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さんまに学ぶ切り替え力

2007年04月28日 07:04

ブログを書く日は、ドタバタしながら時間との戦いになる事が多い。
先日も、家帰ってからネクタイも外さず勢いで書き上げ、その後、飯、風呂など一通りの事をすますと、時計も既に1時を回り、書いた記事の誤字脱字チェックだけして布団に入ろうと思った。

すると、その記事に一言コメントが付いてるのを見てしまった。もう批判なのか落書きなのかわからない一言コメントで、この手のコメントは残念ながらそんな珍しいことでもないので、いつも通りスルーすることにした。しかし布団に入ったものの、なにを読んでそんなコメントになったのか、自分の書いた記事を無性に読み返したくなった。

しかし、時計を見ると1時半になっている。ブログは仕事ではないわけで、睡眠を優先しないといけない。「鈍感力、鈍感力・・」と暗示をかけるようにつぶやき、布団をかぶった。

だが、それが気になっているのか、なかなか寝れない。まいった・・。結局、読み返すはめとなり、改めて読み返してみると、ますますそのコメントが見当違いに思えた。
最初は丁寧にその批判に応対して書いていたが、時計をみると2時になろうとしていた。たった一言のこのコメントのせいで、こんな時間まで起きる事になってるのかと思うと、最後は結構強めにコメントを返していた。こうなってくると直接関係ない外部要因がますます怒りに火をつけてくるのだ。

次の日、冷静な状態で読み返すと、返信するにも値しない、なんてことないラクガキだとわかった。だが人間怒りに火がつくと、周りが見えなくなっていくものだし、自分でなかなか鎮火はできない。

そんな中、かなり深夜にやっていた「さんまのまんま 総集編」を見て、さんまさんに学ぶ部分が大いにあると思った。


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魁!宮下あきら塾

2007年04月24日 22:05

「魁!!男塾」における数々の奇想天外なアイディアとそれに伴う矛盾は、作者である宮下あきら先生を知る事によって、より作品の深みが増します。宮下先生のインタビューから一部抜粋して、先生の魅力を紹介させてもらいます。



<初期の頃について>

--男塾といえば、なんといっても江田島塾長なんですが、こういったオヤジしかいない!って感じだったのでしょうか?
(宮下) あの感じ、なんだか右翼の塾長って感じするよね(笑) オレは特殊な集団が好きなんだよね。相撲部屋とか、自衛隊とか、応援団とか、ちょと封建的な感じの集団が。


--男塾という設定自体にインパクトありましたよね。硬派な野郎どもの集まりで、時代錯誤な根性主義を振りかざすという・・。賛否両論あったのでは?
(宮下) 右翼から脅しの電話があったね(笑) 最初の方で街頭でふんどしを売る回があったんだけど、あれがそっち方面刺激しちゃったみたいで。右翼が好きそうな古めかしい言葉使ってたんだよね。

otokojuku211.jpgotokojuku01.jpg
コミック第一巻 「特撮!江田島物語」より


--最初のギャク中心から、だんだんバトル中心の内容になって・・?
(宮下)あれは他の漫画の影響もあったけどね。バトルって人気取りやすいじゃない。


--で、驚羅大四凶殺から大威揮八連覇と、戦いの舞台が広がっていって、いろんなキャラクターが登場するわけなんですが・・
(宮下)顔が似ちゃうんだよね。かなりの人数いたからね。
27otoko.jpg26otoko.jpg
左 飛燕(ひえん) 右 紫蘭(しらん)


--キャラクターに関してはファンの反響は大きかったんじゃないですか?
(宮下)キン肉マンの超人みたいなのを送ってくるのがいた(笑)



<民明書房刊について>

--技の名前とか異様に難しい漢字が使われたりしてますが、あれはいろいろ調べたんですか?
(宮下)あれはネームの段階では○○ってなってて原稿仕上げる直前になって、漢和辞典から使えそうな漢字を羅列してただけなんだよね。それで、写植屋が困っちゃってさぁ。


--民明書房とかの解説コーナーはもっともらしいつくりになってますが、あれは色々と調べられたのですか?
(宮下)エセ科学的なもっともらしさがないと、面白くないからね。「こんなことあるわけねえだろう」「いや、本当かも」っていう、絶妙な境目がミソなんだよね

--読者の間では(民明書房の真偽が)論争になってましたが?
(宮下)大人でもいるんだよ。マジメにな抗議をするヤツが。ゴルフの発祥が中国の「呉竜府(ごりゅふ)」ってヤツから始まったって描いたの。そしたら大人の読者からマジな電話が掛かってきてさ、「ゴルフの起源はイギリスです」だってさ(笑)

dorufu2007.jpg




<原稿の仕上げについて>

--原稿は何日ぐらいで書き上げていたのですか?
(宮下)まぁ、20ページを3日ぐらいじゃない?今も週刊誌だけど早いよ。
2日ぐらい。ネームやらないでいきなり描くから
(注釈)ネームとは、原稿に入る前のストーリーやコマ割り、セリフなどを決める絵コンテの様なもの。通常の漫画家はここに一番時間をかける。


