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オチを先行公開する戦略

2008年03月31日 23:13

数多くの再結成ライブをマスコミが華麗にスルーしていくなか、X JAPANの連日の取り上げ方を見ているとやはりその影響度の違いを改めて実感した。
個人的にはhideのホログラムより、「てめーら 暴れん坊将軍でいくぞ おらぁ!」と第一声を発したヨシキのその前のよく聞き取れない小言を取り上げて欲しかった(笑)

そして、本日は解散コンサート&ドーム繋がりで・・

BOΦWYのLAST GIGS”COMPLETE(CD/DVD)の発売まであと数日となった訳ですが、
前作のLAST GIGSはライブ音源としては異例の売り上げとなり多くの人が観た訳で、重要なのはその差分だと思います。

LAST GIGS COMPLETE [DVD]LAST GIGS COMPLETE [DVD]

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色付きが今回新たに収録されたものである


1. B・BLUE
2. ハイウェイに乗る前に(新収録)
3. BABY ACTION(新収録)
4. BAD FEELING(新収録)
5. 1994-LABEL OF COMPLEX-(新収録)

6. DRAMTIC?DRASTIC!
7. MARIONETTE
8. わがままジュリエット
9. LONGER THAN FOREVER
10. CLOUDY HEART
11. WORKING MAN
12. PLASTIC BOMB(新収録)
13. JUNSY(新収録)

14. IMAGE DOWN
15. BEAT SWEET
16. NO! NEW YORK
17. ONLY YOU
18. DREMIN'

〈ENCORE〉
19. ON MY BEAT(新収録)
20. BLUE VACATION(新収録)
21. RENDEZ-VOUS(新収録)


〈ENCORE2〉
22. ホンキー・トンキー・クレイジー(新収録)
23. NO! NEW YORK(新収録)


「そして明らかになる 本当のラストシーン・・」

の宣伝キャッチコピーでわかるように、一番の見どころは本当の最後のナンバーとなった23曲目のNO! NEW YORKである事は間違いない。
本当のラストシーンは解散後20年間も公にされてこなかったのだ。
ちょと調べているとこの最大の見どころを発売当日までYahoo!動画で一般公開している事がわかって我が目を疑った。

Yahoo!動画 BOΦWY 「NO.NEW YORK」(from LAST GIGS) (~4/4まで
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00067/v02273/

見る限りどうやら高橋まこと氏は最後に失神はしなかったみたいだ・・・


BOOWYは最後の曲をどう歌って、どの様に去って行ったのか。一番の関心時を事前に見れてしまうのだ。
普通に考えれば購入を迷うもこれを見て満足してしまう人も結構いるんじゃないかと思う。
こんな山場を先行公開してしまう旨みは一体なんだろうか?何度か観ているとある事に気づいた。

まずこの未公開映像はもちろん世間的には初出なのだが、残念ながらかなり昔に出回った粗悪なVHS海賊版には収録されていたのだ。
その海賊版映像が頭に残っていたせいか、今回の完全版とはかなりカメラアングルが変わっていることに気づいた。海賊版では氷室の最後のジャンプは見切れていたし、エアギターもどぎのしぐさも違うメンバーにアングルがよっていてそんな行動も知らなかった。逆に高橋まことのスティック投げ失敗は無かった事のように見事に差し替えられていた。

LAST GIGSが音源化される時に主要曲のみとした理由が、演奏のミスが結構ありLIVE中は最後のお祭りとして良いが、その音源で商品化する事にメンバーが難色を示して封印したという話を聞いた覚えがあります。
にも関わらず今回、完全版としてDVD化されるのは10年以上前の粗悪な海賊版がかなり流通した事に加え、それを元にした映像がネットで出回ってしまっている現状への歯止めもあったかと思います。

そんなこともあり、映画でいうなら最後のオチの部分を期間限定ながら誰でも見れるようにしたのには、結局解散から20年も経過したバンドの映像に金を注ぐのは誰かというリサーチから出たものじゃないかと考えます。
一見、我々からすれば損をしてそうなキャンペーン活動も、購入層を巧みに分析して天秤にかけた結果なのでしょう!


