声である。テレビの前で観ていた芸人を生で観るわけだから、ある程度のこういった歓声は起きて当然なのだが、この2組はそういう類のものではなかった。どちらもジャニーズばりの男前がいるわけで、それはいたしかたないのだが、彼らがモニターでアップになると会場の到る所からネタが止まるほどの黄色い歓声があがっていた。特にチュートリアルへの歓声は異常で、下ネタを言うものなら悲鳴があがり、他の芸人達とのからみの最中でもお構い無しの歓声があがり徳井さんも他の芸人の手前、応対に困っているようにも見えた。
(誤解があるといけないので、男女問わず大半の客は普通に観ていた事を付け加えておきます)もちろん楽しみ方なんて人それぞれであるわけで、それに私が批判するつもりなど毛頭ない。実際私もチュートリアルが好きだが、彼らの単独LIVEには行くほど熱心でもないし、グッズなどを買ったりもしない彼らに利益をもたらさないただのお笑い好きである。その点彼らのスターダムに押し上げているのはいつの時代も彼女達なのである。
だが熱狂的なファンはアイドルやアーティストにはありがたい存在だが、これがお笑い芸人だと必ずしもそうとはいえない。
この状況をみてわたしは
吉本印天然素材の悲劇を思い出してしまった。
吉本天然素材とは? 1991年9月、吉本興業所属の若手芸人で結成された、ダンスとお笑いをミックスしたユニットでメンバには、ナインティナイン、雨上がり決死隊、FUJIWARA、バッファロー吾郎、チュパチャップス、へびいちごがいた。
このユニットは決して数よせのユニットではなく、かなりの実力派であるメンバーによって構成されていたと思う。しかし、人気の爆発と共にいつからかアイドル化していき、ダンスや歌なども同時に行っていった経緯がある。何をやってもワーキャー起こる観客に乗じてアイドル芸人ユニットとして売り出したい会社側と、ひたすらおもしろい事だけを追求したいメンバーとの間に亀裂があり、この奇跡のユニットは次々と脱退していくこととなる。オチだろうが前フリの段階だろうが、彼らが動けば奇声があがる当時の状況に、芸人を目指す彼らには違和感を感じずにいられなかったようだ。どうも先日の徳井さんを見ていると、天素の絶頂期と同じような状況にいるようにしか思えない。
91年 吉本天然素材よりナイナイが抜け雨上がりも抜けてから一気に失速し、ナイナイ以外全員が長期間にわたってブラウン管から消えるという事態になった。このバブルのようなアイドル的人気沸騰が、ユニットの壊滅と共に彼らのお笑いの実力も評価されることなく埋もれてしまったのだ。彼らの今の活躍をみてわかる通り笑いに関しての実力者達が、この天素バブルのせいで空白の期間が生じたのがなんとも口惜しい。アイドル的熱狂はその歓声が自分達のネタで起きていると芸人達を錯覚させ、そのブームが去った後、そのファンは決して残ってくれないという事である。
芸人のアイドル化は一気にスターダムへと押し上げる反面、こういった悲劇を起こす側面がある。
1年ほど前、次長課長の河本がラジオでこんなジレンマを語っていた。
「お前に食わすタンメンはねぇ!」で人気が出てきましたけど、実際この元ネタとなっているのはジャッキーチェンの酔拳にでてくるオヤジなんですよ。酔拳といえばジャッキー映画でもかなり初期のコアな部類の作品で、これを観たことあるとなると年齢も絞られるし、ほぼ男に限られるはずなんですが、これをみて喜んでくれるのは若い女性のお客さんがほとんどなんですよね。元ネタなど関係なしでTVで何度も観ているうちに興味を持っているだけじゃないですかね。だからこのお笑いブームに甘んじていたら足元をすくわれるんですよ。」
徳井も同期であるブラックマヨネーズに「
オレが男前であることが芸人としてどれだけハンデとなっているかわかるか?お前達の顔が本当にうらやましい」との言葉は彼にしかわからないジレンマであり本音だと思う。
よく「芸人は2度売れないとダメだ」というが、笑い以外でのブレイクは必然的に2度目の壁を高くする。熱狂的なファンは強烈に背中を押してあげる反面、時としてズボンのスソを踏んでいるような矛盾が起きてしまうのです。
- 2007/05/01(火) 17:50:01|
