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プレイバック 1989年

2006年09月30日 15:38

昔のヒット曲を振り返るテレビ番組、もしくはヒット曲を集めたアルバムは数知れずある。
ただそれは本当にヒットした曲ばかりで最初は確かに懐かしいのだが、
幾度も見ている内に自然と懐かしさはなくなってしまった。

そこでテレビなどで普段スポットの当たらない様なメジャーに成りきれなかった、
でもマイナーでもない様な曲を、私の視点で恐縮ですが振り返ってみたいと思います。
私が中学生になった1989年からスタートして1995年ぐらいまでをめどに書いていきたいと思います。

でわ初回は1989年からスタートです。


1989年度 年間TOP20

1位 プリンセス・プリンセス:『Diamonds (ダイアモンド)』
2位 プリンセス・プリンセス:『世界でいちばん熱い夏』
3位 長渕剛:『とんぼ』
4位 光GENJI:『太陽がいっぱい』
5位 Wink:『愛が止まらない ~Turn It Into Love~』
6位 工藤静香:『恋一夜』
7位 Wink:『淋しい熱帯魚 (Heart On Wave)』
8位 工藤静香:『嵐の素顔』
9位 工藤静香:『黄砂に吹かれて』
10位 Wink:『涙をみせないで (Boys Don't Cry)』
11位 光GENJI:『地球をさがして』
12位 長渕剛:『激愛』
13位 男闘呼組:『秋』
14位 斉藤由貴:『夢の中へ』
15位 浜田麻里:『Return to Myself (しない、しない、ナツ。)』
16位 男闘呼組:『TIME ZONE』
17位 松任谷由実:『ANNIVERSARY ~無限にCALLING YOU~』
18位 爆風スランプ:『Runner』
19位 ZIGGY:『GLORIA』
20位 爆風スランプ:『リゾ・ラバ』


青春真っ盛りだった私はどの曲に対しても思い入れがありますね。
この辺りの曲は今後未来も語り継がれていくでしょう。

でわTVなどでスポットが当たる事は無いだろうが、
記憶に留めておきたい曲たちを、いろんな角度から取り上げてみたいと思います。



「I’M GETTIN’BLUE」  ZIGGY
200608991454.jpg

カラオケが流行りだしたこの時代、ドラマ「同級生」の主題歌となった「GLORIA」は定番中の定番で誰もが歌っていました。そんな状況に飽き飽きしていたですが、誰かがこの「I'M GETTEIN' BLUE」を入れると思わずニヤっとしてしまいます。あ、こいつとは友達になれるなと・・・(笑)そんな曲です。


ドリーミングナウ  AURA
20060102549.jpg
元祖ビジュアル系とでも形容すればよいか不明だが「元気TがでるTV」出身ながらXには溝をあけられる形となった。その後イカ天でブレイクを果たしてこのデビュー曲は初登場8位となりました。それにしても記憶とは恐ろしいもので「バーバラあきただ」がAURA の黄色の人と今日まで勘違いしてました。


「RUNNING TO HORIZON」
「GRAVITY OF LOVE」
「CHRISTMAS CHORUS」   小室 哲哉





TK3部作と言われた同シングル。TM好きな私としては「RUNNING TO HORIZON」のデビューは当時観ていたシティーハンターの影響もあり衝撃的だった。「ねむれぇない ごぜぇんにぃじぃ~」の歌いだしを聴いた時は、「歌うのは得意じゃない」という小室さん言葉が謙虚から来たものじゃない事を悟った。数あるTKの曲でも私はこの2ndシングルの「GRAVITY OF LOVE」を推したい。「ガリレオが解いた、きっとそうさ (2人を)引力が導くさ」と文学的な歌詞が印象的です。昨年これをカラオケに入れてドン引きされた事があり、これを書きながら何人がこの曲を知っているのか不安になってきてますが、RUNNING TO HORIZON同様オリコン一位をとりました。


真剣(ほんき)  田村 英里子




真剣と書いて(ほんき)と読む。たぶんこの時代日本中でネタにされていたと思われる。この曲がきっかけで鮮烈なデビューをしたものの、どうも宮沢りえと比較される事が多く、世の認知度は「半ケツ」ぐらいしかないのが悲しいところである。



WOMAN  アンルイス

アンルイスといえば六本木心中の映像ばかりが流れるが、私はアンルイスと聞くとこの曲が頭に浮かんでしまう。その影響か何かあれば「つわものどもが 夢の跡だね」とか「砂も地球のかけらなんだよ」と日常生活でよく口走ってしまう。サビ前の「通り魔みたい~ あなたの愛が~」と通り魔に比喩した違和感は未だに消えない。


<TVの影響が大きかった曲>

JUST ONE MORE KISS  BUCK-TICK
SOMEBODY’S NIGHT   矢沢 永吉
白いクリスマス   JUN SKY  WALKER(S)

この時代はネットがまだ普及しておらずTVの影響力は絶大で、テレビを通じて(私が)影響を受けた曲を選曲しました。BUCK-TICKはMステにて彼らの奇抜な見た目と、キラメキは届かないなんていうこの曲をテレビで目の当たりにした私は自然とバクチクワールドへ引き込まれていきました。「SOMEBODY’S NIGHT」は夜ヒットだったと記憶してますが、ボディコンのお姉さま方を画面いっぱいに並べて歌う姿は当時の私には刺激的で今でもよく覚えています。白いクリスマスはメジャーすぎるかなとも思いましたが、この時代の音楽を語る上ではずせませんね。


<1989年ならではのミュージシャン> 

RINJIN  LA-PPISCH(レピッシュ)
Kiss Kiss   松岡英明
DREAMER 小比類巻 かほる

ラピッシュと読んでいた人も多かったがレピッシュである。松岡英明さんの様な風貌が売りの人は必ずどの時代にもいて、松岡英明→米倉利紀→アクセスのボーカルの人 と受け継がれていると思います。


<その他 言及を省略させてもらった方たち>

リトルデイト  Ribbon
いわいるひとつの誤解です  CHA-CHA
涙止まれ  中山忍
青山Killer物語  ラムー
I Don't Know!  BaBe(べいぶ)
貴女次第   鶴久 政治


もう名前オチですね(笑)



<1989年に発売された主なアルバム>

Delight Slight Light KISSDelight Slight Light KISS
松任谷由実

曲名リスト
1. リフレインが叫んでる
2. Nobody Else
3. ふってあげる
4. 誕生日おめでとう
5. Home Townへようこそ
6. とこしえにGood Night(夜明けの色)
7. 恋はNo-return
8. 幸せはあなたへの復讐
9. 吹雪の中を
10. September Blue Moon

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パっと見て、元ジュディマリのYUKIだた思ったらあなたはあちら側(平成)の人間です。おお!と唸ったらあなたはこちら側の人間です(笑)。累計売り上げ160万枚をあげ、1989年で一番売れたアルバムとなりました。



THE BADDESTTHE BADDEST
久保田利伸 川村真澄 杉山卓夫

曲名リスト
1. TIMEシャワーに射たれて
2. 流星のサドル
3. オー,ホワット・ア・ナイト!
4. ミッシング
5. ユー・ワー・マイン
6. 一途な夜,無傷な朝
7. ゴッデス~新しい女神
8. サイキック・ビート
9. 永遠の翼
10. オリンピックは火の車
11. タワワ・ヒットパレード
12. クライ・オン・ユア・スマイル

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私の人生でBEST3に入ると思われるほど繰り返し聴いたアルバム。TIMEシャワーに射たれて に始まり間にMissingを挟みつつクライ・オン・ユア・スマイルでしめるとは本当に至福の一枚でした。