<4/5 追記>
布袋さんがブログを始めたそうです。そこでこの LAST GIGS完全版のいろんな想いが書かれてました。
私がいろいろ書くより、このDVDの本当の価値を教えてくれると思います。

HOTEI official BLOG : 布袋寅泰 公式ブログ ーLAST GIGS完全版
http://hotei.com/blog/2008/04/last-gigs.html
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究極の罰ゲーム

2008年03月30日 06:09

私はジェットコースターのたぐいは、いままで何でも楽しめてこれたタイプである。
だが、ラスベガスにあるとされる東京タワーの高さもあるタワーの屋上から、地上に向けダイブする絶叫コースターだけは絶対に絶対に無理だ。

016rs-stratosphere-tower-las-vegas.jpg vegas-scream-stratosphere-tower.jpg


これを考えた人物は病的なサドじゃないかと疑ってしまうほど、高所恐怖者の深層をついた絶妙すぎるアトラクションである

ここはフリの段階なのでポイントだけを簡潔に述べたい。

高所恐怖症とは自ら落ちる姿をリアルに想像出来てしまうことからの恐怖なのだ。逆にいえば想像力が豊かとも言えるかもしれない。

極度な高度恐怖症な私が断言しよう!
最も怖い落とされ方のシチュエーションは、足をすべらすでも、突き落されるでもない・・・

滑り落とされるなのだ!!

その恐怖は言葉に出来ない・・。
高層ビル屋上の絶壁ですべり台につかまっている状況で、その傾斜角度が徐々に上がっていく状況を想像してほしい。

そしてこの絶叫マシーンは当たり前だが、滑り落ちながらも先端で止まるのである。
お化け屋敷の幽霊は怖がらせても危害は絶対に加えないという保険があるから楽しめるのと同様に、止まるという前提が重要でスリルも生まれるのだ。

だが、その昔日本で止まらずそのまま滑り落とされるという究極の罰ゲームがあったのをご存じだろうか・・


高所恐怖症の人間にその内容を告げると、人間本来のリアクションを出せるようになるようだ(笑)
        ↓

aaa.jpg



そう、その番組とはビートたけしのお笑いウルトラクイズ(1989~1996)である。

数々の修羅場をくぐってきた芸人達でもあの番組はやらされる事の桁が違がったと後に語り継がれることになるあの番組である。
7年間全19回の放送の中で行われてきた様々なバツゲームの中でも、第10回大会のすべり台バンジージャンプクイズはさらに桁が違ったといえる。

(takesi(009).jpg
(たけしのお笑いウルトラクイズ Vol2より)

タワー屋上の高さ 60m 



高さ60mのすべり台につかまっている状態で、形式だけの最終問題

Q, 「現存する世界最大の両生類は?」  
                                     (正解はオオサンショウゴ)
  の問いに・・


 「カルーセル麻紀!

  それ両性類w

とこの状況ながら瞬時のアドリブでこれを答えられたダンカンはもっと称賛すべきである(笑)


CCDカメラの配置とその表情を撮るためという撮影者側の理由で、仰向けで頭から滑り落ちるというさらなる恐怖が襲うのです。

滑り台は徐々に時間をかけながら傾斜をつけ、かつて見た事もないバンジャージャンプが行われたのです。

20060617125416.jpg20060617125504.jpgtakesi11.jpg

バンジージャンプ寸前で飛べなくなった人ように、こんなシステムあったらイヤすぎますね。
現在の放送理念でこの行為は通らないような気がします

takesi(004).jpg

星になったダンカン


この後に落ちる予定のないジミー大西もやらされることとなったのですが、
2回目ゆえにインパクトはいまいちでこの放送はやっぱりダンカンでした。

島崎俊郎の日本初の芸能人バンジージャンプと共に忘れてはならないこの時代の放送として、ここに記したいと思います。

タバコ、ガソリン、少年誌にみる価格の変遷

2008年03月28日 22:10

この記事は下記に移転しました。

http://blog.livedoor.jp/kaiko80s/archives/1168206.html

日テレはなぜドラマを映画化しないのか?