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ブログを書く日は、ドタバタしながら時間との戦いになる事が多い。
先日も、家帰ってからネクタイも外さず勢いで書き上げ、その後、飯、風呂など一通りの事をすますと、時計も既に1時を回り、書いた記事の誤字脱字チェックだけして布団に入ろうと思った。
すると、その記事に一言コメントが付いてるのを見てしまった。もう批判なのか落書きなのかわからない一言コメントで、この手のコメントは残念ながらそんな珍しいことでもないので、いつも通りスルーすることにした。しかし布団に入ったものの、なにを読んでそんなコメントになったのか、自分の書いた記事を無性に読み返したくなった。
しかし、時計を見ると1時半になっている。ブログは仕事ではないわけで、睡眠を優先しないといけない。「鈍感力、鈍感力・・」と暗示をかけるようにつぶやき、布団をかぶった。
だが、それが気になっているのか、なかなか寝れない。まいった・・。結局、読み返すはめとなり、改めて読み返してみると、ますますそのコメントが見当違いに思えた。
最初は丁寧にその批判に応対して書いていたが、時計をみると2時になろうとしていた。たった一言のこのコメントのせいで、こんな時間まで起きる事になってるのかと思うと、最後は結構強めにコメントを返していた。こうなってくると直接関係ない外部要因がますます怒りに火をつけてくるのだ。
次の日、冷静な状態で読み返すと、返信するにも値しない、なんてことないラクガキだとわかった。だが人間怒りに火がつくと、周りが見えなくなっていくものだし、自分でなかなか鎮火はできない。
そんな中、かなり深夜にやっていた「さんまのまんま 総集編」を見て、さんまさんに学ぶ部分が大いにあると思った。
[さんまに学ぶ切り替え力]の続きを読む
- 2007/04/28(土) 07:04:08|
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浮き沈みの激しい芸能界の中でも、中学生からデビューしていた中山美穂の経歴は、主演したドラマ一覧からわかるように大きな波風のないとても安定したものだったと思う。あまりドラマを観るほうじゃないのですが、それこそ小学生の頃から現在の大人になるまで、彼女のドラマの成長と共に育ってきたと言っても良い。
<中山美穂 出演連続ドラマ>
1985年 毎度おさわがせします(TBS系)
1985年 夏・体験物語(TBS系)
1986年 セーラー服反逆同盟(日本テレビ系)
1986年 な・ま・い・き盛り(フジテレビ系)
1987年 ママはアイドル(TBS系)
1988年 若奥さまは腕まくり!(TBS系)
1989年 君の瞳に恋してる!(フジテレビ系)
1990年 卒業(TBS系)
1990年 すてきな片想い(フジテレビ系)
1991年 逢いたい時にあなたはいない…(フジテレビ系)
1992年 誰かが彼女を愛してる(フジテレビ系)
1994年 もしも願いが叶うなら(TBS系)
1995年 For You(フジテレビ系)
1996年 おいしい関係(フジテレビ系)
1998年 眠れる森(フジテレビ系)
2000年 二千年の恋(フジテレビ系)
2001年 Love Story(TBS系)
2002年 ホーム&アウェイ(フジテレビ系)
中山美穂のドラマは、時代と共に大きく3つに分類できる。
アイドル色を強く押し出したお色気たっぷりの10代の頃の作品
月9を中心とした切ない恋愛を打ち出したトレンディードラマ中心の20代前半の頃の作品
シリアス色を取り入れたストーリー重視の20代後半から30代にかけた作品
普通、成年男子ならここで「毎度おさわがせします」「夏・体験物語」辺りのエロい思い出と共に何か書くものだが、少女コミックを隠れて買った事もある私は、あえてトレンディードラマ全盛期の作品である「
すてきな片想い」を取り上げたい。

すてきな片想い(1990年)主演:中山美穂:柳葉敏郎
「逢いたい時にあなたはいない…」も好きだったが、相手役の大鶴義丹と聞くと「オレ達のオーレ!」の黒歴史がどうしても頭からは離れず集中できない為、今回は断念した。