昭和 (24bit リマスタリングシリーズ)昭和 (24bit リマスタリングシリーズ)
長渕剛 矢島賢 瀬尾一三

曲名リスト
1. くそったれの人生
2. GO STRAIGHT
3. いつかの少年
4. とんぼ
5. シェリー
6. 激愛
7. NEVER CHANGE
8. プン プン プン
9. 裸足のまんまで
10. ほんまにうち寂しかったんよ
11. 明け方までにはケリがつく
12. 昭和

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圧巻です。このアルバムを例える言葉は圧巻しか思い浮かびません。


CAROL-A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991-CAROL-A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991-
TM NETWORK

曲名リスト
1. A Day In The Girl’s Life(永遠の一瞬)
2. Carol(Carol’s Theme 1)
3. Chase In Labyrinth(闇のラビリンス)
4. Gia Corm Fillippo Dia(Devil’s Carnival)
5. Come On Everybody
6. Beyond The Time(エクスパンディッド・ヴァージョン)
7. Seven Days War(フォー・ピーシーズ・バンド・ミックス)
8. You’re The Best
9. Winter Comes Around(冬の一日)
10. In The Forest(君の声が聞こえる)
11. Carol(Carol’s Theme 2)
12. Just One Victory(たったひとつの勝利)
13. Still Love Her(失われた風景)

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本当はDRESSを紹介したかったのですが、アマゾンにジャケット画がなかったのでキャロルにさせて頂きました。CAROLと聞いてユンカース・カム・ヒア?ととっさに返せるあなたは今夜飲みにいきましょう! それにしても「Winter Comes Around(冬の一日) 」と「Still Love Her(失われた風景)」 は名曲すぎますね。



服部服部
奥田民生 川西幸一 堀内一史

曲名リスト
1. ハッタリ
2. ジゴロ
3. 服部
4. おかしな2人
5. ペーター
6. パパは金持ち
7. 君達は天使
8. 逆光
9. 珍しく寝覚めの良い木曜日
10. デーゲーム
11. 人生は上々だ
12. 抱けるあの娘
13. 大迷惑
14. ミルク

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ユニコーンといえばこのジャケットと言われるほど、このアルバムはユニコーンの代表するものとなりました。



BLUE BLOODBLUE BLOOD
YOSHIKI TOSHI 白鳥瞳

曲名リスト
1. プロローグ(~ワールド・アンセム)
2. ブルー・ブラッド
3. ウイークエンド
4. イージー・ファイト・ランブリング
5. X
6. エンドレス・レイン
7. 紅
8. XCLAMATION
9. オルガスム
10. セレブレイション
11. ローズ・オブ・ペイン
12. アンフィニッシュド

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10年の活動でたった3枚しかださなかった内の1枚ですね。当時はこのジャケットがとてもかっこよかった。


COMPLEX


(1)BE MY BABY
(2)PRETTY DOLL
(3)1990
(4)HALF MOON
(5)GOOD SAVAGE
(6)MAJESTIC BABY
(7)BLUE
(8)RAMBLING MAN
(9)恋をとめないで

まだCOMPLEXの大人の事情を知らなかった頃でした。1990の鉄の様なジャケットも好きです。



LOVERS
プリンセス・プリンセス
LOVERS
曲名リスト
1. ムーンライト・ストーリー
2. 友達のまま
3. ディン・ドン
4. レイン
5. 恋に落ちたら
6. スパイ・イン・ラヴ
7. シェイク・イット・オフ
8. パパ
9. 海賊と私
10. パレードしようよ

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LOVERS001234565.jpg
以前も書きましたが、引越しの度にいろんなアルバムを捨てていったのですが最後に残った一枚です。男のくせになんですが、それぐらいお気に入りのアルバムでした。今や曲をダウンロードして楽しむ時代だからこそ、このジャケットの質感が尚更たまりません。




う~~ん 、こうやってジャケット並べるだけでも宝石箱をひっくり返した気分になれました(笑)


参考資料:1989年の音楽(WIKI)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1989%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

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不良少女はなぜ美人が多いのか?

2006年09月27日 22:23

私の年代(76年生まれ辺り)がちょうどBE-BOPに影響を受けた末期世代だったと思う。
ツッパリ、スケ番という言葉はもう死語だったが、ヤンキーという言葉も浸透していなく、不良という言葉が主流だった。
ツンツンのリーゼント頭だった奴が、ある日急に小意気なツーブロックに、
学生ズボンの太さを競いあってたのに、パンタロンみたいなオシャレなズボンが流行ったりと、
ちょうど不良文化が衰退していくのを直に目撃してきた世代です。

ここでまずはっきりさせておかないといけませんが、
私はツッパリでもヤンキーでもなかった普通の生徒だったという事です。
ただ、この当時の不良文化には興味深々な中学生だったのです。
その要因のひとつとして、不良少女には美人が多いというのがあったと思います。
こんなものは統計の取り様が無いのですが、これはまぎれもない事実だったと思います。
男が不良になるのはモテる気質があるかないかは置いといて、
顔がかっこいいのが多いというのはマンガやドラマの中だけだったと思います。
その点不良少女には何故美人が多いのか?



ヤンキースパイラルの可能性
ヤンキーは早期結婚する傾向があり、ヤンキーである事を卒業せぬまま子供を育てていく為、ヒナだって最初に人間をみたら親と思うぐらいなので、その子供も生まれながらの生粋のサラブレッドヤンキーとなる可能性が高いのです。そしてまたその子供も・・という事で美人のDNA遺伝子がこの不良文化に根付いているではないか


地域性、環境による可能性
子供の頃からを襟足を伸ばすサラブレッドヤンキーはさておき、一般の生徒が思春期に不良文化に憧れるかどうかは環境に起因する部分が大きい。都市と地方とは全く不良の形態が違うのもこの為だと思われる。また地方によっても学校によって不良の割合は全然違ってくる。これは地域性もあるだろうが、それ以上に先輩、友達の影響が多い。不良文化は間違いなく伝染するのだ。ヤンキーになるきっかけの一番は友達の影響なのだ。


・美人に生まれてきた事による障害の可能性これは「喫煙者には美人が多い」とも繋がっている様な気がする。受付嬢、レースクイーン、デパート店員など喫煙者が多いという。(これ僕の意見じゃないのでお許しを(笑))世間的に女性の喫煙とは少し敬遠されがちだが、そんな目線など気にしない気の強さが必要である。これは幼いころからいろんな誘いを断り続けた美人ならでは性格の特性でそれが不良文化へと繋がっているのかもしれない。



女でもない、元ヤンでもない私が考えつくのはこれぐらいですかね。
この歳にもなってこの疑問を本気で考える必要があったかどうかは、
自己催眠でもやって自分自身とよく向き合いたいと思います。

緊張と緩和の法則

2006年09月26日 21:52

「緊張と緩和」とはお笑いの法則でよく使われる言葉である。

例えば下の画像を見て欲しい

golugo13274544.jpg
(コミック第2巻 第8話 黒い熱風より)

これがおもしろいと感じる人は、ゴルゴ13を読み込んでいる方じゃないでしょうか。ゴルゴの独特の世界観、緊張感を知っていればゴルゴ13が笑っているという違和感がなんともおもしろい。逆に作品を数話読んだだけでは、ゴルゴの世界観まではわからないので、このコマのおもしろさも伝わらないと思う。
1969年にこのコマで笑って以来、次に笑うのは25年も後の1994年で(第333話 「力は我々にあり」)それ以後は現在まで笑う姿は確認されていない。



<自ら笑いを取りにいくゴルゴ13>
golugo13091739.jpg
(第1話 「ビッグ・セイフ作戦」より)

