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お前が舵をとれ

2007年05月31日 23:14

明日から6月だが、ちょうどブログを本格的に書き始めて1年が経つ事になる。まともに読めば半日以上かかるであろう目次をみながら、これを全部読んでくれた人などいるのだろうか?とふと考えた。3日坊主な私にしては、すごい量になった。

私がここまで継続できている理由は、自分責任編集の雑誌を擬似出版している編集長感覚の楽しさに尽きる。

表紙、ページ(ジャンル)の割り振り方、扱うネタ、その切り口と論じ方、後書きにくる本音とグチ、すべてが私の思い通りなのだ。ブログはTVやラジオとは違って自然に入ってくるものじゃなく、見に行こうという意思がなければ辿り着かない。この雑誌もつまなければ人が来ず廃刊するだけで、その評価は直にやってくるのがシビアでまたおもしろい。

この1年、うまく行かない事の方が圧倒的に多く、読者がほぼ自分だけという時期を長く経験し、編集長の私としては、タバコの本数も増え、増えない発行部数に何度もデスクを叩いて怒鳴りつけたものだ。もちろん私しかいない編集部なのだが・・。しかし、その頃に文章の表現法だったり、見せ方をいろいろ考え試行錯誤したことは決して無駄になってないし、その過程も人がいないぶん、今より自由にいろいろ出来ておもしろかった。「朝生を北斗に~」なんてネタは今じゃそんな挑戦心は恐ろしくて芽生えない(笑)

なんの地位も実績もないヒラリーマンが、男の夢でもある、自分責任編集で自分の読みたいような雑誌を無料で作れ、それを他の人も自由に読むことができるなんてありがたい限りである。何か新しいものをつくって世に問うという仕事ではない為、いつも受信側で生きてきた私としては、発信側は一度はやってみたかった夢でもあった。


商業的なしがらみが無い分、読者に媚びる必要もないし自由に何でも書けるというのが、魅力でもあり、落とし穴でもある。

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CMタイアップ曲と商品との距離考察

2007年05月30日 23:58

マリちゃんはヘヴィメタルこと、浜田麻里の代表曲 
「Return to Myself」(1989年)を皆さん覚えていると思う。

では、この曲の正式名は
Return to Myself ~しない、しない、ナツ。
である事はご存知だろうか?

sinaisinanatu.jpg


そう、副題に「しない、しない、ナツ」と付けられているのだ。

この歌のサビでは

Return to myself
自分らしい恋をそう 見つけたの
Return to Myself
心染めなおし しない しない夏


の最後の一節からきてるのはわかるのですが、この一文が副題にくるほど重要でしょうか?この部分の歌詞は実際「心染めなお~ ししない」と非常に難解な部分で区切られており、今初めてこの歌詞を知った方もいるのではないかと思います。最後の締めの歌詞としては文字あまり感があり、どうもこの一文は不自然な部分が多いのです

その後の私の人生において夏が来るたびに「しない しないナツ。」のフレーズがリフレインし、「しない、しないナツ」って一体何なんだとうなされたものです。「しない しないナツ」の解明は、私の中ではケネディ暗殺の真の犯人よりも先に知らなければいけない急務となっていたのです。

そして2007年、ついにその真相を知る事ができました。

この曲は89年、カネボウ化粧品のCMソングで、当時のカネボウのキャッチコピーでもあった
化粧なおし、しない、しない、ナツ」のからきてるというのです。

(´Д`)~ エぇー 
タイアップとはいえそんな理由でサビにねじ込まれたのかと思うと、あまりの違和感あるそのフレーズにだんだん腹がたってきました(笑)


そういったわけで、CMタイアップとなるとうまいものから無理からなものまで様々あるわけで、この時代のJ-POPのCMタイアップ曲について思い出してみたいと思います。


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プレイバック 1993年

2007年05月28日 22:02

1993年 年間TOP10

1位 CHAGE&ASKA:『YAH YAH YAH/夢の番人』
2位 B'z:『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』
3位 THE 虎舞竜:『ロード』
4位 サザンオールスターズ:『エロティカ・セブン EROTICA SEVEN』
5位 B'z:『裸足の女神』
6位 ZARD:『負けないで』
7位 WANDS:『時の扉』
8位 松任谷由実:『真夏の夜の夢』
9位 ZARD:『揺れる想い』
10位 中山美穂&WANDS:『世界中の誰よりきっと』


