いつの間にかテレビで映画を放送する際の解説コーナーはなくなり、現在は簡単なナレーターのみとなっている。
DVD、スカパーなど無かったあの時代、テレビで映画を観る機会は今より多く、各曜日の味のある解説者達のコメントが思い出される。
「日曜洋画劇場」 淀川長治氏
「月曜ロードショー」 荻昌弘氏
「水曜ロードショー」 水野晴郎氏
「ゴールデン洋画劇場」 高島忠夫氏
中でも淀川長治氏には
「それでは次週をご期待ください。 さよなら、さよなら、さよなら」水野晴郎氏には
「いやぁー、映画って本当(ほんっとう)に良いもんですね!」と締めくくりに必ず放つ
決め台詞があった。
この
常に固定と思われた水野氏のセリフだが、
実は3段階評価で映画のおもしろさを採点していたというのだ。<評価: 絶賛>
「いやぁー、映画って本当(ほんっとう)に
素晴らしいものですね」
<評価: 面白い>
「いやぁー、映画って本当(ほんっとう)に
良いものですね」
<評価: イマイチ>
「いやぁー、映画って本当(ほんっとう)に
面白いものですね」
テレビ局が推し進める映画をよもやランク付けしてしまうとは、流行りの都市伝説なのかと疑ってしまったが、この件について水野氏は「映画は観る人によって評価は変わるのであくまで参考程度に・・」と前置きしつつ、この微妙な言葉の言い回しの違いでオススメ度を暗示していた事実を認めたというのだ。
非常に驚きの事実だが、それを知ると興味が一点集中されるのは、どの映画に対して評価イマイチの「本当に面白いものですね」を言い放ったかということである。
残念ながらさすがにこれは私でも調べようがない。放映当時たぶん番組関係者も知り得なかったであろうこのメッセージを具体的に追及する事は、パンドラの箱を開けてしまう事態になりかねない。
水野氏が健在である限りは、日テレの保管庫で眠らせておくべきだろう。
ではどれぐらいの割合でこの言葉を使い分けていたのかを、日本全国の人々の記憶にどの言い回しが残っているのかを検索数で調べる事で、実際のおおよその使用割合を算出してみた。
−検索語句ー −検索件数ー −割合-
”水野晴郎 本当に
素晴らしいものですね” 420件
約25%”水野晴郎 本当に
よいものですね” 888件
約52%”水野晴郎 本当に
面白いものですね” 364件
約21%非常にリアルな結果が返ってきた。そして、全て3つ星といった商業的評価ではなく実にシビアな判定を行っていた事がわかる。20年以上続いた水野氏の解説でイマイチが2割もあったかと思うとぞっとする。私の好きだったあぶない刑事シリーズも金曜ロードショウー枠だったが、この2割に含まれていたことはほぼ間違いないだろう(笑)
日テレの金曜ロードショーといえば、ジブリ作品の独占放映権を持っており、またルパンシリーズ、刑事コロンボシリーズなどを繰り返し放映することでもわかるように特定の映画産業と繋がりがある。
こんなシガラミの中、表面では満面の笑みで時間の限り作品を絶賛し、最後の感情を込めて「ほんっとうに面白いですね〜!!」とシメていたのは、
実は力の限り突き落していたかと思うと、背筋が凍る恐怖を覚えてしまいます。
- 2008/06/10(火) 22:37:58|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:3
-
| コメント:14
フライデー襲撃事件
1986年12月9日未明、
ビートたけしが当時交際中の女性に対する記者の取材ぶりに怒り、写真週刊誌『フライデー』出版元の講談社を襲撃した事件である。
たけしに懲役6ヶ月、執行猶予2年の有罪判決が出た事でもわかる通り、人気絶頂の芸能人が集団で暴行で逮捕されるという芸能史に残る衝撃的な事件だったといえる。
一方、講談社側の取材にもかなり問題があり、当時の世論はたけし同情する声も多くみられた。近年はそのまんま東がエレベーター最後に乗り込んだ事で結果先陣を切るハメになったなどお笑いエピソードとして繰り返し話され、
20年という月日がこの事件を軟化させている傾向がある。
もう今となっては軍団の一種のパフォーマンスだったのでは?との声さえあがるほど風化している感があるがそれを覆す、
この事件の本当の恐ろしさを知る、公に出来ないであろうエピソード話があるのだ。まず最初に言っておかねばならないが、この話はどこまで真実かわからないので決して鵜呑みにしないでほしい。
私は過去ラジオで2回、テレビでピー音が入りながら1回と事件当事者からではないが異なる人間から計3回も聞いた事があるので、多少なりとも真実が含まれている話じゃないかと思っている。3回とも大筋は同じだが細かい部分で話が違っていたので、統合してこの経過を追ってみる。
当時の軍団員でこのフライデー襲撃事件に呼ばれなかったのは3人いる
ラッシャー板前・・・入院中
井手らっきょ・・愛人の家にいて連絡つかず
つまみ枝豆・・・
連絡入れず連絡をせずという他と明らかに違う不自然な理由・・・。なぜこの一大事につまみ枝豆氏だけは連絡が行かなかったのか?