2008年03月25日 23:32

昨年度の邦画の興行収入をみれば、上位は全てテレビ局が出資もしくは制作している事がわかる。

2007年の実写日本映画の興収トップ10

 1 HERO 81億 (フジテレビ)
 2 ALWAYS 続・三丁目の夕日 45億 (日本テレビ)
 3 西遊記 43億 (フジテレビ)
 4 恋空 39億 (TBS)
 5 どろろ 33億 (TBS)
 6 アンフェア the movie 27億 (フジテレビ)
 7 クローズZERO 25億 (TBS)
 8 ゲゲゲの鬼太郎 23億 (フジテレビ)
 9 舞妓Haaaan!!! 20億 (日本テレビ)
 10 東京タワーオカンとボク、時々オトン 18億 (日本テレビ)



近年出資とは別にテレビ局自ら製作するケースが増えており、そのほとんどが人気ドラマの映画化といえる。
テレビと連動しての宣伝が可能な上に、ドラマの2次利権にも繋がるわけで局が推し進めるのも当然である。
この起爆剤になったのは言うまでもなく1998年の「踊る大捜査線」の爆発的ヒットであり、

フジでは「HERO」「西遊記」「ナースのお仕事」「海猿」「アンフェア 」・・・
TBSでは 「木更津キャッツアイ」「花より男子」「クロサギ」、「私は貝になりたい」・・・
ドラマが弱いとされるテレビ朝日でさえも「TRICK」 「相棒」「特命係長 只野仁」・・

と、各局人気ドラマを年に1~2本ペースで劇場化させ、それなりの成功を収めている。
福山雅治のガリレオにおいてはドラマ制作と同時に映画化も同時進行しており この傾向は今後さらに加速する事が予測される。

そんな傾向を眺めていると、ひとつのある疑問が生まれた。
日テレだけなぜこのWin-Winの流れにのってこないのだろうか?

最近だとデスノート、20世紀少年、陰日向に咲くなどの小説、マンガの原作には出資するのに、ヒットドラマがあるにも関わらずここ数年自ら制作を行ってきてない。

その疑問を追及すると、最後に制作となった6年前のある作品に辿りついた。


明日があるさ THE MOVIE
 (2002年)

B00008NKBY明日があるさ THE MOVIE
浜田雅功 柳葉敏郎 東野幸治
バップ 2003-04-23

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日テレ、吉本が莫大な製作費と宣伝費を費やしたが見事にコケたのだ。

この具体的な興行収入を知ろうとネットで調べてみたが、興行的な失敗について書かれている記載がほとんど見られず、世間的にはあまり知られていることではないらしい。そういう私もなぜ知っているかといえば、明石家さんまが当時嬉しそうに「こんなに金使こうたのに、大コケして吉本どないするんや」と語っていたのをたまたま見ていたからだ。

その失敗の原因は何だったのか?ここからは素人の私の勝手な推測となるのでご勘弁願いたい。
映画のおもしろい、おもしろくないは観た後にわかるものであって、話題性さえあれば初動週に最低限の客は見込める。この新旧吉本オールスターズの集結が近畿圏のみので受け入れられる話題性だったのかといえばそうは思わない。

そこでドラマを振り返ってみたい。平均視聴率は19%で大成功といえるが、その内訳をみればそうともいえない。初回は29.0%という脅威の視聴率を叩き出すも、そこからきれいな右肩下がりをみせていき、最終回は15.8%まで落ち込んだのだ。出演者の話題性を求めた視聴者はかなりいて、ドラマ放送中にほとんど去って行った事になる。三枝、きよしを加えた映画の一番の売りでもあった豪華なキャスト陣だったが、既に2匹目のドジョウはいなかったのだ。

考えてほしい。ドラマ終了から数年経って公開される映画にあたっての必須条件というものを・・・
それは放送終了後も冷めることのない人気上昇の見極めではないだろうか。
TRICKや踊る~をはじめ放送中にはさほど数字の無かった作品が、ドラマ終了後に徐々に火が付くケースが多い。当たり前だがドラマは無料であり、映画は有料な訳で、足を運ばすポイントが乏しすぎたのだ。

ではきれいに失速していったこのドラマを会社全体で担ぎあげなければならなかったのには
日本テレビ開局50周年 吉本興業創業90周年
という観る側には全く関係ない局の事情が運悪く重なりあったと思われます。
その結果、いちサラリーマンの話が映画版ではロケット発射事業まで肥大し、それに伴い製作費もかさんでいったのでしょう。その他もろもろ事情はあるのでしょうが、少なくとも日本テレビはこの映画以降、作品を出していません。


次回は、吉本、日テレドラマ繋がりで、ロンドンブーツ主演のまさかのレスキュー隊員役
「新宿暴走救急隊」と主題歌「岬」について語りたいと思います(笑)