-- 2日? 描き始めるとガァーと描いちゃう方ですか?
(宮下) そうそう。その方がアドリブ的なおもしろさがあるんだよね。その回の「技」が決まると、だいたい話できちゃんだよね(笑) それに「友情」「根性」を混ぜ合わせて、ちょと「泣き」を振りかけて。

--打ち合わせは白熱されたんですか?
(宮下) うーん。そうでもねえな(笑)



男塾の数々の矛盾や後付けが何故起きたかわかった気がします(笑)
宮下先生の決して読者に媚びる事無く、我が道を突き進むその姿は、第1話に出てくるどんな障害物があっても決して曲がる事の許されない「男塾名物 直進行軍」で既に宮下先生の意思表示が成されていたのかと思ってしまいます。



参考文献:
魁男塾である 魁男塾奥義の書
宮下 あきら 集英社


「六本木心中」が完全体となった日

2007年04月23日 22:19

一度でいいから年上のお姉さまに言われてみたいセリフがある。

ちょっと場末のシネマしてるね」 と。

たった一言ながらどれだけ非日常で、なおかつ刺激的なセリフなんだろう・・
私がいくらハードボイルドに生きてみたって、所詮はラビット。
「あなた売れないジゴロみたいね」とあしらわれるだけだろう。



日本がバブル経済への階段を上り初めていた1984年

アンルイスのヒット曲「六本木心中」はこの年に生まれた。

この年は
「六本木CRY」 シブがき隊
「雨の西麻布」 とんねるず
「六本木純情派」 荻野目洋子

など六本木を題材とした曲が数多くリリースされていた。

その中でもこの「六本木心中」は、今でもカラオケで歌われる定番ソングとなっている。

この曲の持つパワーって、本当にすごいものがあると思うんですよ。
作曲は、吉川晃司に「モニカ」、「ユー・ガッタ・チャンス」、ハウンド・ドッグ「浮気な、パレット・キャット」などを提供した事でも有名なロックバンドNOBODY
作詞は「恋におちて」(小林明子) 「センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代)など独創的な歌詞を創る事で有名な湯川れい子
この黄金コンビは同じくアンルイスの「あヽ無情」でもタッグを組んでいる。

この曲は歌謡ロックという特殊なジャンルを生み出した曲でもあり、これ以上の曲は未だない。


たしか数年前に今の時代で考えれば適役であろう相川七瀬がこの曲をカバーしたが、
相川のワイルドさを持ってもいまいちしっくりこなかった。

やはりあの時代に、アンルイスが歌うからこそ、この曲は活きてくる。
そしてこの曲のポテンシャルをあますなとなく発揮した瞬間を今でもはっきりと覚えている。

それは夜ヒットでアンルイス+吉川晃司でコラボした時だ。

20070423205331.jpg


なぜこのコラボがこの曲のポテンシャルを最大限に出せるのかというと、いくつか理由がある。

吉川晃司といえばアン・ルイスの弟分とも言われ、彼が音楽事務所ではなく、芸能事務所であるナベプロに入った理由は「アン・ルイスとジュリーがいるから」と本人は言っている。

アンルイスは既婚だったが六本木に吉川を連れまわし、その姿をみて作詞家の湯川けい子がこの詩を書いたとされる。

その証拠に、この曲のイメージは女性に命がけになる年下を描いた歌である。この2人が歌った時点で、もはやこれはノンフィクションの歌なのだ。

吉川の担当は主にハモリ&コーラスとなるわけだが、以前「BE MY BABYの衝撃」で紹介した通り、彼がフリータイムをおとなしくしている訳もなく、生放送ギリギリの内容でアンルイスと濃密にカラミだす。

20070423220353.jpg



この放送は後にダイジェスト版で幾度も放送され、この時の2人のエロパフォーマンスもあいまって、六本木、バブルなんて知らない当時の子供たちの脳裏にも焼きついており、大人になった現在、つまらない日常から刺激を求めて夜の街を彷徨うときに自然と「六本木心中」を唄いたくなるのです。
こうして23年経った今でもこの歌は夜の街で歌われ続け、愛され続けているのです。

仁義なき戦い めんこ代理戦争

2007年04月20日 20:40

(ナレーション)
仁義なき戦いとは、仲間内の仁義や義理を欠いた、不条理な内輪もめの事を指す。
昭和○○年 戦後経済成長を続ける日本において、青春の欲望がほとばしるままに、暴力世界の制覇に命を燃やした若者がいた。そこには血で血を洗う仁義を欠いた一大抗争があったのだ。