それは血の気が昇っていたはずのたけしがメンバーを招集する際に「
枝豆だけは動かすな」と言ったとされるのだ。
たけし自身は「一発殴って終わりにして、みんな(フライデー編集部員も含めて)で飲みに行くつもりだった」と後に語るように、逮捕拘置は予想外の出来事だったのかもしれない。
拘置所で拘束されている状況のたけしが真っ先に行った行動は、禁止されている電話をかけさせてくれないかと必死に頼み込んだという。
その理由も弁護士や家族に電話をさせてくれというのではない。
真っ先に掛けなければならない先はつまみ枝豆氏の家だったというのだ。
核心に触れよう。現在の姿からは想像できないが、つまみ枝豆氏はその昔軍団に入る前は活動派の右翼団体員で逮捕歴もあり、木刀持ってソ連領事館の塀を乗り越えたことなどその逸話は数しれないのだ。
(もちろん昔の話であり、現在はそのような思想は一切ないと思われる)
事件をテレビで知った枝豆は自分が参加できなかった事を強く恥じて、
講談社側の行った記者会見をテレビで彼らの顔をチェックし、その覚悟で刃物を用意していたという。
記者会見中に襲う予定だったらしく、まさに出かけるその時に拘置所からのたけしの電話が鳴り
「じっとしてろ!」の言葉に思いとどまったというのです。
この話が事実ならひとつタイミングを間違えればたけしを首謀者とした殺傷事件へと発展し、マスコミの前で繰り広げられたオウム村井の刺殺事件のような惨劇となっていたかもしれないのです。
急な召集で団員によって温度差は当然ある訳で、そのまんま東のお笑いエピソードの裏に、このようなエピソードがある事を知ることで、風化しがちなこの事件のバランスが取れるのではないでしょうか。
- 2008/04/05(土) 11:06:26|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:2
-
| コメント:7
あまり公に公表されてない事を、今後の為にもきちんとまとめておきたい。
ジャニーズ事務所に続き、吉本興行の退社年表も作成してみた。
<吉本興業 退社年表>1968年
横山ノック 上岡龍太郎 退社
※漫画トリオ結成の一時期在籍
1979年
島田洋七 解雇 会社の反対を押し切って東京行きを決めた為
※吉本に頭を下げて99年に復帰
1988年
太平サブロー・シロー 吉本から独立して東京の芸能プロダクション移籍のため退社
※すったもんだのあげく共に吉本に再入社
同年
木村一八 運転手暴行事件で解雇
※2001年に再入社するも、2003年に再び退社
1989年
横山やすし 度重なる不祥事のため解雇
1991年
竹山隆範(カンニング)、ヒロシ 退社
※吉本興業福岡事務所所属 →ナベプロ →サンミュージック(現在)
1994年
軌保博光(TEAM-0) 退社
※「やりたいことが見つかった」と吉本興業退社
1996年
松本竜助 事業に専念するため退社
2002年
木村政雄元常務 退社
※ヤスキヨのマネージャー でもあり、ミスター吉本と呼ばれた吉本の顔
同年
稲葉貴子 アップフロントへ移籍のため退社
※大阪パフォーマンスドール →太陽とシスコムーン
2003年
テイ・トウワ 契約満期のため円満退社
※今田はナウロマンティック
2005年
岡村 靖幸 契約終了のため退社
※詳細不明
2006年
山本 圭一(極楽とんぼ) 不祥事のため解雇
同年
石原真理子 退社
※2004年から一年半所属
2007年
島田洋七 がばいばあちゃんの利権をめぐって退社
※2度目の吉本 退社
同年
小室哲哉、契約期間満期のため退社
※2001年に入社
同年
木部信彦(ビッキーズ) コンビ解散のため退社
2008年
大西浩仁(ちゃらんぽらん) 画家に専念する為退社
<吉本養成所(NSC)に在籍、もしくは短期間の間所属していた芸人>