ビーイングが台頭してきたこの年の音楽を、素人である私の視点(偏見)で振り返ってみます。



氷室京介 「KISS ME」
「クリスマスキャロルの頃には」が、ドラマ主題歌もあってヒットチャート1位をしばらく独走していた時期があった。稲垣潤一は嫌いではないのだが、どうもこのメロディが好きになれず、クリスマスシーズンに街中がこの曲一色に染まっているのが嫌でしょうがなかった。そんな状況下、この独走を止めたのがこの「KISS ME」であった。タイアップがヒット上位を賑わす中、ノンタイアップでTOPに躍り出たヒムロックに非常に痛快さを覚えたと記憶しています。


久松史奈:「天使の休息」
あなたは久松史奈久宝留理子の明確な違いが説明できるでしょうか?
その名前・ルックスも当然、ヒットした時期、そして消えていった時期までも非常に酷似している。
久宝留理子は「はやくしてよ 何してるのよ 何様のつもりなの」に代表されるように、男に対して負けん気の強い女性をターゲットにしていた。久松は「いいよね 今夜は とりあえず飲んで」と姉御キャラだったかもしれない。狭い範囲をターゲットにすると当然潰し合いが起きるものである。久宝は大黒摩季に。久松は相川七瀬の登場によってその姿を見かける機会も減ってきた気がする。
では同様に、中西保志中西圭三の違いを「メガネ」NGワードで各自考えて提出してほしい。


ZYYG 「君が欲しくてたまらない」
20070611_.jpg

このバンドは今でも鮮明に覚えている。なぜなら非常に紛らわしかったからだ。ボーカルは声こそ違えどルックスは氷室そっくりで、バンド名はZIGGYそっくりというなんともビーイングらしい戦略であった。氷室がBOOWY以前にビーイングに所属していた事は補足するまでもないだろう。次曲でビーイングの問題作でもある「果てしない夢を」に参加したことが不運だったとしか言いようがない。同じような道をたどったバンドは他にBAAD、REVなどがあげられる。



江口洋介 「恋をした夜は」
大ヒットでもなければ、決してマイナーでもない。こんな曲を拾い上げていきたい。この曲が注目を浴びるきっかけは、その前に缶コーヒーのCMでもおなじみとなった「ガンガン行けばいいじゃない」の「ALL RIGHT」のヒットがあって、この「恋をした夜は」のスマッシュヒットへと繋がった。キムタク以前に長髪といえば江口という時代があった事を平成生まれは知らないだろうが、「湘南爆走族」以前に「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」(86年)に出演していた過去を知る人間は昭和生まれでも少ない。


T.UTU 「DANCE DANCE DANCE」
この曲を歌っているのを宇都宮隆なんて間違えても言ってはいけない(現在のソロ活動名義は宇都宮隆)。 T.UTUである。(ティー・ウツ)と読んでほしい。そしてその後短期間に終わったユニットはBOYO-BOZO(ボーヨ・ボーゾ)である。是非、口に出して覚えて欲しい。


渡辺美里 「BIG WAVEやってきた」
「恋しちゃっていいじゃない」と同様好きな曲なのだが、このリリース直後に北海道沖地震が発生し、奥尻島を壊滅的な被害を与えるほどの本当に大きな津波がやってきて、この曲が自粛されることとなった。


森田童子「ぼくたちの失敗」
moritadouji.jpg
BUCK-TICK「スピード」の謎の歌詞が判明した今、あと2つのなぞを残すのみとなった。ひとつは2回観ればわかると宣伝文句にのって2度観たがさっぱりわからなかった映画「氷の微笑」の犯人。もうひとつはアフロにデカいサングラス着用しそれで白黒画像という森田童子の素顔だ。


勇気100% 光GENJI
この時期SMAPが「$10」のような挑戦的な曲をリリースしていたのに、その先輩である光GENJIが「勇気100%」のようなSMAPの初期の頃の「正義の味方はあてにならない」に引けをとらないタイトルの曲を出さなければいけなかった当時のジャニーズのお家事情は、とても興味深い。翌年大沢樹生と佐藤寛之が勇気100%もらってジャニーズ事務所を脱退したのはなんとも皮肉な話である。