このセリフが逆ではないかと疑ってしまう幻のゴルゴのジョーク。
1話ゆえにまだキャラ設定があいまいだったのか・・・。



この法則を一番巧みに利用しているのが、やはり松本人志ではないだろうか。
ガキの使いのシリーズ企画の「さよなら山崎邦正」
誰もが経験する卒業、別れでの一場面。
すすり泣く声が聞こえる中で、メンバーが山崎に贈る言葉はいつも笑ってしまう。


「まあ、僕の中では…何にも無いです。思い出が無いので…、元気で頑張って下さい」(浜田)



「一番嫌いな芸風でした」 (遠藤)



腐ったリンゴは排除しなければならない」 (菅P)



「ガキの使いだけでなく、日本テレビとも縁を切ってほしい」 (菅P)



「先日、制作局長から呼ばれ、「菅。お前、何で出世しないか分かるか?」と言われました。
 僕は『分かりません』と言いましたらば、局長のデスクに紙が置いてあって、“山崎邦正”と
 『あ、コレか!!』と。『コイツのせいで、俺が今まで出世できなかったのか!』と。
 その時、局長が仰ったのが、『俺は個人の意見で山崎邦正が嫌いなわけじゃない。
 日本テレビ全体として嫌いなんだ!分かるな?』と言われて納得しました」(菅P)



悲しいと言えば・・・嘘になる」 (松本)



「楽屋でタレント名鑑見ながら思ってたんですけど…
 こんなにも代わりがいるタレントがいるのかなと」 (松本)



「オレ、マンガ家の山咲(トオル)のほうが好きかも」 (松本)



「山崎に代わる新レギュラー候補は きく姫」 (松本)



普通に言っても十分おもしろいのですが、やはり誰もが経験ある卒業という独特の空気感が、
このコメントをより一層際立てておもしろく感じさせてくれます。

芸人の年齢考察

2006年09月25日 21:21

吉本で芸人117人にアンケートをとった結果、平均年齢27.8歳、芸歴7年で、平均年収は279万599円となった。
700万円以上の芸人が17人いる半面、50万円未満が29人だという。
高額納税者で数多く名をつらねる反面、バイトをしながら芸人を続ける芸人も数知れなく、お笑い界の所得格差は大きい。


■ お笑い世代
第1世代
萩本欽一 西川きよし、桂三枝、ドリフ、他

第2世代
ビートたけし、明石家さんま、
タモリ、島田紳助、笑福亭鶴瓶、他

第3世代
ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン、出川哲朗、
今田耕司、東野幸治、ダチョウ倶楽部、ホンジャマカ、さまぁ~ず、他

第4世代
ナインティナイン、くりぃむしちゅー、爆笑問題、ネプチューン、
雨上がり決死隊、極楽、よゐこ、ボキャ天メンバー他

第5世代
アンタッチャブル、品庄、おぎやはぎ、長井秀和、キングコング、青木さやか、今のお笑いブームの人他


「あの芸人は○○世代だろう!」とつっこみはあると思いますが、
お笑いの世代論争は明確な線引きがある訳でないのでそこはご勘弁願いたい。
芸人の引退というのは事実上ない訳で、第2世代以降は現在も第一線でやっている芸人が多く、枠が空かない。
世代間の交代が出来ていないシワ寄せは、今の30代の芸人に如実に出ていると思われる。
第4世代第5世代の芸人は現在30代が多数を占め、年齢の差がない現状がある。


■ 8年周期説
○萩本欽一 (1941年5月7日生)
    ↓
○ビートたけし(1947年1月18日生まれ)
    ↓
○明石家さんま(1955年7月1日)
    ↓
○ダウンタウン(松本人志;1963年9月8日誕生 浜田雅功;1963年5月11日誕生)
    ↓
○ナインティナイン(岡村隆史;1970年7月3日誕生 矢部浩之1971年10月23日)
    ↓
    ? (1978~80年生まれ)


8年周期で世代感を代表する芸人が生まれているという事らしい。
今の第5世代を引っ張る芸人がまだ出ていない。
「はねるのトびら」メンバーは、この世代の王道を走っていたにもかかわらず
ゴールデンに移動するまで4年半もかかってしまっている。


年収億を稼ぐにはゴールデンの冠を持つのが絶対条件である。
そこで先代の各世代の代表芸人が何歳でゴールデン枠を掴んだのか調べてみた。

■ ゴールデンで看板を持った年齢
志村けん
24歳~35歳 8時だョ!全員集合
36歳~    加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ・志村けんの失礼しまぁーす!

さんま、島田紳助
26歳~ オレたちひょうきん族


ダウンタウン
25歳~      夢で逢えたら、ガキの使い
28歳~34歳   ダウンタウンのごっつええ感じ

とんねるず
24歳~    夕やけニャンニャン
26~27歳  とんねるずのみなさんのおかげです、ねるとん紅鯨団

ウンナン
26歳~ ウッチャンナンチャンのやるならやらねば


ナイナイ
25歳   めちゃ×2モテたいッ(土曜パナソニック枠)
26歳~ めちゃ×2イケてるッ!


こうやって見ると20代前半で地方または深夜で圧倒的な人気を博し、
20代中盤~終盤にかけてゴールデン枠で冠番組を持っていることがわかる
今現在20代の芸人で単独でゴールデン枠の冠段組を持っている芸人はいるのだろうか?
今後20代で冠ゴールデンにたどり着きそうな芸人も思いつかない。
しかし、この様に王道ばかりではなく例外パターンもある。


ダチョウ倶楽部
当時 肥後克広(30)~上島竜兵(32歳) の時にTBSで初のゴールデン冠番組
「王道バラエティつかみはOK!」(1993年)が放送された。
第一回に肥後の愛車を爆破したり、安岡力也に本気シバキを受けたりと彼らの持ち味を
最大限発揮した内容だったが、低視聴率ですぐ打ち切りとなった。
その時に「ダチョウ倶楽部にゴールデンは早かった」と囁かれ、
その後現在に至るまでリベンジをする機会も与えられていない。
このクラスの芸人にとってゴールデン挑戦は2度もないとてもシビアなものなのだ。 


くりぃむしちゅー
彼らの出世街道はお笑い界では異例といえる。25歳の時に「ボキャブラ天国」でプチブレイクを果たすもその後低迷。
5年間地方の番組などで何とか繋ぎとめ、30歳の時に「ウンナンの気分は上々」で海砂利水魚→くりぃむしちゅーと改名したのが転機となった。
ゴールデンの番組でサブメイン(「世界一受けたい授業」や「ズバリ言うわよ!」、「笑いの金メダル」など)中心だったが、「くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!」で生粋のくりぃむによる冠番組となり、上田36歳・有田35歳にして念願のゴールデンタイムにおいての初の冠番組になる。一度低迷後に返り咲きというパターンはその他、爆笑問題、雨上がりも同様にいえる。



上がどんどんつまっていく中、出川哲朗、ダチョウ倶楽部の様に独自の自分のポジションを確立できている40代の芸人達。
オリラジの様にデビュー直後にブレイクしていく20代前半の芸人達。
そう考えると今30代の芸人達が数も多く、一番キツい立場にいると考えられる
30代で特定のポジョションも持てずに、くすぶっている芸人は数知れずだ。


<現在30代の芸人(2006年現在)>




40歳
深沢邦之[Take2]
ダンディ坂野

39歳
安田和博[デンジャラス]

38歳
平畠啓史[DonDokoDon]
名倉 潤[ネプチューン]
岡田圭右[ますだおかだ]
山口智充[DonDokoDon]

37歳
堀内 健[ネプチューン]
東貴博[Take2]
長井秀和
増田英彦[ますだおかだ]
西尾季隆[丁半コロコロ]
原田泰造[ネプチューン]
さがね正裕[丁半コロコロ]