時には起こしてはいけないムーブメント

2008年03月19日 00:02

10代の頃、私の地域で決して近寄ってはいけない危険地帯というものが存在した。


・駅裏 潰れかけの某ボーリングセンター

・バイパス沿いの陽の光りがささない某ゲームセンター

・XX交差点の坂の上にある某喫茶店


かなりの高確率で危険な目に逢うのだ


だが、最も危険な場所は意外と知られていない。


それは・・

80年代東映映画の劇場公開周辺だ(笑)


シネコンが当たり前となっている都市部では想像もつかないような映画館というのが地方には存在する。
任侠シリーズ、極妻シリーズ、ビー・バップ・ハイスクールシリーズを学校帰りに制服で観に行くという、
時には起こしてはいけないムーブメントがこの時代地方ではあったのだ。

若さとはセンシティブで非常に感化されやすい特徴がある。
わずか2時間の映画でその世界にどっぷり入り込めてしまうのだ。

あぶない刑事を観ればグラサンを着用して出てくる観客がいたり、

ましてはビー・バップ・ハイスクールでは劇場から飛び出してきたような男達がいた。
toueiimage1.jpg

こんな狂犬たちが映画を観た事でボルテージが上がり、ナイフみたいにとがっては触るものみな傷付ける状態となっているのだ。
非常に危険な場所と化すのだ。

そういった私も「僕らの7日間戦争」で何か違うアンテナが作動してしまい、劇場を出る頃には心なしか気が大きくなり、標準服の上ボタン2つ開け、校則で厳しく着用を定められた詰めホックを一時的にはずし、身を守るヘルメットをかぶらず自転車に乗り込むとというかなりの悪態をついたものだ。ホント、グレてたな~( ´ー`)y-~~

スケバン刑事 (斉藤由貴劇場版) を観に行った時は・・
sukebanimage1.jpg

さすがにこんな女は見なかった(笑)



平成に突入してからは映画館でスリルを味わうような事はなくなっていた。
そんな中、昨年末、劇場版クローズZEROを観に行った。

B0012OR6H8クローズZERO プレミアム・エディション
小栗旬 山田孝之 黒木メイサ
Happinet(SB)(D) 2008-04-18

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不良マンガには珍しく女性キャラが一切出てこないこの作品を三池監督がメガホンを取るというのだから、
これを観るにあたって選んだのは新宿歌舞伎町にある新宿プラザ劇場であった。
kabukichou06.jpg


都市部の中心にある映画館とは思えぬたたずまいである。
入場待ちでのスカジャン比率の高さ、夕方なのにグラサン着用率の高さ
もう、何も起こらない方がおかしい状況である。

雰囲気を楽しむ私としては上映後に映画の続きが起こるかもとわくわくしていた。
しかし、上映待ち中に次第と黄色い声が劇場を包みだしたのだ。
私の後ろのいた3人組は声のトーンからして中学生、下手すれば小学生と思われる声で
ひたすら小栗旬の名前が連呼されていた事でようやく状況が理解できた。

結局、歌舞伎町に集まったクローズ(カラス)達は圧倒的なパワーを持つ小栗ファンに見事に飲み込まれ、乱闘シーンでは黄色い歓声が飛び交い、まるで光GENJI主演の「ふ・し・ぎ・なBABY」を観に来てしまったような状態となってました。

いつの時代もその場の雰囲気を一番作り出せるのは、ティーン達だと実感しました。

マラソン中継で並走する観客に目が行くような違和感

2008年03月18日 22:10

マラソン中継を観る度に思い出される事がある・・

私が中学2年生だった夏のある日、学校から帰ると4つ上の高校生だった兄が既に家に帰っていた。
私は制服のまま横になりテレビを観ていると、家の電話がけたたましく鳴った。
親は共働きなので私が電話に出ると、さきほどまで一緒に帰っていた揉め事好きなSくんからで

「XX町のゲーセンでちょと今ヤバい状況なんだけど、来れない?」

「えぇ?? 向こうは何人?」

「4人」

「いっ・・行くよ・・」!