スピードワゴン、マイケル、サンドウィッチマン(富澤)、クワバタオハラ、ハチミツ二郎、田中 章(プリンプリン、矢部美幸、ザブングル、鳥肌実、なべおさみ、浜村淳・・・
(注)取り上げたのは一部の方のみで、全てを網羅してはいません。ジャニーズ事務所と大きく異なるのは、解雇・契約満了・芸人引退を除けば、ほとんど自主的退社者が出ていない点につきる。
芸人で円満退社となるケースはほとんどなく、その後の芸能活動に圧力(俗に言う干す)がかかるようだ。
これだけの所属タレントを要し安月給と言われながらも退職者がでないのは、太平シローの一連の顛末が戦々恐々と吉本芸人の間で言い伝えらられているのではないだろうか。
吉本を辞めるとは芸人を辞めるという覚悟がないと離れられないという見せしめになったと思われる。
昨今、日本でも欧米型の転職を繰り返してのスキッルアップがごくごく普通になってきている。
吉本興行は、日本古来の
終身型雇用・年功序列が厳しく守られている一方、年功賃金が存在しない実力主義という、ある種特殊な形態を持った企業と言えるのではないだろうか。
- 2008/03/08(土) 17:30:33|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:3
-
| コメント:2
NWF世界タイトルマッチ後の記者会見(79年)でアントニオ猪木は
「いずれにせよ、このあと、ミスターX、ウィリー・ウイリアムス、
アミン、
そしてモハメッドアリとの格闘技戦に全力で向かっていくつもりだ」
と発言した。
・・・アミン?
その場にいる記者が全員その人物名に固まったとされる。
イディ・アミン大統領という人物をご存じだろうか?

軍人出身の大統領で身長は2mを超え、ボクシングのヘビー級チャンピオンになった経歴を持つ。
軍参謀総長だった1971年に、クーデターでウガンダ政権を掌握。
その後反体制派の国民約30万人を虐殺し、「
アフリカで最も血にまみれた独裁者」「
人食い大統領」とも呼ばれ、
その冷血さから後に「ラストキング」(2006)で映画化されたことでも有名だ。

アントニオ猪木は「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」を掲げ、モハメドアリ戦をはじめとした
異種格闘技戦に挑んだのはご存じだと思う。
その対戦相手も多種多様に渡っていた。
『ウイリエム・ルスカ』戦 (1976年 )≪柔道≫
『モハメッド・アリ』戦 (1976年6月26日 )≪ボクシング≫
『アンドレ・ザ・ジャイアント』戦 (1976年10月7日)≪大巨人≫
『ザ・モンスターマン』戦(1977年8月2日 )≪全米プロ空手≫
『チャック・ウェップナー』戦(1977年 )≪ボクシング≫
『ザ・モンスターマン』再戦(1978年6月7日 )≪全米プロ空手≫
『ミスター・X』戦 (1979年)≪全米プロ空手・覆面格闘家≫
『ウィリー・ウイリアムス』戦(1980年)≪極真空手・熊殺し≫
この経歴の中に、アミン大統領の名が刻まれていたかもしれないのだ。
その対戦発表は衝撃であった。
朝日新聞の朝刊にまでに掲載されたというのだ。
契約内容も具体的に
・ウガンダの首都カンパラの国立サッカー競技場で試合が行われる
・放送権はアメリカのNBC
・猪木のファイトマネーは50万ドル
・レフェリーのアリのギャラは100万ドル
・アミン大統領のファイトマネーは公人なので無し
この契約内容でアミン大統領と合意したというのだ。
仲介人でもありレフリーとして同行するとしたアリが、
「最悪の事態に備え、ヘッドギア、グローブ、防弾チョッキを着てリングに登場する。
また、どちらかでも、違反を犯したら、俺がその場で俺がKОする」
と発言したものだから、普通なら東スポの話題作りとなる話ではあるが、一気に信憑性が高まっていったのだ。