すてきな片想いは月9の中で、「東京ラブストーリー」、「101回目のプロポーズ」と共に「純愛三部作」と括られていた最初の作品であった。このドラマの成功が無ければ、後の作品も無かったと大多亮は語っており、中山美穂は鈴木保奈美に、柳葉敏郎 は織田裕二に、そして相原ゆうは有森也実とその役柄を見事にバトン渡しているのです。
ごく普通のOLが電車の中で出会ったサラリーマンに恋をするが言い出せない。臆病かつ不器用な、切ない片思いを描いた作品なのです。クライマックスになると中山美穂の歌う「かたかた想い JINとしちゃう」と「愛してるって言わない」のサビのフレーズが流れてくるのです。
男の私が片想いに揺れるOLの気持ちをいろいろ書いても気持ち悪いでしょうから、少し別視点で書かせてもらいます。
このドラマの脚本は ヒットメーカー野島伸司によるものでした。
まだ名の売れてない野島伸司はその前年の1989年に、映画「
君は僕をスキになる」という映画の脚本を担当していました。この映画、ストーリーがクリスマスに向かっての男女の4人の恋愛模様を描いた作品で、友情をとるのか自分の想いをとるかといった内容で、これは「すてきな片想い」とほぼ同一のストーリーなのです。
では何故、たった1年で別キャストに変えてドラマ化したのかとの疑問は映画のキャスト陣をみると納得しました。
映画「君は僕をスキになる」
主演、
山田邦子、斉藤由貴、大江千里、キャストを変えて焼き直しをした理由が少しわかった気がします。
といってもこの当時は山田邦子といえば高感度タレントで国民的スターであり、大江千里もこの時代のモテ男でトレンディードラマにひっぱりだこ、斉藤由貴だってモルモン教がどうたらなんて話がでるずっと前の話で、決してミスキャストではなかったと思うのです。
当時、映画、ドラマ共にスマッシュヒットをしたわけですが、近年この時代の映画やドラマが次々とDVD化される現状があり、その2次収益が莫大な金を生む昨今、主演の演者の今の好感度がさきほどの大鶴義丹の例のように、少なからず今の消費者への影響を及ぼし明暗を分けていくのかと思います。
冒頭で書いたように、
大きく凋落する事なく正統派としてやってきた中山美穂ブランドは今も健在で、芸能界を離れ現在フランスに在住しながら休業中の彼女に高感度が急落する事は考えにくいのです。中山美穂のドラマでDVD化されてないヒット作品はまだ数多く存在し、これから先、中山美穂の過去ドラマという名の埋蔵金は、徳川埋蔵金並みの価値があるものとなり、莫大な金を今後も生み出していくと予想されます。
- 2007/04/11(水) 22:15:59|
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バンドブームが一番加熱していた80年後半
その絶頂期の最中に、何故かドラマで俳優デビューをするものがいた。
石橋凌、哀川翔のように後に音楽よりも俳優業の方が確立してしまうケースもあるのだが、この時代のドラマデビューとなった作品は、「なにゆえ?」と、首をひねるような役柄のものが多かったように記憶している。
KONTA (バービーボーイズ )
愛しあってるかい! (フジテレビ 1989年 10月16日〜12月18日)
(陣内孝則、柳葉敏郎、小泉今日子)
学園ラブコメディで美術教師役を熱演した。我々のイメージしていたあのコンタが「愛しあってるかぁ〜い?」「イェ〜イ!」と掛け声をかけるその姿に目を疑ったものだ。自らのイメージを壊すという意味では成功だったのかも知れないが、イメージを壊す必要性はあったのどうかは、誰にもわからない。
宇都宮隆 (TMネットワーク)
LUCKY! 天使、都へ行く(フジテレビ、1989 10月19日〜12月21日)
北海道の田舎で育った少女(斉藤由貴)は、
動物と話ができた。たしか馬の話だったとかすかに記憶しているが、宇都宮隆が何の役かも思い出せないほどのちょい役であった。トレンディドラマ最盛期に何故このドラマに出演したのか是非聞いてみたい。
奇しくもこの2作品はフジテレビで全く同時期に放映されていたのです。
EBI (ユニコーン)
若者のすべて(フジテレビ 1994年)
このドラマの方向性、役柄という面では、決してイメージダウンとなる様な悪いものではなかったと思いますが、萩原聖人、木村拓哉を尻目にかなり初めの方で植物人間になってしまったと記憶しております。
大槻ケンヂ(筋肉少女帯)