30秒もない非常に情報量の少ない連絡だったが、彼が危機的状況なのは間違いない。
そしてその電話で最もテンパったのが、私だったのも間違いない。

何を思ったか玄関にある少年野球用のバットを取り出し、それをそのまま自転車の後ろに差し込み、猛スピードでこぎ出したのだ。

そのゲーセンにたどり着くまではバイバス通りのとても長い一本道で、どんなに飛ばしても30分はかかる遠距離だった。
だが、広い一本道ゆえに信号が無い分、トップスピードをずっと維持出来るのだ。

猛スピードーで息を切らしながらバイパス沿いを飛ばしていて10分ぐらい経過した時に、
なんというか・・

妙な違和感を感じた・・

まるでマラソン中継を見ている時に、並走するバカな観客に自然と目が行ってしまうこの感じ・・・


そう、これだけ全力で自転車で飛ばしているのに、車道を挟んで並走している自転車がいるのだ(笑)
それも気持ちちょっと後ろ目で・・・

このスピードで走るなんてそちら様もどれだけの急用なのかとその物体に目を向けると、その並走する自転車の人物は5段変速の自転車を競輪選手のように前のめりで乗りこなしながら即座に顔を反対にそらした。
ええ?と思いつつ目を凝らしてしばらく見ていても、このスピードでずっと顔を横に向けながら走るというさらなる不審者ぶりであった。

だが、私もかなりテンパっていたのでそれが何なのかを考える余裕もなく、その後振り返ることなく目的地に急いだ。
結局そのゲーセンには既に人はいなく事なきを得たのだが、その帰り道にあの異常物体は何だったんだろうという疑念で頭がいっぱいとなっていた。

自宅につき自転車をしまっていると、変則自転車が我が家に一台あったのを思い出した(笑)

家にいた何事もなかったような顔の兄に、「ねえ?もしかしてさっき居た?」と恐る恐る尋ねると
「知らない」と一言だけそっけなく答えた。

よくよく考えたら私は電話直後にすぐ家をでて初速度からMAXだったわけで、家の鍵をしめてからどこに行くかわからぬ弟を追跡できるわけもないと、疑わしくは罰せずの精神でその疑念を打ち消した。

それから15年経った昨年、兄の自宅にお邪魔した時にその時の奇妙な体験談をすると、時効が成立したと思ったのかあれはオレだったとあっさり認めた。遠目で見守ってくれていた感謝の気持ちよりも先に、その脚力すげーよ兄ちゃんと感心しました。

パンチ力のない話で申し訳ないのですが、全力で自転車を並走する兄の姿を思い出すと未だに笑ってしまうのです

スーパーファミコンはインフレの極み

2008年03月17日 22:50

先週末に念願のPS3を買った。
今までその気になれば買う事も出来たのにここまで買い渋っていたのには、今までのゲームハード機(据え置き型)の値段の相場が頭に入ってしまっているからだ。


<主な家庭用ゲーム機 価格>
スーパーカセットビジョン 14800円
ファミリーコンピュータ   14,800円
PCエンジン         24,800円
メガドライブ         21,000円
スーパーファミコン     25,000円
NINTENDO64       25,000円

80年代は2万円台が主流であった。
私の家はカセットビジョンがあったせいか、ファミコンをなかなか買ってもらえなかった。自宅で親に何度せびってもダメだったが、年月が経ちファミコン願望も消えかけた頃に、デパートの玩具フロアを通り際に突然母親が思い立ったかのように買ってあげると言い出したのだ。

2万円台とは衝動買いも起こりうるそういう値段なのだ。逆に3万を超えるゲーム機となると、途端にその壁は高くなり慎重さが増すのだ。現在、Wii(2万5千円)が現在頭ひとつ出ているのもなにか頷ける。
PS3の当初の59,980円(60G)は各性能を知れば納得のバリューなのだろうが、運命の人だと思っても 経験が邪魔して素直になれないのだ。しかし、最近発表になった39.800円で過去のハイパフォーマンス機と呼ばれた機種の値段と照らし合わせ、やっと肩を並べるぐらいとなった。

プレイステーション   39,800円→15,000円
プレイステーション2  39800円→16,000円
セガサターン:      44,800円→20,000円
ネオジオ:         58,000円
Xbox360        39,795円→34,800円

プレイステーション3(20GB): 49,980円→44,980円
プレイステーション3(60GB): 59,980円→54,980円
プレイステーション3(40GB): 39,980円



同時にソフトを何本か買ったわけだが、龍が如く 見参!(セガ、7,980円)を始め8千円前後のタイトルがほとんどであった。この価格がハード相場として割安か割高かはわからないが、今までの価値基準との比較はできる。