ちょと慣れん広島弁に挑戦しとるから、読みにくいかもしれんけどわしの昔話を聞いてやってくれや。

最近の若いもんは「ムシキング」 「ラブandベリー」みたいなもんでうつつをぬかしよるみたいやの。
ワシが若い頃にゃ、面子(めんこ)を代理とした命の殺りあいが日本全国で起きとったんじゃ。
関西の方じゃ「べったん戦争」 東北じゃ「ばった戦争」とも言われとったわ。

道具の種類も長方形の角メンと、まるっこい丸メンつうのがあったわけじゃけど、わしら時代は丸メンじゃ。

gandamumenko33.jpg



基本面子の殺りあいっつうのは、

手打ちにするか (メンコが裏返る)、
ケツかぎよるか (メンコが下を通過する)、
いもひく (メンコが決められた枠からでる)
たら終わりや。

そうやったものが、その面子(めんこ)の跡目を継ぐ資格があるんよ。

ukemi.jpg


中にはめんこの左上に描かれとるグー、チョキ、パーを使って、平和的な交渉で杯交わすものもおったけど、基本めんこは血で血を洗う戦争方式が一般的じゃ。

戦争は最後にモノ言うのは数じゃけん、そりゃ、壮絶な兵隊の奪い合いとなるんよ。
めんこの角に折り目なんてあったら、そこを狙われてすぐ殺(と)られる。
若いもんはすぐ気抜いて角を立たすから、わしもアイロン掛けしてピンと緊張感持たすのだけは、欠かせんかったわ。
いっぺんでも後ろに回ったら死ぬまで頭をとれんのじゃけえ、こっちも必死で技を磨くんよ。
そうやって長い間、とったりとられたりの攻防が続いとったんじゃけど、ある時、仁義を欠いて道具を改造して強化するボンクラがでよったんよ。

めんこにロウソクをかけて強化する 通称、「ロウめんこ」よ。

これに改造すると攻撃力も防御力も格段にあがるんよ。
これにはわしんとこの兵隊もいっぱい持っていかれたんじゃけど、
こっちもオジキ(お気に入りガンダムメンコ)だけは、どうしても持っていかれとうなかったんよ。
あのボンクラどもが先に仁義破ったんやけん、こっちもロウで固める作戦にでたんじゃ。


(ナレーション)
戦いが始まるとき、まず失われるのは、若者の命である。
そして、それが報われることはない。
仁義を欠いた戦いはさまざまな因縁を生み、その因縁は次々に新しい戦いの種をまく事となる。



ロウめんでだいぶ相手の兵隊も殺って、こっちも数増えてきたと安心しとったら、
今度は出店の宝くじの景品からアイツらとんでもない鉄砲玉をよこしよったんよ。


dekamen33.jpg
巨大メンコ


通常10cmの道具で戦っとるのに、そいつは直径35cmもありよったんよ。
こっちの攻撃はビクともせんのんじゃ!
そいでそいつが一回振り落とすと、その風圧でこっちは4~5人が一気に吹き飛び、しかも5回転も回りよったんじゃ・・

さすがのワシもイモひいて、この戦いを持って引退を決意したんじゃ。



(ナレーション)
こうしてエスカレートしていっためんこ代理戦争は、家庭用ゲーム機の登場をきっかけに、昭和の終わりと共に衰退していった。
人間の社会から弱肉強食がなくなるのは果たしていつの時だろうか・・



外野を黙らせた「ENDLESS RAIN」

2007年04月19日 20:43

僕が特定のロックバンドにのめり込むキッカケは、いつでもバラードにある。

『時間よ止まれ』を聴いた時に、僕の中で矢沢がE.YAZAWAとなった。
『CLOUDY HEART』を聴いてからは、胸にしみる事がある度「こりゃなに?」と呟く様になった。

良作のバラードに出会うことの出来なかったロックバンドとは、一時的な短い付き合いで終わっている傾向がある。


前振りはこの辺で、今回紹介したいのはXの「ENDLESS RAIN」である。

endressrain1.jpg

このブログで曲を紹介する時は毎回テーマを決めて書いているのだが、
今回は「外野を黙らせたこの一曲」として書いてみたい。


Xが最初メジャーデビューしたとき、私はその姿形からキワモノとしか見ていなかった。
メジャーデビュー曲である「紅(くれない)」を歌う姿をMステでみた時は、その奇抜な髪型、メイクばかりに目が行き、全く音楽が耳に入ってこなかった。カラオケで歌うときに「リンダリンダ」同様に、バカ騒ぎしたいときに「紅」のスローテンポから突然タテノリに変わる部分を茶化して遊んでいるだけだった。そう、私の周りではXとはそういう存在でしかなかった。

私も含めそんな世間の勝手な偏見を一蹴したのが、2ndシングルのENDLESS RAINだったと思う。


Endless Rain X JAPAN -PV(YouTube)