36歳
博多華丸[博多 華丸・大吉]
中本哲也[テツandトモ]
石澤智幸[テツandトモ]
ハローケイスケ
パックン[パックンマックン]
中川剛[中川家]
藤本敏史[FUJIWARA]
原西孝幸[FUJIWARA]
博多大吉[博多 華丸・大吉]
高橋健一[キングオブコメディ]

35歳
中川秀樹[ペナルティ]
小木博明[おぎやはぎ]
矢作兼[おぎやはぎ]
佐藤祐造[インスタントジョンソン]
塚地武雅[ドランクドラゴン]
スマイリーキクチ
中川礼二[中川家]
山田一成[いつもここから]
長州小力
ヒロシ
藤井宏和[飛石連休]
渡辺隆浩[インスタントジョンソン]




34歳
ユウキロック[ハリガネロック]
品川祐[品川庄司]
鉄拳
日村勇紀[バナナマン]
大谷伸彦[ダイノジ]
脇田寧人[ペナルティ]
大地洋介[ダイノジ]
杉山貢一[インスタントジョンソン]
児嶋一哉[アンジャッシュ]
柳原哲也[アメリカザリガニ]
渡部建[アンジャッシュ]
井戸田潤[スピードワゴン]
平井善之[アメリカザリガニ]
石井正則[アリtoキリギリス]
マックン[パックンマックン]
青木さやか

33歳
設楽統[バナナマン]
飯塚悟志[東京03]
小島忍[底ぬけAIR-LINE]
吉田敬[ブラックマヨネーズ]
小杉竜一[ブラックマヨネーズ]
古坂和仁[底ぬけAIR-LINE]
大上邦博[ハリガネロック]
小沢一敬[スピードワゴン]
陣内智則

32歳

川谷修士[2丁拳銃]
西田[笑い飯]
後藤輝基[フットボールアワー]
八木真澄[サバンナ]
多田健二[COWCOW]
虻川美穂子[北陽]
山田興志[COWCOW]
谷井一郎[エレキコミック]
大熊啓誉[シャカ]
哲夫[笑い飯]
石井康太[やるせなす]
中村豪[やるせなす]
石塚義之[アリtoキリギリス]




31歳
大村朋宏[トータルテンボス]
城野克弥[野性爆弾]
河本準一[次長課長]
徳井義実[チュートリアル]
だいたひかる
柴田英嗣[アンタッチャブル]
宮田てつじ[シャンプーハット]
福田充徳[チュートリアル]
高井俊彦[ランディーズ]
石橋尊久[イシバシハザマ]
金成公信[ハローバイバイ]
升野英知[バカリズム]
隅田美保[アジアン]
鈴木拓[ドランクドラゴン]
岩尾望[フットボールアワー]
藤田憲右[トータルテンボス]

30歳
庄司智春[品川庄司]
山崎弘也[アンタッチャブル]
高橋茂雄[サバンナ]
小出水直樹[シャンプーハット]
井上聡[次長課長]
田中卓志[アンガールズ]
井上マー
川島邦裕[野性爆弾]
鈴木崇大[タカアンドトシ]
菊地秀規[いつもここから]
山根良顕[アンガールズ]
三浦敏和[タカアンドトシ]
はなわ
菅広文[ロザン]
ハチミツ二郎[東京ダイナマイト]
劇団ひとり
松田大輔[東京ダイナマイト]




その他無名の芸人数知れず


たむらけんじの「売れてる芸人は全員死ね!」は芸風でなく、この世代の芸人達の本当の切なる願いなのです。
このお笑い超激戦区である30歳代の芸年の皆さんを、当ブログは今後も注目、応援してまいります。

映画のキャッチコピーの名言と迷言

2006年09月22日 21:28

映画のポスターや予告トレーラーなどで使われる映画のキャッチコピー。
2時間もの物語をたった一言で表現させ、なおかつ観客に興味を持たせなければいけません。
唸るものもあれば失笑するものもあったりして、そんな名言と迷言集です。



名コピー
火垂(ほた)るの墓
↑(火垂るの墓)
↑ 4歳と14歳で、生きようと思った。 



↑(102)
犬絶賛


↑(シザーハンズ)
↑ 抱きしめたいのに抱きしめられない・・・


↑(ミスター・ビーン)
↑ 遂に日本政府は、この男を入国させてしまった!!

↑(エイリアン)
↑ 宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。



↑(アナコンダ)
↓ 叫び声さえのみこまれる



↑(ブレア・ウイッチ・プロジェクト)
↑ 怖くて、目をつぶれない。



↑(アウトブレイク)
人類絶滅の危機、それは一匹の猿から始まった――。

↑(紅の豚)
カッコイイとは、こういうことさ。

↑(天空の城ラピュタ)
↑ ある日、少女が空から降ってきた・・・


↑(メメント)
10分前、俺は何をした?


↑(バトル・ロワイヤル)
↑ 本日の授業、殺し合い。


↑(A.I.)
↑ その愛は真実なのに その存在は、偽り


↑(スクリーム)
↑ 叫びだしたら、止まらない



↑(バーティカル・リミット)
↑ 予測不能 - 全てがクライマックス!






↑              ↑名コピー
↓------------------------------------------------------------
↓              ↓迷言コピー








↓(キャッツ&ドッグス)
↓ 世界はどっちの肉球に!?



↓(スリーピー・ホロウ)
↓ 月夜の晩は、なくした首がすすり泣く。

↓(親指タイタニック)
↓ 海に沈んだ愛は、浮かばれないっ!



↓(ブレインデッド)
↓ ママ、切り刻むほど、愛してる。


↓(うずまき)
↓ ああ、きもちわるくて、きもちいい。


↓(最終絶叫計画)
↓ ウッシッシ・・・、あの映画じゃないよ~ん!


↓(オースティン・パワーズ)
↓ バカも休み休みyeah! 

↓(ショムニ(映画版)
↓ 会社をナメたら、意外とアマイ!



↓(サラリーマン金太郎)
↓ 一身上の都合により - 戦争します。 



↓(最終絶叫計画)
↓ 早くもアカデミー賞絶望!




↓(アタック・ナンバーハーフ)
↓ アタシ達にオカマせ!



↓(インビジブル)
↓ 姿は見えないが、殺意は見える。全米が吐いた
インビジブル コレクターズ・エディション

迷コピー




インパクトを与えるという意味では、迷コピーの方が正解なのかもしれませんね。

音楽の聖地は何処へ?

2006年09月21日 22:25

70年代~80年代 音楽で頂点を目指す人間にとって武道館は聖地であった。

2006091245.jpg

BOOWYの「ライブハウス武道館へようこそ!」の名言
爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」は武道館の事を指している事でも有名である。

武道館はコンサートホールとして建てられたわけではないので、
音響の準備やら機材の配置などで、わずか1.5万人しか入らない事もあり
一回の公演だと赤字だという。一日2回公演や3DAYにしてやっと多少の黒字に変換するという。

それでもバンドをやる人間からすると武道館とは損得抜きで立ちたい特別な舞台なのである。


しかし、90年代からは5万人収容できる東京ドームの完成と共に、ドームにその価値を取られてしまった感がある。
では90年以降、東京ドームでライブをした事のある日本人アーティストを振り返ってみた。

20090911233333.jpg



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ぼうけんのしょはきえてしまいました

2006年09月19日 22:01

to_0024_01.jpg

ラダトーム王
「おお キクリン! ゆうしゃロトの ちをひくものよ! そなたのくるのをまっておったぞ。」
「ゆうしゃ キクリンよ! なつかしゲームのきじが すくないようじゃぞ!」
「むりからでもよいので なにか かくのじゃ!」
「きじが できたなら また わしに あいにくるがよい まっておるぞ 」