例えばドラクエ 20年の値段の歴史を振り返ってみると

FC ドラゴンクエスト…5500円(1986)
FC ドラゴンクエスト2…5500円(1987)
FC ドラゴンクエスト3…5900円(1988)
FC ドラゴンクエスト4…8500円(1990)
SFCドラゴンクエスト5…9600円(1992)
SFCドラゴンクエスト6…11400円(1995) 
PS ドラゴンクエスト7…7800円(2000)
PS2ドラゴンクエスト8…8800円(2004)

右肩上がりで中でも95年のスーパーファミコン時代の11.400円が吐出している。
現在のPS2のソフトが7000円~8500円で推移しているのに対しスーパーファミコンソフトは発売当初数年は6千~8千円だったが、ピーク時期の1995年ごろは9800~12800円という異例の高さでだった。

<1995年 スーパーファミコンタイトル>
ダービースタリオンIII(アスキー、12,800円)
クロノ・トリガー(スクウェア、11400円)
提督の決断II(光栄、14,800円)
笑っていいとも!タモリンピック(アテナ、9,500円)
タクティクスオウガ(クエスト、11400円)
天地創造(エニックス、11,800円)
ロマンシング サ・ガ3(スクウェア、11400円)
ドラゴンクエストVI 幻の大地(エニックス、11,800円)
ろくでなしBLUES(バンダイ、9,800円)
パチンコ物語2〜名古屋シャチホコの帝王〜(KSS、9,800円)
早指し二段 森田将棋2(セタ、14,900円)

ファミコン時代にも1万を超えるソフトはあったが、主にシミュレーションゲームであり、当時では画期的だった思考ルーチンの開発に費用がかさんだためと想像されるし、なによりそれなりの満足度もあった。しかし、この時代のゲームは事前情報を仕入れるのが困難で、パッケージで判断したり、続編ものだからとの理由だけで1万円もするソフトを購入し、クソゲーと知った時のショックも大きかったわけです。

容量が一定だったファミコン時代とは違い、徐々にゲーム容量が増えていったスーパーファミコンですが、それでも大台の1万円は超えないというメーカーの企業努力はあったのです。しかし、ファイナルファンタジーが1万円超えをリリースしながらバカ売れしたため、どの企業も追随していったのです。カプコンのキラータイトルでもあるストⅡをみればその企業努力と諦めがわかりやすいです。

1992年 ストリートファイターII    (9,800円)
1993年 ストリートファイターIIターボ (9,980円)
           ↓
ファイナルファンタジーVI (11400円) が1万を超えながら250万本突破
           ↓
1994年 スーパーストリートファイターII (10,900円)
   

子供のころはわからなかったけど、大人になってその重要性がわかった事がらとして独占禁止法があります。
この時代はゲーム市場は任天堂の独占場で、ドラゴンクエストVI は11,800円もしながら300万本も売れたわけですから売れるのに値下げをする理由がなかったのです。
後にプレステーションの普及で5000円台のソフトが主流となり、ソフトのインフレは96年ごろを境に下がっていったのです。
プレステのリッジレーサーはゲームもさる事ながら、この性能で5800円という値段の驚きが大きかったと思います。

萌えの属性としての「チーム男子」

2008年03月14日 01:36

先日、知人の女性に男では知り得なかった興味深い価値観を教えてもらった。
それは女性にとって萌えの属性として「チーム男子」というのが存在するという話だった。

女の子はいつでもミミドシマ 辺りで女性に対する理解が止まっている私にとっては、目からウロコの話であった。

新撰組に例をとって教えてもらったのだが、
男は坂本竜馬のような孤高で気高い特定個人に興味の対象が注がれ、
女性はひとつの目的ひとつの想いのために結束する新撰組というチームに目が行く傾向があるというのだ。

確かに女性で新撰組が好きだという人は結構いる。
かといって男のように血なまぐさい戦い、復讐劇に魅かれているわけでもない訳で、その辺が理解できない部分であったのだが、やっと長年の疑問が解けた。

男は確かにショムニなどを見てもその関係性はおもしろいと思っても、繋がりに対しての萌えは決して発生しない。
自分の過去を思い返しても、異性に興味を示すケースは常に本人単体に限られていた。
だが女子が萌えるのは、必ずしも単体に対してじゃないのだ。