この曲を聴いてXのイメージが一変したのをよく覚えている。

こんなきれいでやさしいピアノイントロは過去知らない。
その繊細なピアノに、途中から加わるTAIJIベースがなんとも心地よい。
前奏の段階で聴くもの全てを引き寄せるそのメロディにやられていた。

間奏のHIDEとPATAのギターソロのハモリは、まるでギターが声を出して歌っている様に聴こえる。
聴き終わった後に、雨に打たれて全てが洗われる気になってしまうから不思議だ。


この曲の「静」の部分の評価があるからこそ、彼らの「動」にも興味を持ち出すのです。あれほどバカにしていた友人達がいつの間にか「BLUE BLOOD」を持ち歩いてるのを目撃した。見掛け倒しではない音楽性の確かさがそこにあったのです。たった一曲で彼らへの偏見を吹き飛ばすこととなったのです。

その後のXの出すバラードは本当にスベリ知らずだった。

Tears
Forever Love
Say Anything
Crucify My Love
Longing
THE LAST SONG


ロックの魂は「バラード」にも宿るのです。

マンガ史上 究極の金持ちは?

2007年04月18日 21:15

世界一の大金持ちであるビル・ゲイツの総資産は5兆7260億円だと言われている。
全盛期には12兆円あったとも言われ、その額は計り知れない。国内だと孫正義の総資産5000億円などがあげられる。

マンガ界での究極の金持ちになると誰になるだろうか?
小学生並みの次元の話ですが、私の知っているマンガの範囲内でマジメに考察してみます。


<庶民的な金持ち>
ちびまるこちゃんの花輪くん
キテレツのトンガリ
ドラえもんのスネオ
ハイスクール奇面組の若人蘭 
カメレオンの松岡英二
特攻の拓の天羽セロニアス時貞

どのマンガにも一人は存在する現実でも近場にいそうな金持ちがモデルになっている。



<世界有数の金持ち>
白鳥麗子
ドラゴンボールのブルマ
グラップラー刃牙の徳川光成
カイジ 兵藤和尊
男塾 藤堂兵衛
マンダム親子のマンダム金田

決して近所にいる金持ちとは違い、国で数人しかいないであろう規模の金持ち



<金の支出が激しい金持ち?>
ゴルゴ13
ルパン3世
ブラックジャック

ゴルゴ13は莫大な預金を持っていると予想されるが、国連に200億ドル(2兆円)を突然寄付したりと金への執着はあまりみせない。ブラックジャックも同様高額な報酬を要求するが、相手の決意の度量を測るためのことが多く、その金の使い道は寄付したり捨ててみたりと大雑把である。



<マンガに登場する架空の巨大財閥>
スピードワゴン財団 (ジョジョの奇妙な冒険)
ヨツバグループ   (デスノート)
カプセルコーポレーション(ドラゴンボール)
秋元財閥      (こち亀)
藤堂財閥      (魁!!男塾)
徳川財団      (グラップラー刃牙/バキ)
大河原財閥     (花より男子)
オルガン財閥    (パタリロ!)
グラード財団    (聖闘士星矢)
剣菱財閥      (有閑倶楽部)



そんな金持ちキャラの中でも群を抜いているであろう5人を取り上げたい


こち亀の中川 圭一
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世界有数の大富豪・中川財閥の御曹子であり、1秒に1億稼ぐと言われる中川コンツェルンの持ち株会社で社長を兼務する。日本でこの企業に対抗できるのは、秋本麗子の両親が経営するグループ「マリイ・ローラン」(年商7兆円)であると言われている。
中川グループの発展は世界経済の発展と同じともいわれ、90年のバブルは中川の「土地を買おう」の一言で始まったとされる。

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「中川や麗子は金持ちなのになんで派出所に勤務してるの?」との素朴な質問は、「赤ちゃんはどうやって生まれるの?」と同様、今後も子供達の間の定番の質問となるでしょう。




うる星やつら面堂終太郎 
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・私設軍隊をも持つ面堂財閥の跡取り息子
・本人曰く「たかだか資産5兆円」らしい。
・初登場もヘリコプターで高校へ転校してきた。
・通学方法も車は当然、戦車、戦闘機通学も許可されている。




ラッキーマン 不細工です代
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・埼玉の2/3、長野の1/4、その他合わせて日本の1/5は不細工家の敷地
・アメリカ軍より強い300万人の私設軍隊を持っている。
・描いた絵は50億、作った壷は30億とあらゆる才能を持ち合わせ、その外見を除けばパーフェクトである。




御坊茶魔
kanemoti21.jpg

・耳には砂金、鼻には黒真珠、歯にはダイヤモンド、ヘソにはエメラルド、尻には金塊と
総額時価三億円相当を詰めている。
・毎月のこづかいが1500万しかないとしょぼくれる。
・トイレットペーパーが万札
・その他エピソードは多数