1993年の主なアルバム ↓
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世紀の舌戦は不朽の名作への序章

2007年05月23日 22:01

国内のボクシングの試合で最も盛り上がったとされるのは、
1994年12月4日 WBC世界バンタム級タイトル統一戦 

辰吉丈一郎 X 薬師寺保栄 戦である
tatuyosi1.jpg


この試合が今でも人々の記憶に残っている要因をマジメに考えてみます。

日本人ボクサー同士初の世界タイトル戦、そして壮絶な打ち合いとなった試合内容も当然あるのだが、
その壮絶だった接戦以上に試合前の壮絶な舌戦が大きかったと思う。

ボクシングに限らず格闘技全般において舌戦はショーパフォーマンスとも言われ、興行を成功させるためには欠かせないものである。
しかしこの試合の舌戦は辰吉のショーパフォーマンスから始まったものの、それが徐々に周りに引火していき、パフォーマンスではなくなっていった経緯がある。

舌戦になったまでの経緯を簡単に書くと、元々は王者だった辰吉が怪我で防衛戦が出来ないときに、韓国の辺丁一選手が暫定王者になり、それに挑戦した薬師寺が僅差で判定勝ちし暫定王者となった。薬師寺が負けていてもおかしくない判定内容に、当然おもしろくない辰吉は、マスコミを通じてこの試合を散々こき下ろした。そしてお互いの試合が決まるとその舌戦はエスカレートしていく。


辰吉は薬師寺の事を「勘違い君
薬師寺は辰吉の事を「思い上がり君

辰吉 「薬師寺ごときジャブなしで勝てる

薬師寺 「辰吉って一発で相手倒したこと ないでしょ?

辰吉 「ラメ入りメッシュが目に入るのでやめろ


予備検診で顔を合わせた時、辰吉は
「ほな帰るわ。バイバイ」言うたら(薬師寺が)『うん』て、うなずいてたわ。
なんかええ子やん。ちゃんと返事しよるもん。
けど、殺すことに変わりはないよ。悪いけど

高橋ヒロシのマンガに出てきそうな振り返り時のセリフである(笑)

この辺まではまだ挑発(パフォーマンス)の域だったと思われるたが、
この2人の舌戦は徐々に周りも巻き込んでいき、その発言内容も挑発の域を超えていく。


マック・クリハラ(薬師寺 セコンド)
辰吉? バカ。ヒーイズバカ。当日は奴の両目を潰してやる!
辰吉は薬物使用の疑いがある」(試合前日発言)

薬師寺と親友である井岡は、勝敗予想を聞かれ
嫁さんの綺麗さでは薬師寺君の圧勝です

山田隆裕(当時Jリーガー)
「今の日本ボクシング界で「天才」と呼べるのは辰吉丈一郎だけ。
その彼と試合が 出来ることを薬師寺は感謝しなきゃいけないのに、怒らせて本気にさせてしまった。バカですよ。殺されて当然


マスコミの煽りもあって通常のパフォーマンスの域を超え、プロレスで行われるパフォーマンスの域に到達していた。
また辰吉が薬師寺の家族までを中傷の対象とし、辰吉一辺倒だった世間の風向きも徐々に変化していった。


2人は全く対照的なボクサー人生を歩んでいた。

デビュー当時から天才と呼ばれていた辰吉は、人気・実力共にナンバーワンで、史上最短のデビュー8戦目での世界タイトル獲得は当時の快挙であった。一方、薬師寺はその実績と裏腹に観客を集めるような人気はなかった。

(1994年 対決当時の戦歴)
薬師寺 25戦 22勝(16KO) 2敗1分
辰吉  12戦 10勝(8KO) 1敗1分

この戦いは薬師寺が正規の王者で実績も上にも関わらず、辰吉の人気によってその構図は逆となり、薬師寺が挑戦者と扱われた。実績でいえば薬師寺の方が勝つ確率が高いと予想されていてもおかしくないが、「辰吉は別格」という根拠のない空気が当時世間にはあったと思う。