キモチいい恋したい! (フジテレビ系列 1990年)安田成美 吉田栄作
大槻ケンヂがしがないバーテンダーのちょい役だった事よりかは、カルロス・トシキがカルマス皇太子役として出演していた事の方が興味深い。
岡田浩暉(To Be Continued)
もしも願いが叶うなら(1994年 TBS)主演:中山美穂、浜田雅功
3人兄弟役で浜田雅功と共にFLYING KIDSの浜崎貴司も出演していた。
近年では山崎まさよしの奇跡の人(1998年 日テレ) トータス松本主演ギンザの恋(2002年 日テレ)は両方とも裏番組が『SMAP×SMAP』で前者はその中でも健闘を見せたが、後者は完全に潰される形となった。
- 2007/04/03(火) 21:43:54|
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日テレの夜のニュース『NNNきょうの出来事』から、52年ぶりに改定となった日テレの新ニュース番組
NEWS ZERO(ニュースゼロ)
報道番組ながらドラマやバラエティ班のスタッフが製作に携わり、スタッフの笑い声が入ったり、自局キャスターは使わずにタレントがニュースを読んだりと、
その試みの違和感は半年経った今でも未だにぬぐえない。
星野仙一氏は尊敬して止まないが、彼が北朝鮮問題を語るのがどうも素直に耳に入ってこない。川原亜矢子や櫻井翔など彼らなりに新ジャンルに挑戦している努力は伝わるが、独自見解が伺えない原稿棒読みの姿をみていると、地に足が着いてから抜擢して欲しいと思う。
それまでのマンネリを打破すべく、新しい事を挑戦するも何か違う・・といえば、あの番組をどうしても思い出してしまう。
MJ (エムジェイ)-MUSIC JOURNAL- (フジテレビ 1992年〜1994年)
司会 古舘伊知郎、加山雄三、田中律子
夜ヒットやベストテンなどの長寿音楽番組が次々と打ち切られ、新しい歌番組への挑戦としてこの番組は始まった。
しかし、この番組の試みはどうも方向性が間違っていた。
まず司会の古舘の抜擢は、夜のヒットスタジオからの流れで理解できるが、加山、田中は果たしてどういうポジションを求められていたのだろうか? NEWS ZEROのラルフ鈴木や小林麻央のように、違和感を感じずにはいられない。
この番組は毎回アーティストを特集して、番組なりに独自な結論づけを行っていた。
「氷室はギリシャの彫刻」、「チャゲアスは演歌だ」「サザンは放送禁止用語である」「Xはロックの必修科目である」などの荒唐無稽な切り口に視聴者は当然、そのアーティスト(チャゲアス、ユーミンなど)からも批判が集中し番組出演拒否も相次いだ。
Xの特集の際、「試験に出るX」として設問が次々と出され、YOSHIKIが答えるかたちで行われていた。その問いの中で
問:Xを3文字で表すと?
との難問に「
気合い」と答えたYOSHIKIは、さすが大物である。
その後、番組は右往左往を繰り返す事となる
・司会者テーブルが移動式で、最新音楽情報がLEDで流れる。
移動式は別に良いが、LED表示が常に流れるのはなにか集中できない。
・CM時にMC陣の後ろのFAXガールがアップになり、脚を組み替えるという演出
この番組はわずか1年半で打ち切られ、35年間にも渡った夜ヒットなどを生み出したフジテレビの夜の音楽番組の枠を終焉するはめとなった。
この後、またも新しい方向性の挑戦ながら、今度は軌道にのる事となる『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の誕生まで、半年間も音楽番組の不在の空白の期間をつくってしまったのです。
あの頃、MJを観ながらこれなら夜ヒットを復活させてくれないかと切望したものですが、今は「NEWS ZERO」を観ながら、井田由美 や櫻井良子で、落ち着いてしっくりと今日のニュースを伝えて欲しいと心から願うばかりです。
- 2007/03/22(木) 21:39:42|
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M-1グランプリ
この大会でメジャーを駆け上がっていった芸人は数知れず、今やお笑い賞レースの最高峰と呼べるものまでになった。