キクリン
「うすっぺらい きおくで ドラクエの いやなキャラを かいこする たびにでた」



おおさそり があらわれた
oosasori.jpg

スライムやゴーストと素手で戯れて遊んでいると、ふと公道からはずれてしまった時に現れる最初の難敵。とにかく守備力が高いので、通常攻撃で倒すのはなかなかホネがいるな。王様に「しんでしまうとは なにごとだ!」とありえない説教を最初に言われるのも、このおおさそりと戦った時ではないだろうか。



がいこつ があらわれた
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今でこそ慣れてしまっているが、ドラクエ1で最初に洞窟に入った時はドキドキしてしまったものだ。地上の敵キャラとは明らかに違うキャラデザインに必要以上の強さを感じてしまう。


よろいのきし があらわれた
akumanokisi.jpg

中盤にさしかかり現れ、どう考えても絵的に強設定キャラである。その後、悪魔の騎士・死神の騎士とグレードアップしていく。



ドラゴン があらわれた
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終盤の最大の難関。とくに弱点もなく、攻撃呪文もきかない。 回復呪文でHPをたもちつつ地道に戦うしかないな。ボスキャラ扱いで良いと思われるが、こいつに出くわしたらとりあえず逃げた記憶しかない。



キメラのつばさをつかった ドラクエ2~3のせかいへ とんだ。


ばくだん岩 があらわれた
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笑いながらメガンテを唱えて、敵もろとも道連れにしようとする姿には、今のテロ社会を予見していたのか、はたまた何か哲学めいた裏設定があったのかとさえ疑ってしまう。


ミミック  があらわれた
mimiku.jpg

宝箱に隠れている。こいつに出くわすとなにかプラクラを踏んだ時と同じ様な悲しい気持ちになる。マホトラ→ザラキの黄金パターンは、今日のストレス社会のきっかけとなったと考えられる。



キラーマシーン があらわれた
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旅人を狩るために作られた機械剣士で2回行動をしてくる。子供心に「平等なんてルールは、切羽詰ってくると関係ないんだな」と大人の汚さを教わった瞬間でもある。この画像を見ただけでも、未だに嫌悪感が感じてしまう。



キメラのつばさを つかって ラダトームへ もどった





王様 
「おお キクリンよ! オチがないとは なにごとだ!」
「しかたのない やつだな。 おまえに もう いちど きかいを あたえよう!」
   
・・・・
 
へんじがない。 ただのしかばねのようだ。


with T.Kが離れる時

2006年09月16日 17:19

1996年4月15日付けのオリコンシングルチャート

1位 安室奈美恵 「Don't wanna cry」
2位 華原朋美 「I'm proud」
3位 globe 「FREEDOM」
4位 dos 「Baby baby baby」
5位 TRF 「Love&Peace Forever」

小室プロデュースが上位を独占し、小室旋風がピークに達した年であったといえる。


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小室ファミリーと定義されるアーティストは100組以上在籍し、この時代の小室旋風は圧巻の一言でした。しかし数多い為か名目上は契約期間の終了ですが、事実上の解雇通告というものが存在しました。長期にわたったり、短期間で終わったりとそのプロデュース期間もさまざまで、裏にいろんな事情があった事が見え隠れします。

どの曲がTKプロデュースの最後の曲になったのか?
そのアーティストのその後はどうなったのか?

を検証してみたいと思います。


大きくダメージを受けたアーティスト

篠原涼子
恋しさとせつなさと心強さと / (1994年7月21日)
もっと もっと… / (1995年2月8日)
Lady Generation (1995年8月2日)

全3曲。小室ファミリーの中でも一番ダメージを受けたのではないかと思われる。「涼子は一人でも十分やっていけるから」という別れ話の典型的な口実のセリフを小室氏から言われたという。最後のプロデュース作品となった「Lady Generation」 の三ヵ月後にリリースされた「ダメ!」という曲の世間的認知度を考えると、一人では到底無理だった事は明白であった。その後10曲リリースしているが一曲でも頭に浮かんだら、たいしたものだと思います。


鈴木亜美
love the island(1998年7月1日)
    ↓
Reality/Dancin' in Hip-Hop(2000年4月12日)

ASAYANで自身のプロデュース番組からの発掘という事もあり、デビュー曲から12作品連続で小室プロデュースだったが、事務所のトラブルが原因で小室哲哉との協力関係も元の事務所と小室との関係が深かったため終焉を迎えた。



契約期間、もしくは提供曲数が決まっていたであろうアーティスト

観月ありさ 
<代表曲>
TOO SHY SHY BOY! (1992/5/27)
happy wake up! (1994/10/3)

全4曲プロデュース 1996年の「PROMISE to PROMISE」が最後となる。  

内田有紀
<代表曲>
Only You
EVER & EVER &m.c.A・T

全3曲 こちらも1996年が最後となります。


アイドルをプロデュースする際の特徴として、連続リリースではなく、3~4曲挟んでまた小室プロデュースというのが特徴。そのため、TK離れの影響力もさほど無いと思われるが、世間的には代表曲が小室作曲の曲の為、小室ファミリーと括られてしまう。宮沢りえも小室ファミリーじゃないかと思うが、世間的には何故かこの括りに入っていない。


プロデュース終了と共に自然消滅したもの

DOS
Baby baby baby (1996/03/21)
more kiss (1996/07/31)
CLOSE YOUR EYES (1996/11/18)

活動期間はわずか1年

H jungle with t
『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』 213万
『GOING GOING HOME』120万枚、
『FRIENDSHIP』 65万

たった3枚ながら異常な売り上げ枚数である。4枚目が出なかった理由として3枚目の曲が三谷幸喜脚本、浜田主演のドラマ「竜馬におまかせ」の主題歌で視聴率的にコケてしまい、この曲まで失敗色に染まった気がします。

その他自然消滅したもの多数あり


男女の関係の終焉と共にプロデュースも終わったアーティスト

華原朋美
keep yourself alive 1995年

daily news 1998年10月21日

自分の恋人をプロデュースさせるという事のリスクを、小室さんはどれだけ理解していたのだろうか。小室プロデュース終焉直後に、本人作詞のリアルな失恋ソング「as A person」でなんとかスマッシュヒットを飛ばしたものの、その後のシングル売り上げは悲惨なものである。「YOU ARE THE ONE」で誰よりも一番おいしいサビの部分を歌い上げたのが、今となっては栄枯盛衰を感じてしまう。


Kiss Destination(キス ディスティネーション)
dos解散後1999年にユニットをくみ2001年に2人は結婚し、吉田の妊娠・出産により活動休止。翌2002年に離婚したことにより、自然解散。婚約期間はわずか10ヵ月。当初は「TRUE KiSS DESTiNATiON」であったが5thシングルから改名し「Kiss Destination」となった。TRUEが消えた意味は深そうだ(笑)

globeがこのリストに追加される日もそう遠くない気がします。


TK離れを踏み台にしたアーティスト

hitomi
<代表曲>
3th CANDY GIRL (1995/4/21)
   ↓ 
10th PRETTY EYES (1997/10/1)

小室プロデュースでデビューしたのに、まさかTKが離れる事は予想出来なかっただろう。本人もかなりのショックだったと後に述べている。その後一時低迷したものの17thシングルの「LOVE 2000」が シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子が聴いていたとして、大ヒットとなり、その後も持ち直した。小室ファミリー時代も他のアーティストに比べ大ヒットというものには恵まれなかったhitomiだったが、彼女の息が長い事はなんとも皮肉な結果である。

安室奈美恵
3rd Body Feels EXIT 1995年10月25日 3位
 ↓
20th think of me / no more tears 2001年1月24日 7位