辰吉人気に興行権の入札もTBSと日テレが奪い合い空前の金額(3億円超)が記録された。辰吉のファイト・マネーは、1億7千万円とも言われている。

このような筋書きがあって試合当日をむかえる。

(試合内容については素人なもので省かせてもらいます。)

試合終了のゴングが鳴り、解説の具志堅用高が
「闘い終わったら、二人は友達なんですよね」の言葉通り2人はリング上で抱き合っていた。


試合直後に辰吉は「薬師寺は強かったよ。試合前に言ったことを謝りたい。」と語り、薬師寺も「辰吉は自分がこれまで戦った相手の中で最も強い選手だった」と敗者を賞賛した。
あの辰吉が負けて、あの辰吉が謝ったというのが、舌戦から激闘へと続いた後の清涼剤となったのだ


ロッキー1を思い出して欲しい。
アポロは最初ロッキーを口汚く罵るが、もしアポロが純粋無垢な男だったら、あれほどの大ヒット映画となっただろうか?ロッキー4であそこまで盛り上がったのは、あの口汚いけど実力はあったアポロとの関係が大事だった事は間違いない。
不良ものマンガによくある王道パターンの「最初は悪役だが、戦いを通じて仲間になる」はいつの時代も人々を惹きつける魅惑のストーリーなのだ。

謙虚が美徳とされる日本において相手を罵るというのはそうあることではない。亀田のように一方的に罵ったり、度が過ぎると大衆の心は掴めない。群集はベタであってもいつの時代もストーリーを求める。そういった意味でもこの辰吉 X 薬師寺戦は普遍のストーリーが散りばめられていたからこそ、ボクシングに興味のない人々もこの試合に釘付けとなったのです。


それにしても辰吉という男は、勝つ時は本当に天才な勝ち方をして、
負ける時は相手の力を最大限に発揮させてから負けるというカリン様の様な選手です。

ユニコーンらしくないこの一曲

2007年05月17日 20:27

ユニコーンといえば、バンド全盛期のその時代でも少し異色な存在で、「ヒゲとボイン」「大迷惑」に代表されるように
そのくだけた歌詞と、少し脱力系とも思えるメロディーが特徴だったと思う。

代表曲である「雪が降る町」「すばらしい日々」などは、今でも街中で聴く機会も多い。
ユニコーンをカヴァーするアーティストも数多く存在し、彼らの代表曲はあらゆる方法で後世に残っていく。

ただ時代が過ぎるといろんなものが削げ落ちていき、その代表曲といわれるもののみが伝わっていくのが宿命だ。

そこでこのブログの存在意義が問われるところだ。
当ブログとしてはあえて、一番ユニコーンらしくない一曲を選曲し、
ユニコーンを知らない世代のために、後世に残しておきたい。


それはシングルカットすらされていない初期の時代の作品
Maybe Blue (メイビー・ブルー)」である。

MaybeBlue(003).jpg

Maybe Blue(You Tube)  


「めちゃくちゃメジャー(代表曲)だろ!!」と即座にツッコミを入れたであろう30代以降の皆さん。少し黙っておいてください(笑)あとで「元祖EBIちゃん」や「服部さんの今」について好きなだけ語ろうじゃないですか!付き合いますからw
そう、この曲が出た時に生まれた子供は既に成人しているのですから・・


話戻してこの曲は、まだキーボードの女性メンバーも在籍していたユニコーンの一番初期の作品で、中期以降のユニコーンや今の民生では想像できないほど、速いテンポと激しいリズムを主体とした作品ばかりだった。バンド全盛期で育った少年少女にとって、この曲の持つメロディーは一度聴けば決して忘れられない完成度の高いものであった。これほど色気が帯びて、かつ切ないメロディーをあの民生が唄っていたのだ。後にこの初期の頃の曲はLiveでもほぼ封印され、ベスト盤「ザ・ベリー・ベスト・オブ・ユニコーン」の一曲目に収録された訳だが、これは会社側とファンの強い要望で民生がしぶしぶ了承したという経緯がある。

パーカーをダラシなく着こなす起源はこの頃の民生とされており、後にTHE FUSE 、KusuKusu へと進化を続けて今のラッパー達へ受け継がれたとされる。それはさておき、数少ない「Maybe Blue」を聴いてからユニコーンを知った世代としてはこれを伝えていかなければならないという脅迫概念にかられるのです。

 

あの男に連絡を取るには?