パタリロ
patarirok.jpg

・その経済力と政治力で、世界経済・政治をコントロールできる
・掘り尽くせぬほど無尽蔵なダイアモンド鉱山を持ち、そんな国土を丸ごと持っている
・世界中の王家、名家に閨閥がある

(コメント頂いた分、追加させてもらいました。ありがとうございます)



金持ち度合いは作者のさじ加減ひとつでどうとでも変えれるわけで、その総資産が重要ではなく、いかにその金持ちキャラをネタに本作に貢献出来ているかが金持ちキャラとしては最も重要なのです。

そういった意味でやはりそのエピソードの多さから「おぼっちゃま君」と「中川圭一」に一票入れたいと思います。

バラードのように眠れ!

2007年04月17日 21:11

私は床屋に行くとカット中は、基本黙って目をつぶっている。カット以外の事を話しかけられたら、人として最低限の受け答えはするが、(ちょと寝たい)という空気を出し、けん制してしまう。床屋さん泣かせなのは重々承知しているが、こうなってしまったのには、10年前の床屋でのある出来事が原因なのです。


■10年前の床屋の話
その時に初めて立ち寄った床屋だったのですが、担当の人がとても話上手な人で、だいぶ年上に見えましたが、当時20そこそこの私に合わせてくれ、舌の乾く間もなくマシンガンのようにしゃべってくれる人でした。
決して一方通行な話をするのではなく、「どこ住んでいるのですか?」など、私への質問の答えを土台としながら話を広げ、会話しながら笑わせてくれるといったスタイルでした。

10分もするとすっかり床屋さんのペースにはまっていて、カガミに映る自分にふと目をやると、自然と笑顔になっていました。お客を乗せるのが本当に上手く、普段無口な私も自然と口数が多くなっていくのがわかった。

話が盛り上がっていくと、その人は偶然にも私の地元から大学へと移り住んできた街に、居住経験がある事が判明しました。これによりお互い一層の熱を帯びていったのは、言うまでもありません。地元トークほどその人との距離を縮めるものはありません。

明らかに興奮し声も大きくなっていきました。変な話ですが意気投合したとの言葉が的確かもしれません。

そして今度就職先で東京の○○区に住む事になると話すと、その床屋さんは奇声にも似た声で驚き
「えぇーー! 私もそこに住んでいたんですよ!! 私が経営する店(床屋)もまだそこにあるんですよ! 本当に奇遇ですねぇ!!(笑顔)」

興奮が頂点に達した瞬間だった。
あまりの奇遇に私は気分が高揚してしまい、それまで普通の受け答えに終始していましたが、おもしろい床屋さんに習って、何かジョークめいた事で返そうと思った。もちろんチキンな私が人前でジョークを言うなんて初めての試みであったが、その場の空気が大丈夫だと背中を押してくれた。
住んできた地域がとことん一緒という話の流れで、私がとっさに言ったジョークは・・


私 「あはは・・もしかして僕の追っかけですか?(笑)」


床屋さん 「・・・・」




だ・・黙った!
いや、黙らせたが的確な表現だろう。
プロの喋り手を絶句させてしまったのだ。

私の人生でちょくちょくある事なのだが、Dioのスタンド能力を身につけたのか、どうやら時が止まったようだ。

・・・・・

どれだけ時が止まっていたのだろうか・・
正面のカガミには、急に無口となりハサミに集中しだした床屋さんと、さっきまでの笑顔はどこえやらで、居たたまれない表情で石原都知事なみに瞬きを繰り返している自分が映っていた。


あれ・・こんなにもハサミの音が響く店だっただろうか?



あぁ・・なんでこんな空気を一変させる事を言ってしまったのだろうか・・

もう、魔が差したとしか言いようがない。
勝手に距離が縮じまったと勘違いし、十年来の親友に向かっていうような事を言ってしまったようだ。相手は仕事でしゃべってる事がガキの私には理解できてなかったようだ。初ジョークにしては毒がありすぎた。

冷静に考えれば向こうの方が先に住んでいたのだから、言うならば私が追っかけである。
20そこそこのガキに僕のおっかけなんて言われ気を悪くしたんだろうか・・
それとも「こいつ調子にのりやがったな」とイラついているのか・・

いやいや、待てよ・・
そんなに失言だっただろうか? 
たまたまカットに集中する作業で、黙っていたのかも知れない。
そうだとしてもタイミングがあまりに悪すぎた。私のデビュー戦は炎上し、KOされたのだ。

何故黙ったのかの真偽は未だに不明ですが、あれから10年経った今でも事故前後の風景がくっきりと脳裏に焼きついているのです(笑)