猪木「専門家の情報を総合すると、アミン大統領は実力がある。やる限りは手加減は一切ない。
リングで上がったら大統領とはいえ一人の選手にすぎない。一分でKOする。負ける事は一切考えてない」
この発言からわかるようにアミン側がどれだけ本気だったかはもはや知る由もないが、
猪木側は間違いなく本気で動いていたようだ。
しかし、ウガンダ、タンザニアの戦局が悪化し、戦争中に試合が行われるはずもなく、
この幻の一戦は対戦表明のみとなった。
もし、実現していればアリ戦を超えるインパクトがあったのは間違いない。
後に猪木は「あのときはアリ戦という布石があり、それ以上の話題を呼ぶ闘いがあるとすれば、結局そういった人を選ぶしかなかった。。普通、こんな話のらないけど俺はのっちゃうんだよね。もし、試合やって叩き潰してたら銃殺されてただろうね」
そしてなぜ彼を対戦相手に選んだのかとの問いに
「その頃(アミンは)大量虐殺とかを行なって世界的に非難されていた大統領だったんです。
だから、こらしめてやろうかと思いまして・・」
やはり猪木という人物は常人の枠に収まらない偉大な人物だった。
- 2008/03/05(水) 23:44:46|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
年に一度ぐらいの頻度で、全くどうでもよいある疑問が浮かぶ。つい先日も
「そういえば光GENJIの紫色担当こと、大沢樹生は今もジャニーズに所属しているのだろうか?」
グループを解散するとジャニーズ事務所を退社するかといえばそうでもない。
佐藤寛之(水色)は退社しているが、佐藤敦啓(黄色)は現在もジャニーズ所属である。
光GENJIをもはや色でしか判別出来なくなってきた私だが、この果てしなく今後の人生に生きてこないこの疑問も、
何度か調べているうちにだいぶ詳しくなった。
そこで
ジャニーズ事務所退社年表を作成してみた。
1967年
あおい輝彦(ジャニーズ) 退社
※矢吹丈の声優でもあり、3代目助さんでもあり、スケキヨ(犬神家)でもある
1975年
郷ひろみ 退社
※薄い給料で有名でった当時、若手を引連れバーニングプロへ
1978年
フォーリーブス 退社
※02年に再結成
1983年
川崎麻世 退社
※劇団四季「キャッツ」合格を機にミュージカル俳優へ
1986年
ひかる一平 退社
※金八先生、必殺仕事人などで俳優業をこなすも退社後の活動は不明
1988年
シブガキ隊 ※ 本木 →布川 →薬丸の順に退社
1990年
野村義男 退社
※一身上の都合により
1991年
反町隆史(野口隆史) 退社
※素行不良のため
1993年
男闘呼組※高橋のクビで→前田→成田と退社。現在は岡本のみ
1994年
田原俊彦 退社
※前年に「おれはビッグ」発言
1994年
忍者※志賀(妻子がいる事がバレてクビ) 古川(太っていてダンスについていけない為退社)
四銃士メンバーも全員退社
1994年
光GENJI※大沢、佐藤(寛)がグループ脱退と同時に事務所も退社
95年 諸星(「人間不信になった」と言い残し退社)
02年 山本 退社
07年 赤坂 (覚せい剤所持でクビ)
1996年
森且行 退社
※オートレーサー転向の為
(注)全てを網羅してません。またジャニーズJrとされる方については省いてますこのように多くの退社者が出た事により、最終的に近藤真彦が実質のトップとなった。
少年隊、SMAPに学ぶように、アイドル時期が過ぎた後も息が長く生き延びる戦術が功を奏したのか、
森且行以降、デビュー後に退社するものはほとんどいない。
この年表を頭に入れれば、冒頭のような疑問はもう解消されるはずである。
忘れそうになったら、解散組では岡本健一 、佐藤アツヒロ、内海光司だけはまだ所属していると逆手に覚えると