例のごとくBoowyで考えてみると、男は氷室派、布袋派に分かれる傾向があった。
他のバンドで考えても、たいがいお気に入りのメンバーがいてそこに情熱を注ぎ込むあまり、嫌いとかではなく興味の注がれないメンバーというものが自然と出てきてしまうのだ。
女性はもちろん個体で好きなメンバーと、その人を取り巻くメンバーとの関係性も大きな魅力のひとつなのだ。だから興味のないメンバーなんて存在せず、バンドそのものの結束に魅かれる部分も大きいのではないかと勝手に推測する。
バンドをテーマにした有名マンガとして男性誌に「BECK」、女性誌に「NANA」とあるが、その見せ方の違いをみればわかりやすい。どちらもお勧めなので片一方しか読んでない方は一度読んでみるとよろし。

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そう考えると学生時代に放課後に、何気なく異性のクラブ活動を観るといった経験が誰しもあると思うが
男が女子のクラブ活動を観ている時は、思春期なんでたいがいは・・まあ・・あれですが、
女性が男子のクラブ活動を観る時って、恋ごがれる人を追うのとは別に、男子のチーム活動を観るだけで微笑ましいというのもであったのかと思います。

SLAM DUNK がバスケという当時異例のジャンルを取り上げた作品にも関わらず、あれほどの男女を問わず幅広い支持を受けたのには、そこには男子も魅せられてしまうほどの不変の「チーム男子」の美しさがあったからなのでしょう。

そう考えると「ルパン三世」なんて男女共に人気のある作品ですが、
これもその魅力を男女で話してみると、そのポイントが結構違ったりするんじゃないかと思います。

バンド名の由来は諸説ありと言われろ!

2008年03月11日 22:18

現在バンド活動をがんばっている若人に、今後売れていく為のある裏アドバイスをしたい。

バンド名の由来は力の限りごまかせ!


以下、私の小言を聞いて欲しい

・質問されたらなんだたっけぇ?顔しながら他のメンバーにふって、なんかみんなでふわふわしてろ
・それでも追及されたら3年周期で違う事を答えろ
・正直ものは米米時代のカールスモーキー石井のいい加減トークを学べ
・ラジオは絶好の風説の流布ポイントだと知れ
・それが元でファン掲示板で長期論争になれ
・「どれが本当なんですか?」とつっこむルポライターには、メンバーの解釈が違った事にしろ
・「バンド名の由来は諸説あって・・」とWikipediaに書かれる事をゴールと思え


そう・・
そうすればファンは自分に都合の良い説を由来として記憶してくれるもののだから・・・
これがビートルズの時代から培われてきた先人たち知恵なのである(笑)

人気バンド解散後のリリースに終わりはあるのか?

2008年03月10日 22:42

CD不況と言われずいぶん経ちますが、近年レコード会社の節操のなさは驚くばかりです。
今回、BOØWY(東芝EMI)の解散後のリリースを時代背景と共に追ってみたいと思います。



1988年 4月4日  東京ドームにてBOOWYは解散
      5月3日  『LAST GIGS』 (album)発売
     12月24日  『SINGLES』 (BEST album)発売


全ては1988年の解散から始まる。解散1ヶ月後にLAST GIGのライブアルバム、その年末に初のベストアルバムリリース。
ここまでは至極当然のリリースの流れと言えよう。


1989年 ORCHESTRATION BOØWY 発売 (オーケストラによるインストゥルメンタルアルバム)

1990年 なし

1991年 SINGLES OF BOØWY(VHS) 発売

1991年 BOØWY COMPLETE  LIMITED EDITION (CD 10枚組)発売
boowybox.jpg

ここが最初の節目になる。COMPLETEと銘打った通り、全てのアルバムとシングル曲・カップリング曲、そして未発表曲が収録されている全10枚組の限定セットで、価格が2万円もしながらオリコン2位となる異例の快挙を達成した。

集大成とも呼べるリリースで、この年を最後にしばらくBOOWYに関する発売は途絶えるのである。
ちょうどBOOWY再熱が世間的にピークに達したのも90年代前半のこの時期ではないかと思う。彼らの音源、映像に関する需要は高まる一方で、解散しているわけで供給はゼロ。飢餓が起こるわけである。このコンプリート版は中古CD屋で10万円(定価2万)で売られていたのを目撃している。
海賊版も多く出回ったのもこの頃で、音楽雑誌の読者コーナーでは隠し撮り、流出映像が出回り高価な値段で売買されていた。私自身も男同士で文通という苦痛を耐え忍んで購入までこぎつけるも、振り込んだ途端手紙が途絶え、3ヶ月後に「震災して家が無くなりました。ごめんなさい」という2行のみの便せんが、兵庫から送られてきた事がある(笑)