TM、TRFやglobeの様に自身が参加しているグループを除けば、一番長い期間曲を提供されていた安室さん。小室が打ち切ったというよりも安室が自ら離れていったという方が正しいかもしれません。実際はどうだか知りませんが・・・。小室黄金期には届かないものの最新シングルも初登場2位で安定した力を持っており、小室プロデュースの経歴を見事に踏み台としている。




かなり表面的な事だけを取り上げて書きましたが、実際は背後に小室さんの肩入れする女性というものが時代ごとに存在し、その登場と共に誰かが捨てられている訳です。またavexをはじめ勝ち馬に乗れ根性で各レコード会社が小室さんの勢いに乗ろうとと引き抜こうとさまざまな駆け引きも存在しました。その結果が吉本興業に落ち着くとは誰が予想できたでしょうか(笑)この当時の裏事情が書かれた暴露本が出れば、とても興味深いと思われます。


あの当時TK離れの宣告を受けた時は、実質死刑宣告でどのアーティストもかなりショックだったと思います。しかし、ずっとTKプロデュースを続けていてよかったかどうかは、今年の小室プロデュースされた一覧を見ればよくわかるのではないかと思います。


<2006年 小室プロデュース作品>

4月19日「ジーザス」 バブル青田
4月26日 「チ」 大木こだまひびき
5月31日 「宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!」 JK(次長課長)
8月2日 「サイクリングリサイクル」 きりん 麒麟


小室さんは自身をもう一度、Self Controlする事から始めてはどうでしょうか。

トップギアには入らない

2006年09月15日 22:15

10代の頃と何が変わったかという話題になった時に
私はMT車をずっと運転していたせいか、車のギアによく例えてしまう。

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(ここで例えるギアは、気分の高揚度だと理解してください)

10代はおもしろいぐらいにおもしろいようにギアがスムーズに上がっていった。
1速から3速、5速なんて飛ばしのギアチェンも出来たし、切り替え時にガックンとはならなかった。
下手すると夏休みなんて、朝起きて直後なのに3速スタートなんて事もあった。


しかし今は違う・・
朝起きても1速どころか坂道発進である。エンストスタートなんてしょっちゅだ。
日常は基本2速運転である。休み前の夕方頃にやっと3速に入ってくれるだろうか。
そこで酒でも入ればなんとか4速に入るという状態である。
一週間かけて4速に入れるのに、1速には即座に戻るのが悲しいところである。
トップギア(5速)には入らない。もう4速MT車である。


今どんな事があればトップギア(5速)に入るのか考えてしまう。

自分の子供でも生まれた時だろうか・・
独身貴族の私には今日、明日に起こる事じゃない。
宝くじなどは一気にトップギアに入りそうだが、考えるだけ空しい。

逆に10代の頃はどんな事でトップギアに入っていたかと考えてみたが、やはり色恋沙汰かなと思った。
恋心なんて今の自分にまだ残っているのだろうか・・。
カラオケで「忘れない いつまでも 恋心」とB'zの恋心を熱唱していた10代の頃の自分に土下座したい。
「キミの未来はそんなに輝かしいものじゃなかったよ」と・・
私みたいに5速を無くしてしまった大人達が、一瞬でトップギアに入る薬物に走っているのか。
気持ちはわからなくもないが、人としてそうはなりたくない。

さまざまな事に挑戦して失ったトップギアを探している。
このブログもその一環かもしれない。


私なりのトップギアに入ったどうか簡単に確認できる方法がある。
ドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」を素直に聴けるかどうかだ(笑)
もうiPodに2年も消さずに入れているが、大概があのジェットコースターの様な急上昇する前奏で止めてしまう(笑)
気分がのっている時に今だ!と思って聴いてみるものも、2番までどうしてもたどり着かない。
10代の頃は朝の通学中に聴いてた曲だったのに・・・
いつかスーパーでスペシャルな日が来ると思って、この曲は今も眠っています。
とりあえずR(バック)だけには入れない様に、今日も低速運転をするのです・・・



なんて例えを同僚に「どうだ、うまい例えだろ!」ばりの表情で熱く語っていると決定的なことを言われた。

それ年齢とか関係なくて お前だけだと思うよ


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「お客様は神様です」という呪文

2006年09月13日 22:40

日本に支店を持つ外資系企業では社員に最初に学ばせる言葉が
ゲイシャ、ハラキリ、スシ、そして「お客様は神様です」だと言う。

日本で客商売する上では、お客様は神様だという風潮がある。


私が都内のある企業街で物販販売の店舗の責任者をやっていた時の話です。
客の半分は名の知れた企業の社員の方で、日に数千人もやってくる多忙な仕事場だった。
その時の経験はお客様は神様など到底思えぬものだった。


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ファイト!

2006年09月12日 23:08

中学の頃、B'zの「星降る夜に騒ごう」をよく聴いていた。

君はマドンナ 僕はスーパーマンだと思った




高校の頃、ドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」をよく聴いていた。

すぐにスーパーでスペシャルになれた。




大学生の頃、安室の「SWEET 19 BLUES」をよく聴いた。

誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれないと思った。




社会人になってRE:JAPAN「明日がある」をよく聴いた。

若い僕には夢があると思った。




25歳になって研ナオコ「かもめはかもめ」をよく聴いた。

鳩や孔雀にはなれない事を知った




三十路が近づいてきて久保田の「TIMEシャワーに射たれて」をよく聴いた。

誰か時計を戻してと切に願った




30になって中島みゆきの「ファイト」を聴き始めた。

ふぁあいと!

ブンブン丸が小林尊にはなれない理由

2006年09月11日 21:51

ある道を究めた者にキャラをつけて戦わすと一種のムーブメントが起こる事がある。
先日書いたクイズ王なんていうのもそのひとつだと思う。


1994年 アーケードゲームのバーチャファイター2の爆発的ヒットと共にあるムーブメントが生まれた。
「新宿ジャッキー」「ブンブン丸」「池袋サラ」などの個性的なキャラが各地で生まれ、
ASAYANなどで全国放送されるほどの人気となった。

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しかし、このムーブメントが下火になるのにそれほど時間はかからなかった。
ゲームというジャンルがダメだったのか?
いやいや・・高橋名人、毛利名人なども輩出した推定ユーザーも何千万人といる業界だ。

その点大食いというジャンルは一般人からすれば全く興味の持てないジャンルながら、
フードファイターは何故あれほどの長期のムーブメントになったのだろう。

フードファイターとゲームファイターの違いは何だったのか?


業界を牽引する人気キャラの存在
大食い界のプリンスといえば小林尊さん。彼は見た目のかっこよさだけではなく、尋常じゃない努力家でもあった事でも有名です。ブンブン丸はヒール役には十分だったが、この業界をひっぱるまでのカリスマは備えていなかった。正規軍がいてからこそヒール役が光る訳で、大食い界はその他にも帝国軍、反乱軍、女帝軍と人材の豊富さも人気のひとつである。


戦場の豊富さ
ゲームはどんなにがんばってもその土台をイジる事は出来ない。大食い界は大食いだけではなく、早食い、早飲みもあり、また視聴者が飽きないように、食べる食材をいじれば何通りでも戦場を変える事ができる。


世代間の厚み
ゲームの上手さに年齢は関係ない。場数をこなすほど上手くなるのがゲーム界。その点大食い界は新陳代謝の低下と共に大食い能力も下がっていく。同世代の戦いで視聴者が飽きてくれば新世代を投入し、世代間の戦いなどまたいろんな切り口で料理する事ができる。


プロ意識の違い
小林尊の変身ぶりを見てもわかるように、フードファイターにはプロ意識がある。小林の様にそれを職業として飯を食べているものもいる。それに比べずっとゲームをやってる人間って一体・・・となってしまう。