判断に迷う事はなさそうだ。
関連記事:
吉本興業 退社年表
- 2008/03/03(月) 23:39:02|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:9
DSで漢検のソフトをやっていると、「革新」「慢性」などの
対義語が思い浮かばなかった。
物事の反対の意をあらわす対義語は、その知識も当然ながら
発想力も問われるのである。
そんな対義語を
中山功太のネタからその発想力を学んでみる。
医者もびっくりの回復力 →
ナースもひく程の入院歴ゲレンデがとけるほど恋したい →
海が干からびるほど離婚したい淋しい熱帯魚 →
どんとこい錦鯉 世界に一つだけの花 →
造花まみれ お帰りなさいませご主人様 →
この村から出て行けだるまさんがころんだ →
棒がただそびえ立つルックス重視 →
生きてりゃOK 第一印象から決めてました ←→
最後に残ったのがあなたでした東京タワー、オカンとボクと、時々 オトン →
通天閣 義母とお前と、毎日、義父 「海が干からびるほど離婚したい」や「どんとこい錦鯉」は下半期で一番笑った気がします(笑)
- 2007/11/04(日) 01:25:25|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
先日、NEWS23で「覚せい剤との決別…歌手・
岡村靖幸の生きる道」が放送された。
彼のメディア登場は
尾崎が夜ヒットに出た時のような、なんともいえない気持ちで見守った。
尾崎がもし生きていたら・・と、思うと彼の不器用な生き方で世の中に順応できたとは想像しがたく、
今の岡村のその姿だったかとダブッて見えてしまう。
その本質を知ろうとすればするほど、わからなくなる男 岡村靖幸。
そこで私のVHSに眠る岡村靖幸のメディア出演の一部を文字起こしてみる事にした。
それは1995年〜1998年 フジテレビで放映された深夜音楽番組。
TK MUSIC CLAMPに出演した際のものである。
小室さんがパーソナリティーとなり、小室ファミリーはもちろん、異色の顔触れも多くみられた。その中でも対談リクエストが一番多かったのが、岡村靖幸であったという。
この対談を私は複数回観ているのだが、わざわざ紹介するようなネタ話はない。だが、この一見対極と思われる2人の対談こそが、お互いの見えざる魅力を引き出していると思う。そのごくごく一部を紹介したい。
小室 「ちなみにいくつになった?(1996年当時)」
岡村 「もう
三十なんですよ」
小室 「僕なんてもう
三十七だからね」
※TK)globe「DEPARTURES」華原朋美の「LOVE BRACE」安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』などTK絶頂期
※岡村)90年代に入り表舞台から突如消え、あらゆる噂が飛び交えっていた時期小室 「素朴な疑問なんだけど、これだけ期間を空けたのか?空けざるを得なかったのか?」
岡村 「いい詩が書けなくて。見えるんですよね、人の顔が。「今回まあまあだったじゃん」とか、「今回ちょと手を抜いたな」っていうプロデューサーの顔とか。それが見えたとたん嫌になっちゃって・・」
岡村 「休んでいた期間というか、レコーディングだけの期間は、人に会ったりしなかったし、すごく閉鎖的だったですけど・・こうして小室さんに会ったりとかして、いろんな人に会っていろんなことを思い出したり、悔しい思いしたり「小室さんはいつもヒットチャートに・・うっ悔しい」とかって思いをしたり、「うらやましい」とか「モテモテだろうな」とか思ったり。「俺は悔しくないんだよん」ってフィルターを買ってきて、全て排除してたんですよ。でも、そうすると最悪の人間になっていくんですよ・・本当はそう思ってるくせに、違うフィルターを通すと。」