そんな事もあり、今は床屋に行くとバラードのように眠るだけなのです。

「80年代懐かし画像集」 追加分

2007年04月13日 21:23

80年代の懐かし画像集を作成してから、その後少しですが溜まったものを追加しました。
本ページが重くなっているので、今回追加したものだけを下記に載せておきます。



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WAKU WAKUさせるDVD利権

2007年04月11日 22:15

浮き沈みの激しい芸能界の中でも、中学生からデビューしていた中山美穂の経歴は、主演したドラマ一覧からわかるように大きな波風のないとても安定したものだったと思う。あまりドラマを観るほうじゃないのですが、それこそ小学生の頃から現在の大人になるまで、彼女のドラマの成長と共に育ってきたと言っても良い。

<中山美穂 出演連続ドラマ>

1985年 毎度おさわがせします(TBS系)
1985年 夏・体験物語(TBS系)
1986年 セーラー服反逆同盟(日本テレビ系)
1986年 な・ま・い・き盛り(フジテレビ系)
1987年 ママはアイドル(TBS系) 
1988年 若奥さまは腕まくり!(TBS系)
1989年 君の瞳に恋してる!(フジテレビ系)
1990年 卒業(TBS系)
1990年 すてきな片想い(フジテレビ系) 
1991年 逢いたい時にあなたはいない…(フジテレビ系)
1992年 誰かが彼女を愛してる(フジテレビ系) 
1994年 もしも願いが叶うなら(TBS系) 
1995年 For You(フジテレビ系)
1996年 おいしい関係(フジテレビ系) 
1998年 眠れる森(フジテレビ系) 
2000年 二千年の恋(フジテレビ系) 
2001年 Love Story(TBS系) 
2002年 ホーム&アウェイ(フジテレビ系) 


中山美穂のドラマは、時代と共に大きく3つに分類できる。

アイドル色を強く押し出したお色気たっぷりの10代の頃の作品
月9を中心とした切ない恋愛を打ち出したトレンディードラマ中心の20代前半の頃の作品
シリアス色を取り入れたストーリー重視の20代後半から30代にかけた作品


普通、成年男子ならここで「毎度おさわがせします」「夏・体験物語」辺りのエロい思い出と共に何か書くものだが、少女コミックを隠れて買った事もある私は、あえてトレンディードラマ全盛期の作品である「すてきな片想い」を取り上げたい。

nakayamamihoa.jpg
すてきな片想い(1990年)主演:中山美穂:柳葉敏郎

「逢いたい時にあなたはいない…」も好きだったが、相手役の大鶴義丹と聞くと「オレ達のオーレ!」の黒歴史がどうしても頭からは離れず集中できない為、今回は断念した。

すてきな片想いは月9の中で、「東京ラブストーリー」、「101回目のプロポーズ」と共に「純愛三部作」と括られていた最初の作品であった。このドラマの成功が無ければ、後の作品も無かったと大多亮は語っており、中山美穂は鈴木保奈美に、柳葉敏郎 は織田裕二に、そして相原ゆうは有森也実とその役柄を見事にバトン渡しているのです。


ごく普通のOLが電車の中で出会ったサラリーマンに恋をするが言い出せない。臆病かつ不器用な、切ない片思いを描いた作品なのです。クライマックスになると中山美穂の歌う「かたかた想い JINとしちゃう」と「愛してるって言わない」のサビのフレーズが流れてくるのです。

男の私が片想いに揺れるOLの気持ちをいろいろ書いても気持ち悪いでしょうから、少し別視点で書かせてもらいます。

このドラマの脚本は ヒットメーカー野島伸司によるものでした。
まだ名の売れてない野島伸司はその前年の1989年に、映画「君は僕をスキになる」という映画の脚本を担当していました。この映画、ストーリーがクリスマスに向かっての男女の4人の恋愛模様を描いた作品で、友情をとるのか自分の想いをとるかといった内容で、これは「すてきな片想い」とほぼ同一のストーリーなのです。

では何故、たった1年で別キャストに変えてドラマ化したのかとの疑問は映画のキャスト陣をみると納得しました。

映画「君は僕をスキになる」
主演、山田邦子、斉藤由貴、大江千里、

キャストを変えて焼き直しをした理由が少しわかった気がします。


といってもこの当時は山田邦子といえば高感度タレントで国民的スターであり、大江千里もこの時代のモテ男でトレンディードラマにひっぱりだこ、斉藤由貴だってモルモン教がどうたらなんて話がでるずっと前の話で、決してミスキャストではなかったと思うのです。

当時、映画、ドラマ共にスマッシュヒットをしたわけですが、近年この時代の映画やドラマが次々とDVD化される現状があり、その2次収益が莫大な金を生む昨今、主演の演者の今の好感度がさきほどの大鶴義丹の例のように、少なからず今の消費者への影響を及ぼし明暗を分けていくのかと思います。