島田紳助の提案から過去6回行われてきているこの大会も、インフラ設備が確立していない初年度からの数年は、手探り状態で運営が行われていた。特に初年度の2001年大会は、優勝した中川家以外、
全員公開惨殺ショーとなったともいえる。その処刑人は一人一点を与えられた、札幌・大阪・福岡の吉本興業の劇場に集まった各
100人の一般客であった。
トップバッターが中川家という事もあり、一般客の点も200点前後(300点満点)の無難な点で推移していた。
しかし、この空気を
DonDokoDonが一変させる事となる。
山口のモノマネを駆使したネタで会場では笑いも起きたが、一般審査員の点が出た時、彼らは凍りつく事となった。
(札幌:47 大阪:18 福岡:29) 合計94点特に低かった大阪であるが、 DonDokoDonの所属は
東京吉本であった事がひとつの要因となったと思われる。
漫才が文化として根付いている大阪で、彼らのモノマネを主体としたネタは、観る前から結果が出ていたともいえる。結果この日がDonDokoDonとしてのネタをブラウン管で観る最後の日となってしまった。
だが、これはまだ序章に過ぎなかった。
この大会で唯一、関東組みで決勝に残った
おぎやはぎは悲惨と言う言葉では生ぬるい地獄を見る事となった。
おぎやはぎのつっこみも存在しない、スローペースなコント仕掛けのネタは、確かに万人ウケするものとは思えなかった。南海キャンディーズの様にその空気感がプラスに転じれば勢いに乗れるのだが、これはその時の会場の空気に左右される生ものともいえ、彼らはそれを掴めなかった。
そこで叩き出された点数は
(札幌:22 大阪:9 福岡:12) の合計43点点数が出たとたん観客からの悲鳴があがり、かろうじておぎやはぎが苦笑していたのが救いだったが、これが真顔だったら放送事故となっただろう。
2001年度 一般審査員点ハリガネロック 242点(札幌:85 大阪:85 福岡:72)
中川家 233点(札幌:65 大阪:89 福岡:72)
アメリカザリガニ 228点(札幌:57 大阪:84 福岡:87)
麒麟 199点(札幌:64 大阪:82 福岡:60)
ますだおかだ 195点(札幌:75 大阪:52 福岡:68)
フットボールアワー 191点(札幌:62 大阪:83 福岡:46)
キングコング 179点(札幌:64 大阪:55 福岡:60)
チュートリアル 154点(札幌:38 大阪:67 福岡:49)
DonDokoDon 94点(札幌:47
大阪:18 福岡:29)
おぎやはぎ
43点 (
札幌:22 大阪:9 福岡:12)
一般審査員点は初年度のみで、この翌年から観客の点数は排除される事となった。
この処置によりもう一般観客による事故は起きないと思われたが、今度はこの舞台に上がるべきじゃないコンビを決勝の舞台にあげ、大物芸人審査員によって抹殺してもらうという悲劇が翌年に起きた。
この年飛ぶ鳥を落とす勢いだった
テツandトモ がそれにあたる。
黄色い声援と共に動き回る「なんでだろ〜 なんでだろー」のフレーズ
観客のウケと審査員の表情がこれほど対象的だったコンビも珍しい。(ネタはじまり)
トモ 「集合写真をみんなで撮って〜♪ 出来上がった写真を見ると必ずこんなヤツがいる」
トモ 「目が半目になってるやつ〜♪」
ここでテツの顔芸
(会場 小爆笑)
カメラに抜かれる苦悶の表情の伸介

(中略)
トモ 「マークシートで1番が続くと不安になっちゃうのなんでだろ〜」
(会場中爆笑)
テレビで写してはいけない表情になっている島田洋七

トモ「海で昆布のダシがでないのなんでだろ〜」
(会場大爆笑)
「考える人」になっている松本

カメラ割りを支持したデレクターに悪意があったとしか思えないほど、苦悶の表情の審査員の表情が次々と抜かれた。
会場は爆笑であったが、この審査員の表情を観ている一般家庭で笑いが起きているはずもない。
とどめはコメントを求められた立川談志が
「お前らここに出てくるヤツじゃないよ もういいよ・・」 グレートチキンパワーがオンエアーバトルで史上初の玉0個を記録した以来、テレビで芸人が惨殺される瞬間を見届けてしまった。
- 2007/03/09(金) 20:40:04|
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