小室 「TMネットワーク時代とかで、描いてるのと違う形になってリリースされることもあるし、思ってるほどいい結果が出なかったことももちろん何回もあるわけでそういう時は違う道を探すじゃない。大通りを通らないで裏道はないか、とか。でも、僕なんかは、
そこに行っても、すぐまた大通りへの抜け道があったら戻ろうって発想があって、裏道を最後まで行き着くことはないから、戻るんだよね。ただ岡村くんはレコーディングが1〜2年かかるって聞いてたから、どんどん裏道に入っていく人なかって思ってたけどね。だから
最後まで大通りに戻ろうという回路がない人、そんな感じがしてたけどね」
(中略)
岡村 「(レコーディングが終わると)ディスコに行くようになって、やっぱ「ヴェルファーレにも行くわけですよ。あまり行かないですか?」
小室 「年に2回ぐらいかな・・」
岡村 「そうか・・・・。いろいろ考えるんですよ。あそこに小室さんが行ったらギャルはみんな卒倒だろうな・・とかね。だから「お立ち台の左から三番目に小室さんの友達だって」とマネージャーに言おうかとか(自制心と)闘ってますよ。」
小室 「相変わらず変わってないね。全然」
岡村 「(小室さんの勧誘の仕方って)ベルファーレとかに週1ぐらいプリンスみたいに行って、「あの娘、Come on」とか言って、「君デビューさせよう」とか言って、「今晩、僕のホテルにCome on OK? 君デビューね」みたいなプリンス伝説みたいな事が行われているのかと・・」
小室 「もう、やめてよ、そういう事いうの・・。」
岡村 「よく聞くじゃないですか。プリンスの話でそういうの。でね。小室さんのファミリーには、そういうセクシーなギャルがたくさんいるから、そういうもんなのかな?と思ったんですよ。小室さんもそういうのあるのかなと思って」
小室 「言い方を換えれば紙一重なのかもしれないけど、それが本当にあることか、ないかは別にして、そう見えても仕方ないかなと思うけど」
岡村 「ぼくなんかそう思ってました。Hするとかじゃなくて、ベルファーレのお立ち台で気になる娘とか輝いている娘を見つけるのもひとつの手じゃないですか。」
小室 「僕はもうそういう探し方はしてないよ」
岡村 「小室さんついて知りたいことはたくさんあります」
小室 「ぼくよりも岡村くんの方が不思議な存在だと思うけどね」
(1996年 2月7日放送 TK MUSIC CLAMPより)
- 2007/10/23(火) 22:04:22|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:1
-
| コメント:6
化学反応・・・
その組み合わせは多種多様にわたり、酸化、分解、中和などさまざまな反応を起こす。
人間も同じ事が言え、この組み合わせはどうなるのだろう?という期待を持たせる事で、
雑誌の対談などは成立している。
だが、
決して混ぜてはいけない薬品というものが存在する。
例えば、塩酸、硫化リン、ホルムアルデヒド・・
いやいや・・
プラトニウム、濃縮型ウラン・・
こちらのほうがこの人物の
劇物ぶりを的確にあらわしているかもしれない。
松山千春である
彼が10年以上前にヘイヘイヘイにチャンプとして出演した際、
「オレは別格」「美空ひばりと五分」等の発言はインパクト抜群で、その後総集編でこの部分は繰り返し放送された。
だがこのブログとしては総集編では使われないであろう、数々の
危険薬物との化学反応を
我が家に眠るVHSを掘り起こし改めて検証してみたい。
<中和反応>
→酸と塩基が反応して
それぞれの性質を打ち消す反応(チャンプに大物で誰が来てないという話題になり・・・)
千春 「
矢沢も呼べばいいじゃないか。」
(注)もちろん矢沢氏の方が年上浜田 「ヤ・ザ・ワ? それは矢沢永吉ですか?