2007年05月15日 23:58

携帯電話の普及でいつでも直接相手に連絡出来る事の便利さは、それが無かった時代を知るものとして、決してあの時代へは戻れない。


学生時代、そんな機会も少なかったが、異性に連絡する際は学級名簿を握り締めて、
「はじめまして。○○と言いますが、XXさん(ここ普段言い慣れない名前ね)おられますか?」
と必ず家族をひとつ挟まないといけなく、この緊張感は今の子供は味わってないのかと思うと口惜しい。相手の親が厳しく変わってくれない場合には、「22時に2コール鳴ったらそれオレだから・・」なんて事前打ち合わせをしておいて、自分も親に会話を聞かれたくないものだからわざわざ近くの公衆電話まで足を運ぶという事があった。
固定電話の面倒さはなにも異性に限らない。男友達に電話し、友人が出たと思い丁寧口調をやめしばらくふざけた感じで話していると、どうも反応悪いなと思ったらそいつの弟だったとか、よくあった話である。


携帯がない時代を知ってるとはいえ、伝書鳩やモールス信号までは知らない訳で、この30年の歴史はこんなものであろう。

携帯

PHS、PCメール

ポケベル

公衆電話、固定電話

トランシーバー、文通



とこの辺までは思い出せるだろう。


ではあの時代 どうしても連絡が取れない相手にコンタクトを取りたい時一体どうしていたのだろう?


寝室の窓に小石を投げる

この古典的な連絡方法の起源を調べてみると、ドラマ「毎度おさわがせ」で中山美穂が木村一八に
「よぉ!オレの部屋でレコードでも聞かないかっ!?」
と呼びかけたのが、この連絡法の起源とされている。



新聞広告に「13年式G型トラクター売りたし」と掲載する
tougoushouji.jpg

ウィリアム・パートリッジ君宛ての絵葉書を送る方法は今現在は使われていないようである。ジャックポット13番台で大当たりを出し、新聞記事になる方法でもかまわない。

・・・


うん。そうだね。君は感がよいね。確かに自問自答する気なんて最初からないんだ。
毎度おさわがせネタが今の自分には精一杯なんだよ。
今年のボーナス査定は厳しそうなんだ。
これの前は「妖怪ポストに手紙を書く」が候補だったんだよ。
疎遠だった同級生が弁護士になっていた事を思い出してこれは消したよ。
彼は今頃六法全書を片手に頭を悩ましているのに、自分の頭の悩まし方がこれかと思うと缶ビールがすすむんだ。
それでかなり追い詰められて出たのが、このいつも反応悪いゴルゴネタなんだ。温かく見守ってやってほしい。




新宿駅東口の伝言板に「XYZ」と書く。 
sinjukuhigasi1.jpg
 (注)合成で作成しています。公共の場所で迷惑になるような行為は控えましょう。

あの男に連絡をとる時のこの「XYZ」の持つ意味を覚えているかい?
この言葉の意味するものはその羅列でわかる通り「もう後がない」って事だ。
そう、まさに今のわたしの状態の事なんだ。
また自分で自分の首を絞めるエントリーを書いてしまったようだね。

さぁ、そろそろ時間だ!
この流れでオチをつけなければいけない!




ε=ε=ε=ε=ε=へ(*´口`)ノ ニゲロォー!!