赤坂尊子という存在の有無
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圧倒的な絵力を持つキャラの存在の有無ですね。
ラーメンにメガネを落としたあの笑撃シーンは、一生忘れる事ができそうにありません(笑)



アメリカ横断ウルトラクイズ

2006年09月09日 22:40

アメリカ横断ウルトラクイズ (1977~1992 1998年に一度復活) 

知力、体力、時の運」を合言葉に、広大なアメリカ大陸を横断しながら1000問以上に及ぶクイズに挑戦した。昨今、様々なクイズ番組の優勝者を"クイズ王"と呼ぶことがあるが、開催規模・参加人数・番組の量、質・視聴率等のいずれを以てしても当番組での優勝は他のそれを圧倒しており、「ウルトラクイズのクイズ王こそ真のクイズ王」という声も大きかった。


              参加者   視聴率  司会者
第1回大会(1977年)  404名   約25%   福留功男
第2回大会(1978年)  700名   23.9%     ↓
第3回大会(1979年)  1362名   23.9%
第4回大会(1980年)  2707名   29.9%
第5回大会(1981年)  6473名   27.2%
第6回大会(1982年)  7332名   27.2%
第7回大会(1983年)  10203名   34.5%
第8回大会(1984年)  11048名   23.1%
第9回大会(1985年)  11751名  22.2%
第10回大会(1986年)  17162名  26.8%
第11回大会(1987年)  18017名  20.4%
第12回大会(1988年)  20774名  17.9%
第13回大会(1989年)  24115名  16.6%
第14回大会(1990年)  26735名  15.0%
第15回大会(1991年)  28523名  18.1%  福澤朗
第16回大会(1992年)  26121名  14.6%   ↓


1992年での番組終了の原因は視聴率低迷だと思うが、終盤の時期も打ち切りになるほど悪い数字だったとは思えない。やはり何人も引き連れて長期間アメリカを横断するという予算は想像を絶する額だったと思われます。バブルが弾けると同時に終了した感じですね。
(追記)バブル期だったからこそ、NYに行くありがたみが薄れてきたとのご意見頂きました。全くその通りだと思いました。番組スタートは1977年ですから、海外旅行に対する認識も徐々に変わっていたっと思われます。

それにしても皮肉なのが福澤さんに変わってからたった2回で終了した事だ。1991年の放送は途中交代だったので実質一回しかやっていない事となる。福澤さんも名物である敗者復活を廃止し、サバイバル色を高めるなど独自色に奮闘したが、ウルトラクイズ=福留というイメージは壊せなかったみたいだ。



さてさて、16年の放送で私の中で忘れられない大会があります。

それは第13回の長戸勇人さんが優勝した回です。
20060909210241.jpg



この決勝はアメリカ横断ウルトラクイズの歴史の中で「史上最強の決勝」と言われています。彼の決勝の対戦相手の永田良彰さんは「FNS1億2000万人のクイズ王」 で第2回、第4回の優勝に輝いている屈指のクイズ王です。
20060909210232.jpg
その永田さん相手に当時まだ大学生だった長戸さんは圧倒的なスコアの差をつけ優勝します。この他を寄せ付けぬ強さと彼の人間味あふれる姿に視聴者は釘付けになったと思います。


クイズ界では長戸さんは有名人ですが、一般人にはどうもピンときません。
長戸さんがどれだけすごいかというと他の番組でも実証されているみたいです。

ワールド☆レコーズ
http://www.ntv.co.jp/wrs/renewal/kettei/20050116-1/main.html


そしてこの回の放送が記憶に残る事となるもうひとつの理由は優勝賞品にあったと思います。毎回優勝商品は直前まで教えられず、とても豪華な賞品なのですがオチが待っているという事が多かった様に思います。

(例)
小型飛行機 →自分で組み立てないとダメ
カナダ東部に浮かぶ"島 → 満潮時には畳一畳分を残して水没する

そしてこの年の優勝商品は冷凍人間保存の会員権だったのです。うらやましいのか・・そうでもないのか・・
ともかくこの当時としては人間を冷凍保存なんて夢の様な話でしたので記憶に残っています。



現在でも全国高等学校クイズ選手権は継続されていますが、たかだか2時間では出場者に全然感情移入できません。アメリカ横断は飛行機搭乗の前にじゃんけんが組み込まれており、前回のチャンピオンがじゃんけんで負けるといった不条理さがまたおもしろかったりしました。
毎週出場者のさまざまな人間模様を観ていると、自然と肩入れする人も出てきたりして、このクイズ番組の形式は画期的だったと思っています。バブル期ならではの番組だったのでしょうか?またこの番組が観れる様な時代が来れば良いのですが・・

決戦は・・嵐の金曜日・・のライオン

2006年09月08日 20:48

皆さん、こんばんわ 
金曜日の晩をいかがお過ごしですか?

週休二日制の場合には休日の前日となることから、「花の金曜日」(花キン)なんて呼ばれていますね。土曜が仕事でもフライデーナイトと思うと不思議と気分が高揚します。なんでだろう?
おそらくまた私の病気で、思春期に聴いてた金曜を題材とした曲の世界感が自然と刷り込まれていったせいだと思います(笑)




金曜日のライオン / TM NETWORK
kijhfrooo.jpg
 TMのデビュー曲です。詩は当初、作詞家の方に頼んだそうですが、まだ無名だった為か全員に断られて、仕方なく小室さんがつけました。メンバーから「この曲はアフリカの大地を思い浮かべる」と言われそこからイメージを膨らませ、都会に住む男女をサバンナの動物に例えたのでしょう。金曜とライオンという言葉は歌詞にはどこにも出てきません。



嵐の金曜日  /ハウンドドッグ
arasinokinyoubi.jpg

こちらもデビュー曲となってます。

ワイングラスの シェリーを飲みほせば~
It's so Friday~  Friday Night~


題名聞いてピンとこない女性の方でも、この歌詞の部分をカラオケで熱唱しているオジさま達を見た事ぐらいはあるんじゃないでしょうか? どうぞ許してあげてください。この曲は最高に気持ち良いのです(笑)



決戦は金曜日 / DREAMS COME TRUE
292.jpg

吉田美和さんは金曜日を
この夜がだんだん待ち遠しくなる 巨大な力が生まれる
心はやる この不思議な夜の力をかりて


と表現しています。完全休みの日曜では生まれない、金曜ならではの力というのは確かに存在しますね。



FRIDAY MIDNIGHT BLUE  B'z
RISKY RISKY
B’z (1990/11/07)


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後世に残る様な名曲じゃないと思いますが、私の年代で「RISKY」(アルバム)を聴いた事無い人の方が少数だと思いますので一度は耳にしてるのではないでしょうか。
売れない画家のタクシードライバーの話で、実際に稲葉が乗車したタクシーで聞いた話だとかで、金曜は早く家に帰りたいよと叫んでおられます。全く同感。現実を乗車拒否できないのが辛いとこです。



フライディ・ナイト・レビュー 吉川晃司
パラシュートが落ちた夏 パラシュートが落ちた夏
吉川晃司 (1998/06/10)


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吉川晃司のファーストアルバムの一曲目の歌です。何よりこのアルバムの題名が「パラシュートが落ちた夏」というのになにか1984年を感じました。


ここ最近では宇多田ヒカルがtravelingで
仕事にも精が出る 金曜の午後

m-floのcome againで
it's Friday I want to play,
金曜日のスカラに君を忘れに踊り明かすよ 今夜


わがままジュリエット(BOOWY)
FRIDAY NIGHT 笑い声が思い出に染まる

(その他皆さんが金曜に思わず口ずさむ曲ありましたら教えてください)


急にはなかなか思い出せませんが、その他にもたくさんの金曜を題材とした曲を聴いて育ってきました。それぞれ切り口は違えど、若い時の金曜日の持つ意義の大きさを歌っておられます。


ともかく金曜の夜は家にいる日じゃないのです!