どんな感じの人なんですか?」
千春 「
似たような感じよ。オレと。」
<脱水反応>
→分子内あるいは分子間から水分子が
脱離することで進行する化学反応
(ドラマの主題歌は歌わないと公言していたのに、主題歌となった事をつっこまれ・・)
千春 「(そのドラマが)へんなトレンディードラマじゃないし・・時代ものでもないし・・竜馬(注釈)でもないし」
(注)当時浜田が主演したドラマ「竜馬におまかせ!」。脚本の三谷幸喜、反町隆史 、H Jungle with t彼らの経歴から抹殺せざるをえない作品となった。千春「坂本竜馬にそんなに不快感はないんだよ。
ただ、竜馬に心酔してる武田鉄矢なんだよ」
浜田 「武田鉄矢って・・・」
千春「
キライなんだよ!オレ。昔からキライなんだよ」
<脱離反応>
→化合物が原子団を
放出してより原子数の少ない分子となる反応
(TRFの音楽をどう思うか?(当時絶頂期))
「
来年いたらお話しましょう」
(小室哲也をどう思うか?)
「
パシリにもならない」
(桑田佳祐は同年代ですよね?)
「
バーカ桑田」
(ドリカムは同郷ですが・・?)
「
吉田美和の後ろにいる男達がバカ」
(大先輩にあたる井上陽水 、吉田拓郎に対し)
「
おい!ちょと勝負しようよ!」 <臨界反応>
→液体と気体の
区別がつかないような状態/事故松本「前ね・・
長淵剛さん来たんですよ。かなり威圧感ありましたけどね」
千春「
オレの威圧感とあいつの威圧感は違うから。 あいつのは
病的な威圧感だから」
最後の劇物の組み合わせは、国内最大級の臨界事故になることだけは間違いないようだ・・
- 2007/10/10(水) 23:05:12|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
先日本屋で書物を探していると、ある本の宣伝文句が否応にも目に入った
鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス
鳴かぬなら 鳴かせてみようホトトギス
鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス
と小さめに書かれたその下に、大文字でその著者の性格をあらわす「鳴かぬなら・・」が書かれてあった。
と、その前に・・
私はこのお題は日本で一番難問だと思っている。バリエーションがありそうで意外と少なく、人の心を討つ文句は出尽くしているからだ。つい先日もフィギュアスケートの
織田信成が「
鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と発言し、寒波と共に本格的な冬のシーズン到来を感じさせてくれたのも記憶に新しい。まともに答えても、おちゃらけてもシラける究極の難問なのだ。その問いにこう書かれていた。
鳴かぬなら 俺が鳴こうホトトギスああ・・一番NG解答である。たぶん過去10万人はそう答えた最もありきたりなものだ。しかし、よく目をやると「俺が鳴こう
!ホトトギス
!!」と、妙に!が多い事に気づいた。
恐る恐る著者に目をやると、そこには
哀川 翔の文字があった。
ちょと休憩・・
哀川 翔をこのブログで扱うにあたって私は気をつけている事がある。彼の取扱いは要注意で、招かざる客がやってきそうな予感をビンビン感じるのだ(笑)先日の布袋の暴行事件では「布袋 最強」などとても素敵な検索ワードで数万人がこのブログへとたどり着いていた。そのキーワードでひっかかってしまうこのブログは大いに問題ありだ(笑)そういったわけでこのブログで哀川 翔のカードをきるのは3回までとしている。そして今日は2枚目のカードをきることにした。
話を戻して・・
その本を開いてみると、居酒屋によくある「親父の小言」のように翔語録があった。
翔、曰く・・
俺には夜がない。昼、昼でダブル太陽よ翔、曰く・・
俺は「裏NHK」って言ってんだよね、Vシネマの事は翔、曰く・・
借金かかえてるってことは、信用して貸してくれる人がいるってこと翔、曰く・・
原始的なことは、絶対負けたくない翔、曰く・・
仕事は来た順。だってそれが誠意でしょ翔、曰く・・
子育ては修行。
今世紀最大の修行翔、曰く・・