少年誌の宿命で消された超人

2007年05月11日 21:45

キン肉マンの連載当初が、完全なギャグマンガであった事は誰もが知る事だと思います。
そこで登場する様々な超人達は、主に小学生を中心とした読者からの投稿によるもので、初期のギャグ編では小学生の豊かな発想からさまざまな愉快な超人が生まれた。
その後、少年誌の宿命ともいえる流れで、ドラゴンボールが天下一武道会へ、男塾が驚邏大四凶殺編へと流れていったように、キン肉マンも本格的なバトル漫画へと変換していかなければならない時期があった。中期から連載終了までのプロレス系格闘路線に変更してからは、ギャグめいたものはほとんど出てきません。

kinkinumanmage1.jpg


上の図に簡単にまとめたようにギャグ編とバトル編では当然扱われる超人も大きく変わってくる。

ちょうどこのシリアス格闘路線にシフトしていく話が、ミート君がバッファローマンにバラバラにされてしまう「七人の悪魔超人」シリーズである。このシーリズでキン肉マンは読者アンケート1位を取りその人気を不動のものとした。

ずっと覆面姿であった七人の悪魔超人がその姿を見せた時に、後にファンの間で物議をかもしだすあの超人は現われた。

kinnikuman.jpg
 (キン肉マン コミック10巻「七人の悪魔超人編」より)

バッファローマン、ブラックホール、アトランティス、スプリングマンといった正義超人達を苦しめた面子を差し置いて、その超人はど真ん中に現われた。

仮にケツ超人と名づけておこう。

顔にお尻があるという、便器マンやカレクックも真っ青な恐ろしく低次元な幼稚園レベルなみの超人である。
つっこみどころ満載なデザインだが、ひとつどうしても言いたいのが悪魔超人なのに憎めないその純粋過ぎる目である(笑)

puripurimanme.jpg



ゆでたまご先生は後にこの段階でまだ7人も超人が固まっておらず、即興で作った超人と語っており、その正式名もプリプリマンだったというから予想を裏切らない完成度の低さである。

この超人は本編で極悪な悪魔超人7人の一人と紹介されながら、このヒトコマでしか登場せず、それがマニアの間で最強超人説などさまざまな憶測を呼ぶこととなった。


わたしは、ゆでたまご先生がとりあえず誌面上に出してしまった手前、このプリプリマン相手にシリアスに戦う場面を担当者も交えてあらゆる角度で検討したと思うんですよ。でも、どう考えてもこのプリプリマンの必殺技ってシモ中心になっちゃっいますよね(笑)もうギャグ路線に戻る事も出来ず、無かったことにするしかなかったのでしょう。
この全てにおいて完成度が最低だったと言わざるをえないプリプリマンですが、後に数ある超人の中でもファンの間で一番有名な超人になってしまうとはなんとも皮肉な話だと思います。

天然の向こう側 野性爆弾ロッシー

2007年05月10日 21:13

野球のピッチングに興味を持ち出すと、最初はストレートの球威や変化球のキレを身につけるべく練習を重ねる。ある程度のレベルに達すると、ナックルボール、ジャイロボールといったどこへ飛ぶのかわからない不確定な球に興味を持ち出す時期がある。そう、ドラクエで一時期バカみたいにパルプンテだけを唱える時期があるのと同様に・・。予測不能な動きというものは、人を惹きつける何かがある。

普段、居酒屋で飲んでいる時に旬なお笑い芸人の話で場が盛り上がる事なんてあるだろうか?大抵は身近な職場にいる本人は笑わすつもりはないのに、笑いの種を振りまいている人の話題で盛り上がらないだろうか?同窓会などの昔話でも気づけば同一人物に話題が集中する事が多い。
計算無しで奇跡的な笑いをおこす人物に与えられた称号 それを世間では天然ともいう。


人気番組「すべらない話」の数あるネタの中で、私が一番笑ってしまったのはとても単純な話で、
千原ジュニアが新幹線で東京に到着した際、靖史(兄)を起こすもまだ寝ぼけていて、ホームの改札で新幹線のキップを脇に挟み、読んでいた少年ジャンプを駅員に渡してそのまま通過しようとしたという話だった。どんなに練られエピソード話も、天然の持つ一撃力にはかなわないことがある。

その天然を売りにした芸人は数知れず、陣内智則、よゐこの濱口、板尾などが有名である。だが、山口百恵が「さよならの向こう側」を教えてくれたように、「スピードの向こう側」「ピリオドの向こう側」などまだ見ぬ様々なあちら側の世界が存在するわけで、どうやら「天然の向こう側」が存在することをある男に教わることとなった。


この人物を知ったのはつい最近で、ケンドーコバヤシが深夜の音楽番組でこんなエピソードを話していた時だった。

ある後輩芸人と仕事で東京にいくため大阪駅で待ち合わせしていたが、その人物はトチって現われなかったという。東京についてから電話があり、それが寝坊だったと知りその場で叱りつけたという。するとその芸人は既に新幹線に乗り込んでおり
「スイマセン!1秒でも早く東京に着こう思って、新幹線の先っちょの方乗ってますんで!