え~~と・・

ライオンにもなれず決戦する様な事は何もなく
ビール片手にこんなブログを書いてる私の金曜は・・


若気の至りで観てしまった映画

2006年09月06日 22:35

現在、映画は何十年前の作品でも簡単に観る事ができる。

南極物語、里見八犬伝、セーラー服と機関銃・・・
時代が経った今でも、もう一度観てみたい作品はたくさんある。

しかし当時若気の至りで観てしまい、もう2度と観ないであろう映画というものがある。
そういった作品は、当時のアイドル、ミュージシャンが主演の作品がほとんどだ。
私が思春期に観た2度と観る事のないであろう作品を思い出してみた。



ぼくらの七日間戦争(1988)
ぼくらの七日間戦争 ぼくらの七日間戦争
宮沢りえ
角川エンタテインメント

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ここで紹介している作品の中では一番のヒット作品ではないかと思います。校則が嫌になった中学生達が戦車を使って立て篭もるね・・・・あるある(笑)。注目すべき点は宮沢りえと同等の扱いだった菊池健一郎があの人は今?状態になっている事と、ぼくらの七日間戦争が3年後に製作されたが誰も知らない点です。





ロックよ、静かに流れよ 1988年
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男闘呼組

『淋しい時、楽しいとき、俺たちはダチ・Friends がいて、ROCKがあった。』
映画の内容は完全に忘れてしまっているのですが、この映画にはキザなセリフ、仕草が満載でそればかりが記憶に残っています。もう2度と観る気はありませんが、ジャニーズ映画にしては男でも観れる作品で、そんなに悪い作品じゃなかったと思います。




はいからさんが通る(1987)
はいからさんが通る はいからさんが通る
南野陽子
東映

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ナンノを飛躍させるきっかけとなった映画。アイドル映画としてはかなり成功した部類に入ると思います。しかし原作を知らないせいか映画の内容の記憶が全くありません(笑)それよりスケバン刑事の映画版の方が鮮明に記憶に残っております。



ふ・し・ぎ・なBABY
これから物語 ~少年たちのブルース~
(1988年)
testtst.jpg
…これから物語/ふ・し・ぎ・なBABY / 光GENJI

さすがにこの映画は未見です(笑)女性の方は観た方もいるのではないでしょうか。ふ・し・ぎ・ながGENJIの5人が主演で、これから物語は光の2人が主演だったように記憶しております。今なら誰がこんな映画を観るのだと思ってしまいますが、当時の光GENJIの爆発的人気を知っているので決してバカにはできません。



六本木バナナ・ボーイズ(1989)
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六本木バナナ・ボーイズ / 仲村トオル 清水宏次朗

BE-BOPの成功から2匹目のドジョウを狙いますが、シリーズ化するには程遠い興行成績となっています。このバブル期「六本木心中」「六本木純情派」のヒットで、六本木を付ければヒットするだろうという浅はかな考えが見え隠れします。



七人のおたく(1992年)
七人のおたく 七人のおたく
ウッチャンナンチャン
ポニーキャニオン

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「おたく」という言葉がまだ新鮮だった頃の作品。当時絶頂期だったウンナンとフジテレビ製作という全面バックアップで見事に洗脳されてしまいました。一度観ればお腹いっぱいの作品です。



すかんぴんウォーク(1985年)
sukanpin.jpg
すかんぴんウォーク / 吉川晃司
吉川ファン以外が観れば暴動が起こること確実な映画。冒頭で広島から東京湾までバタフライで泳いでくるというシーンがあるのだが、そのありえない設定を受け入れられる心の広さがあれば、この映画は楽しめると思います。



TANTAN たぬき(1985)
CHECKERS in TAN TAN たぬき CHECKERS in TAN TAN たぬき
チェッカーズ
ポニーキャニオン

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ストーリー
タヌキの国の若者7人が人間に化け、チェッカーズというバンド・グループを結成する。ところが、それを知った秘密組織はボーカルのフミヤを誘拐してしまう。仲間たちはフミヤを救おうとするが……。チェッカーズ主演のファンタジー。


・・・・・・
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尾崎豊が太陽の破片となった日

2006年09月05日 20:34

1988年 6月22日 この日尾崎は「夜のヒットスタジオ」で最初で最後のテレビ出演をした。

尾崎がテレビに出るというだけで事件だったが、この放送はさらに注目を集める理由があった。


1987年 12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕される
1988年  2月22日、東京拘置所から釈放。
     この四ヵ月後 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」にテレビ出演。


この「太陽の破片」はドラッグに依存するまで追い詰められた状況、そして三ヶ月の拘置所生活の中でもがき続けながら生み出した曲である。これだけの条件が揃ってれば、当然私はテレビの前で尾崎の登場を待ち続けた。この曲どうこう以前に、尾崎が普通にしゃべっているのを見た事すらなかったからだ。



尾崎はリハーサルよりも質素な格好で本番に臨んだ。
そして伏し目がちで言葉少なめにこう言った。

尾崎 「どうも、ご心配をおかけしました。
僕の素直な気持ちを曲にして、これからずっと歌っていきたいと思ってます。」
古舘 「多くの言葉よりも今日の曲はホントに今の心情を彼本人が伝えてますので、是非皆さん聴いて欲しいと思います」

尾崎スタンバイ

古舘 「カメラリハーサルの時も僕達聴かせてもらいましたけど、本当にグっと胸にくる歌であるのは間違いないですね。では歌って頂きましょう」


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歌いだしから度肝をぬかれた。
当時の尾崎の印象はもっとスマートなイメージだったが、恥も外見も捨て顔をくしゃくしゃにしながら感情むき出しの叫びから入ったのだ。


夜ヒットは歌詞の字幕表示は無かったが、この曲には字幕がついた。

「昨晩 眠れずに失望と戦った・・」

当時中学生に成りたての私がこの歌詞の重さなどわかるはずもないのに、
どんどん吸い込まれていく感じがした。

この曲はノーカットのフル演奏で6分以上にも渡った。

最後に咆哮にも似た叫びを繰り返し、この曲は終わった。
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歌い終わりと同時に出演者からスタンディングオベーションがおこる。


動画 http://jp.youtube.com/watch?v=nn2Rc9pA05A

尾崎を「I LOVE YOU」や「15の夜」としか把握してない方は、上記の背景を踏まえて是非観て欲しいですね。


まだガキだった自分に歌には力があるんだと教わった瞬間だった。
彼の絶望、苦悩、かすかな希望がこの6分ちょっとながら伝わってきた。

日本中で同様に感じた人はいただろうし、古舘伊知郎も5年間もの夜ヒットの司会にてこの尾崎の「太陽の破片」が一番印象に残っていると語っている。



尾崎はこの三ヵ月後に東京ドームを満員にしてみせた。

しかしこの4年後に帰らぬ人となった。



若くして死ぬとすぐ神秘化され「伝説の~」と後世に語られがちだが、
幸か不幸か戦国時代の偉人とは違って、尾崎を知らない世代もこの映像は見る事が出来る。
それぞれの世代が評価すればよい訳で、時代背景無視で受け入れられた時にはじめて「伝説の~」と呼んで良いのではないだろうか。そういった意味でこの放送は後世貴重な資料となるのは間違いない


今や廃盤の「太陽の破片」のジャケット
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太陽の破片 / 尾崎豊

ただのイメージショットとは思えぬ絵力に、改めて尾崎の偉大さを感じます。


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