冒頭で書いたように、大きく凋落する事なく正統派としてやってきた中山美穂ブランドは今も健在で、芸能界を離れ現在フランスに在住しながら休業中の彼女に高感度が急落する事は考えにくいのです。中山美穂のドラマでDVD化されてないヒット作品はまだ数多く存在し、これから先、中山美穂の過去ドラマという名の埋蔵金は、徳川埋蔵金並みの価値があるものとなり、莫大な金を今後も生み出していくと予想されます。

「竜王は生きていた」は生きていた

2007年04月10日 20:14

今回扱うネタはもしかしたら周知の事実なのかもしれませんが、私は先日知ったばかりで、
X JAPANのプロフィール欄の血液型が「X型」だった以来のインパクトだったので、
鮮度はありませんが記事にさせてもらいます。



その昔、週刊少年ジャンプ黄金期の巻末にジャンプ放送局という読者投稿型のページがあった。

ジャンプ放送局 20 (20)


小学生の頃、笑いのセンスが他の子よりも長けていると信じ切っていた私は、このコーナーに幾度となく練りに練ったネタを投稿したが、一度も掲載される事はなく全国区という壁の厚さを知り、その常連組のレベルの高さに、その後2度と筆を持つことはなかった。

今でもつわものの常連の名前は覚えている。
「錯乱坊主」 はTOP10入りの常連で、この名前をみない週の方が少なかった。
「岡田です!」 はイラスト掲載率が高く、女性ながら優勝を果たした唯一の職人であった。


そのジャンプ放送室の常連の中でも、一番メジャーなハガキ職人といえば

竜王は生きていた

ではないだろうか。

数ある掲載ネタの中でも、思わず笑ってしまうネタに目をやるとこのペンネームがあった。彼がここまで記憶に残っている理由は、1レースでは最高点となる125点を叩き出したり、唯一、連続優勝を達成したことなどがあげられる。

そして、何より記憶に残る戦士となる理由は、この当時、掲載競争率も含め全国で一番レベルが高かったであろう「ジャンプ放送局」において「竜王は生きていた」は、当時まだ小学生でありながら優勝してしまったのだ。後にわかった事だが年齢も私とほぼ同じで(1976年生まれ)、半ズボンで庭で遊んでいる頃にあのレベルのネタを投稿していたとはなんとも驚きである。どうやら父親がコピーライターで、テレビなどはほとんど見せてもらえず、ジャンプに投稿するネタをプロである父親のチェックを受けながら、毎日10本書かされるという英才教育を受けて育ったようだ。

そのあまりの強さに彼の名前をもじり、「竜王は強かった」「竜王は屁をこいた」や、「竜王」+「誕生日の数字」で「竜王521007」、「竜王521219」など彼を慕って勝手に結成された竜王軍団なるものもあったと記憶している。


ハガキ職人はその天性の才能を活かし、構成作家になるケースが多い。秋元康はラジオのハガキ職人時代にその才能を見出されて、後に成功した最も有名な作家だろう。また、そのまま芸人になったケースもある。
レギュラーのあるあるネタは、「となりのオヤジのイヌ逃がす!」や、「リハでふざけてケガをする!」などの一言ネタに、ラジオ向けのハガキ職人臭を感じずにはいられなかったが、やはりネタを考えている松本の方が、雨上がり決死隊、バッファロー吾郎のラジオ番組で、「焼肉パンチ」とのラジオネームで投稿常連だったという経歴を持っていた。


その後、「竜王は生きていた」はハガキ職人の天職ともいえる放送作家の道に進み、北本かつらというペンネームで、「トリビアの泉」「やりすぎコージー」「くりぃむナントカ」等を手がける人気放送作家になっていた。

月に行ったアポロのコンピュータの性能は 
スーパーファミコンの性能と同じである

この有名なトリビアを考えたのは「竜王が生きていた」氏らしく、この真偽はとりあえず置いておいて、その人を吸い付ける着眼点と表現力には往年の力を感じさせられた。どうやら、知らないうちに「竜王が生きていた」ワールドをブラウン管を通して大人になっても楽しませてもらっていたようだ。

そして昨年、芸人のだいたひかると結婚したという人気放送作家とは、この「竜王は生きていた」だったいうのだ。


だいたの毒のある一言ネタは「竜王は生きていた」のスパイスが加わっているのかと思うとなんとも興味深いネタに思えてきた。しかし、残念ながら今年の1月に既に離婚していたみたいだ。


ryuuouu1.jpg →ryouuou.jpg(北本かつら氏)

優勝して紙面に登場した際、柴田恭兵のようなサングラスを着用して登場し、そのHNから勝手に左のような荒々しいイメージを持っていたが、実際の竜王が生きていた(北本かつら氏)はとてもお茶目な方だった。