すごすぎる・・・当然、誰でも先頭でも真ん中でも新幹線のスピードは変わらないという至玉のツッコミをしたくなるところだが、この発言のすごいところは先頭車両に移動した事によって東京駅についた時に改札口からさらに遠くなってしまい余計遅くなるという2重のツッコミを発生させるのだ。すごいポテンシャルを持った男がいたものだ・・


この芸人の名前を野生爆弾 城野克弥(通称ロッシー)と言っていた。
yaseibdan1.jpg



彼についていろいろ調べてみると、その地域によってだいぶ知名度が違うようだ。
私は残念ながら「やりすぎコージ」の数回でしか彼の姿を見る事は出来ていない。かつて27時間テレビで笑福亭鶴瓶に「どうでもええんじゃぁ!」発言で、「今までのお笑いの常識が変わった」と言わしめた東野幸治であるが、今度は東野が逆にロッシーに同様のセリフを吐き捨てた。

芸人の間でロッシーワールドと呼ばれるそのエピーソードは他の天然芸人とは桁が違う。



21時がわからなくて1時入り

母校を”僕高”と2007年まで勘違いしていた

尊敬する千原ジュニアの本を2冊買って(同じもの)、どっちから読むか本気で悩んでいた

大阪で外国人にクラブの場所を聞かれて、魚民の場所を教えた。

ダーツのバイトで電卓が壊れてしまい、消費税を客からなんとなくで取っていた(3000円→3500円)

自動改札で左利きのロッシーは切符を左手で入れ、その右側の通路を通ろうとしてひっかかりその理由がわからなかった。

新幹線の中で、車内販売の売り子に 「お茶かコーヒーありますか?」と聞き、「お茶ならあります」と言われると 「じゃあ、いいです」と答えた。


芸人仲間達と食事に出かけようとした際、その場に居る人の人数を数えるときに、テレビの政見放送に映っていた政治家も人数に含めて数えてしまった


どうやら私は、お笑い界のジャイロボールに夢中のようだ。

吉本天然素材にみる芸人のジレンマ

2007年05月01日 17:50

先日開催された吉本の芸人が勢揃いする「LIVE STAND 07」に行ってきました。開催前、チケットがあまりに売れてないと言うのでガラガラの会場を冷やかす目的でチケットを購入しました。

いやいや・・ウソつきました。

発売日初日に飛びつくように購入し、人気のチケットを取れたと興奮していたのですが、後に発売日初日にたった2枚しか売れなかったという衝撃的なニュースが全国に流れた時、もしかしてそれはオレの事では・・ と嫌な汗をかきました。


さてさて、私の行った2日目は出る芸人も一番人気があったのか、前評判とは別にとても混雑していました。3つの会場で同時に進行されるこのLIVEは、当然観客の動きで人気芸人の度合いがわかってしまうというある意味過酷なものであった。メイン会場ではトップバッターがタカトシで、キングコングへと変わり、3番目に私のお目当てでもあったケンドーコバヤシが出てきた。吉本のお偉いさんが大勢見つめる中、替え歌ネタで「おっぱいを触りたいー」を初っ端に連呼しだし、案の定、子供連れのお母さんを中心に、今まで動きのなかった観客達が一斉に別会場に移動しだすという事態が、このLIVEでの私の初笑いであった。やはり万人には評価されぬも、記憶に残る芸人であった。


それはさておき、普段彼ら芸人を見るときはテレビの前で一人で観る事がほとんどだが、その日来場者は2万人との事でその観客と一緒に芸人達の生LIVEを観ていて気になったことがあった。