「需要と供給」の中を雁首並べて生き抜いてきた翔、曰く・・
気持ちって丸い形してると思わないか?翔、曰く・・
目標はモハメドアリと田中角栄 (引用文献 「翔、曰く」)翔の小言が我が家のトイレに貼られることが決定した・・
関連記事:
実録!平成の世に生きる狩猟民族
- 2007/10/02(火) 22:10:26|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
更新には波風があるのだが、先月はついに3つしか記事を書けなかった。
ブログは、質より頻繁な更新が大事だとわかっているが、どちらも達成できていない。
こうやって星の数ほどあるブログは日々自然消滅していっているのだろう。
だが無理をしてでも続けていく事で得るものもある。
その思う理由は、ナインティナインにある。
彼らの芸人としての魅力は、キレのある動き、芸人らしからぬ努力家というのが一般的だが、
わたしは他ならぬ
継続力だと思っている。
気づけば彼らの現在抱えている番組は恐ろしく長寿番組ばかりだ。
めちゃ×2イケてるッ! 10年9ヶ月
ぐるぐるナインティナイン 13年3ヶ月
ナイナイサイズ! 6年9ヶ月
ナインティナインのオールナイトニッポン 13年3ヶ月
デビューから常に第一線で活躍しているように見えるナインティナインだが、本人達も自ら認めるように決して天才肌ではなく、ダウンタウンと比較され酷評されるという苦難の時期があった。その当時、タレント化していたglobeのKEIKOがダウンタウンの番組で「矢部さんが嫌い。私の方がつっこみうまい」と好き勝手言われる始末で、この時期のナイナイの微妙なボジションがわかる象徴的な出来事でもあった。この放送を生で観ていたという矢部の気持ちを察すると本当に胃が痛い。私はここで間違いなく潰れてしまうタイプだ。この時期の彼らは自分たちの強みをいろいろと模索したのではないかと思う。
浮き沈みが激しいテレビ番組で10年以上継続させるには、幾度となく番組存亡の危機があったはずである。スポンサーあっての番組であるわけだから、多くの視聴者に観られることが大前提である。視聴者に媚びず自分の信じるお笑いを追及し、太く短い終わる番組もある。ナイナイはゴチバトルのようにその軸を大衆向けの方向に時には変えながらも、
とりあえず続ける方向を選んだ。どちらが芸人にとって良いのかは私の知るところではないが、ナイナイはこの選択で30半ばながら他の芸人にはない、
圧倒的な実績を得ることに繋がったのはひとつの事実である。
さきほどの長寿番組の中で、オールナイトニッポンに注目したい。 この記録は40年の歴史を持つこの番組でも、最長記録で現在も更新中なのです。かつてビートたけし、タモリ、私の時代ではとんねるずなどを聴きながら青春時代の夜長を過ごしてきた。
ラジオという媒体は、そのパーソナリティを身近に感じさせる力がある。中島みゆき、松任谷由実などが良い例で大衆の勝手に抱く雲の上の人のイメージを壊すことで、より深いファン層を得ることにつながる。それを13年間続けてきた彼らのチルドレンは日本中の至るところにいて、彼らのテレビ番組を支える土台ともなっている。
芸人の記事を書くといつも荒れるので断っておくが、この記事はナイナイの芸人としての資質を語っているではなく、天才肌ではない彼らの生き残り術を学ぶものである。もちろんそう言いながらも並みはずれた才能を持ち合わせ、それを支える努力がその下にあるのは言うまでもない。
この継続力は意図したものか、結果的に付いてきたのかはわからない。だが彼らの継続力は苦悩と葛藤によって導き出された、彼らのもっとも誇れる才能になったのではないかと思う。
そういったわけで、このブログも初期に半年間もさじを投げた経緯があり、その壁を越えると良い意味でも悪い意味でも新たな世界が確かにあった。何事も3日坊主の私にとって、ナイナイにみた「
継続は力なり」の真偽をこのブログで確かめてみたい。
<芸人に学ぶシリーズ>
さんまに学ぶ切り替え力
ロングバケーションの悲劇
- 2007/08/02(木) 21:21:12|
- 懐かし人物
-
| トラックバック:2
-
| コメント:7
次のページ