ともかく、かつての伝説の投稿戦士は間違いなく現世に生きていた。

ラビットのような臆病さと鈍感力

2007年04月06日 20:59

高所恐怖症が年を重ねる事にひどくなってきている。
自覚があるから自ら高所に出向くことは皆無なはずなのだが、先日テレビで高層ビルの窓拭きに挑戦という企画を見て、収録済みの映像のはずなのに膝の震えが止まらなかった。

この話にはポイントが2点ある。
ひとつは、高所恐怖症は精神科医の手助けが必要な不安障害であるという事です。

高いところに上って地上を見下ろして怖いというのは、人間なら誰しも持ちうる本能でこれを高所恐怖症とは呼びません。高所恐怖症とは地上にいる時やテレビ映像などで、対象となる状況・物が目の前になくても不安を感じたりやパニックになる事を指します。下に落ちてしまうのではないかという不安が常につきまとう病的な心理なのです。

もう一点のポイントは、ハタチを超えた頃からこの症状がひどくなっている点です。

学生の頃は観覧車なんて今では最強の絶叫空間も平気で乗れていたのです。昔は平気だったものが、大人になってダメになる事は大いにあります。子供の頃はカマキリやセミなど手づかみしていたものですが、今やゴキブリなど見ようものならカール君に勝てるほどの猛ダッシュで100メートル避難します。自宅に出ようものなら安全が確保されるまで漫喫生活となります。


一人暮らしなのに耳栓無しでは寝れなかったりと、年を重ねる事にゴルゴ13の言葉を借りるなら、ラビットのように臆病になっているのです。

性格は変わってないはずなにの、何故この臆病さばかりが日増しに増えるのか?

それを考察してみると、学生の頃は個が全てだと教えてこられ、その自分らしさを伸ばすことに重きをおかれていた。しかし、いざ社会にでて組織に属すると、出世や人間関係などで学生の頃に培った個はやすりの様に削られ埋没し、いつしか周囲を気にしながら空気をばかりを読んでしまう敏感力ばかりが身についてしまっているのです。



そんな状況の中、渡辺 淳一の鈍感力を読みました。

鈍感力
渡辺 淳一
408781372X



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ガールズバンドが冴えていた頃

2007年04月02日 21:40

1989年 7月第2週のシングルチャート

1位、世界でいちばん熱い夏 -プリプリ
2位、ANNIVERSARY  -松任谷由実
3位、Diamonds   -プリプリ

4位、嵐の素顔     工藤静香     
5位、トラブル・メーカー 南野陽子         
6位、夢の中へ   斉藤由貴        
7位、ごめんよ 涙  田原俊彦 
8位、Return to Myself  浜田麻里  
9位、さよならベイビー  サザンオールスターズ
10位SUMMER CITY TUBE  


この週のランキングは、時代が入れ替わった象徴的なチャートだったと今でも記憶している。

80年代のユーミンのすごさを改めて語るまでもないと思うが、アルバムを出せば新記録を塗り替え、女性の聴く音楽といえばユーミンといわれていたほどの占有率があった。80年は「女性がロックなんて・・」と言われていた風潮があったのだが、この年はプリプリがユーミンを挟むというガールズバンドのムーブメントが絶頂期となった年だった。
結局この「Diamonds」 「世界でいちばん熱い夏」は1989年オリコン年間チャートで1、2フニッシュとなった。前年の1988年は光GENJIが年間チャートの1~3位を独占しており、この年のバンドブームの勢いの凄さがわかる。

もちろん、今でもガールズバンドというのは存在しているが、成功しているのはアイドルとポップさを売りにしているバンドが多く、ロックを打ち出して成功した例は、80年代に集中している。


おおざっぱだがに、日本での女性ロックシンガーの流れを振り返ってみたい。

<80年代前半>
 山下久美子 
  ↓

<80年代中盤>  
 浜田麻里 
 中村あゆみ
 レベッカ 
 バービーボーイズ
 パーソンズ 
 SHOW-YA
  ↓

<80年代終盤>(黄金期)
プリンセス・プリンセス
PINK SAPPHIRE(ピンクサファイヤ)
GO-BANG'S


黄土色は女性のみのメンバーで結成されているバンド)

山下久美子、SHOW-YAの先人達の作った道があったからこそ、80年代後半のガールズバンドの商業的な成功があったのです。90年代に入るとガールズロックバンドは沈静化していき、JUDY AND MARY 、 椎名林檎などの形体へと変わり時代に合わせたロックへとバトンタッチしていったのです。

あの頃誰もが口ずさんだ「Diamonds」で、「ブラウン管じゃわからない」が、今やプラズマ、液晶テレビが主流となり、「針がおりる瞬間の~」とレコードの針から、ボタンひとつで何千曲と聴けるiPodへと様変わりしましたが、初めて電話する時にはいつの時代も震えるのです!
昨今、「NANA」のヒットにより80年代のガールズバンドのかっこよさが改めて見直され、ガールズバンドが再燃しているのに時代は回るんだなと感じさせられます。


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