それは次長課長、チュートリアルを観ていた時に観客から起きた笑いとは別のアイドル的な歓声である。テレビの前で観ていた芸人を生で観るわけだから、ある程度のこういった歓声は起きて当然なのだが、この2組はそういう類のものではなかった。どちらもジャニーズばりの男前がいるわけで、それはいたしかたないのだが、彼らがモニターでアップになると会場の到る所からネタが止まるほどの黄色い歓声があがっていた。特にチュートリアルへの歓声は異常で、下ネタを言うものなら悲鳴があがり、他の芸人達とのからみの最中でもお構い無しの歓声があがり徳井さんも他の芸人の手前、応対に困っているようにも見えた。(誤解があるといけないので、男女問わず大半の客は普通に観ていた事を付け加えておきます)

もちろん楽しみ方なんて人それぞれであるわけで、それに私が批判するつもりなど毛頭ない。実際私もチュートリアルが好きだが、彼らの単独LIVEには行くほど熱心でもないし、グッズなどを買ったりもしない彼らに利益をもたらさないただのお笑い好きである。その点彼らのスターダムに押し上げているのはいつの時代も彼女達なのである。

だが熱狂的なファンはアイドルやアーティストにはありがたい存在だが、これがお笑い芸人だと必ずしもそうとはいえない。


この状況をみてわたしは吉本印天然素材の悲劇を思い出してしまった。

吉本天然素材とは? 1991年9月、吉本興業所属の若手芸人で結成された、ダンスとお笑いをミックスしたユニットでメンバには、ナインティナイン、雨上がり決死隊、FUJIWARA、バッファロー吾郎、チュパチャップス、へびいちごがいた。

このユニットは決して数よせのユニットではなく、かなりの実力派であるメンバーによって構成されていたと思う。しかし、人気の爆発と共にいつからかアイドル化していき、ダンスや歌なども同時に行っていった経緯がある。何をやってもワーキャー起こる観客に乗じてアイドル芸人ユニットとして売り出したい会社側と、ひたすらおもしろい事だけを追求したいメンバーとの間に亀裂があり、この奇跡のユニットは次々と脱退していくこととなる。オチだろうが前フリの段階だろうが、彼らが動けば奇声があがる当時の状況に、芸人を目指す彼らには違和感を感じずにいられなかったようだ。どうも先日の徳井さんを見ていると、天素の絶頂期と同じような状況にいるようにしか思えない。

tensookamura1.jpg
91年 吉本天然素材より

ナイナイが抜け雨上がりも抜けてから一気に失速し、ナイナイ以外全員が長期間にわたってブラウン管から消えるという事態になった。このバブルのようなアイドル的人気沸騰が、ユニットの壊滅と共に彼らのお笑いの実力も評価されることなく埋もれてしまったのだ。彼らの今の活躍をみてわかる通り笑いに関しての実力者達が、この天素バブルのせいで空白の期間が生じたのがなんとも口惜しい。アイドル的熱狂はその歓声が自分達のネタで起きていると芸人達を錯覚させ、そのブームが去った後、そのファンは決して残ってくれないという事である。


芸人のアイドル化は一気にスターダムへと押し上げる反面、こういった悲劇を起こす側面がある。

1年ほど前、次長課長の河本がラジオでこんなジレンマを語っていた。
「お前に食わすタンメンはねぇ!」で人気が出てきましたけど、実際この元ネタとなっているのはジャッキーチェンの酔拳にでてくるオヤジなんですよ。酔拳といえばジャッキー映画でもかなり初期のコアな部類の作品で、これを観たことあるとなると年齢も絞られるし、ほぼ男に限られるはずなんですが、これをみて喜んでくれるのは若い女性のお客さんがほとんどなんですよね。元ネタなど関係なしでTVで何度も観ているうちに興味を持っているだけじゃないですかね。だからこのお笑いブームに甘んじていたら足元をすくわれるんですよ。」

徳井も同期であるブラックマヨネーズに「オレが男前であることが芸人としてどれだけハンデとなっているかわかるか?お前達の顔が本当にうらやましい」との言葉は彼にしかわからないジレンマであり本音だと思う。


よく「芸人は2度売れないとダメだ」というが、笑い以外でのブレイクは必然的に2度目の壁を高くする。熱狂的なファンは強烈に背中を押してあげる反面、時としてズボンのスソを踏んでいるような矛盾が起きてしまうのです。


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