後にBOØWY COMPLETEは再発売を望む多数の声に応え1993年に『BOØWY COMPLETE REQUIRED EDITION』で再販され、さらに2002年にデジタル・リマスタリングされた『BOØWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』が発売され、このプレミアム価値は一気に薄れていったのだ。

1992年 なし
1993年 なし
1994年 なし
1995年 なし
1996年 なし
1997年 なし

1998年 THIS BOØWY (ベスト・アルバム) 発売
解散から10周年と題し、異例のプロモーション展開がなされ、このアルバムはかなり売れる事になった。
9年後にこのアルバムの拡大版が2枚組で発売される事となるとは、当時誰も知る由もないのだ・・

1999年 なし
2000年 なし

2001年 “GIGS”CASE OF BOØWY (ライブ・アルバム) 発売
      "LAST GIGS"(ライブ・ビデオ) 発売
      1224(ライブ・ビデオ)    発売

この年に結成20周年とし、今度は起算日を解散から結成としDVDプレイヤーが一般普及したこの時期に、かなり大がかりな宣伝を行いまとめて発売された。特に”1224”はファンの待ち望んでいた映像作品とし(注1) 、待望の一品であった。このリリースにあたって関係者、及び高橋を筆頭にメンバーもメディアに数多く出演し、沈黙を守り続けてきたメンバーから当時の秘話も聞かれる事となった。
私がはっきりと記憶している事は、「BOOWYに関する事でメディアに出るのはこれが最後。出せるものはこれで全部でしょう」と今後のリリースはないという趣旨の発言を布袋がしていた。そしてこのリリースはメンバー全員が集まって世に出すものと出さないものを4人で話し合い、今回が最後という事で合意したというものであった。 が・・・


2002年 MORAL-TRANCE MIX リミックス・アルバム 発売
     INSTANT LOVE HAMMER TRANCEリミックス・アルバム 発売

2003年 なし

2004年 GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986. (DVD/アルバム) 発売

2005年 なし
2006年 なし

2007年 BOØWY解散20周年記念のプロジェクト

      THIS BOØWY DRASTIC (ベスト・アルバム) 発売
      THIS BOØWY DRAMATIC (ベスト・アルバム) 発売
      “GIGS”CASE OF BOØWY COMPLETE ライブ・アルバム 発売
      “GIGS”BOX”DVD      BOØWYの8枚組DVDボックス 発売

B000XT6868“GIGS”BOX
BOФWY
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(D) 2007-12-24

by G-Tools



私はデジャブに襲われた。なんでまた20周年がやってくるのだと・・。

BOØWY解散20周年記念のプロジェクトと題し、今度は解散を起算日とし記憶にも新しい昨年に怒涛のリリースが相次いだ。2001年の約束は見事に破られた。だが、コレクターの悲しいサガである。既存の所有物との差分を確かめ、足りないものは購入してしまうのだ。特にDVD8枚組は未公開映像の塊で3万円の価値はあったのだろうが、一度流し見をしただけで、それ以後観ていない。なかなか20年間熱を保ち続けるのも難しい。

BOØWYのマネージャーであり、このDVD8枚組の仕掛け人でもある土屋浩氏は

「BOØWYの(ライブ映像の)場合はたとえば僕達でお金を出し合って買ったビデオ・カメラで撮ったものとか、そういった類のものしか残っていないんです。それはあくまで“データ”であって、“作品”ではないんですよ。作品のクォリティとして考えた時に、1枚のDVDの中でその“データ”を1時間半見せるわけにはいかない。古くからのファンは「あの時のライヴの全部が見たい」と思うかもしれないけど、現実的にテープが劣化していたり、作品としてのクォリティに達していなかったり、メンバー自身が「No」と言う場合も当たり前に多い」と話している。



実質の出し尽くし宣言と私はとった。2001年にメンバーの終了宣言。2007年にプロデューサーからの終了宣言がなされたのだ。正直、リミックス版やら、デジタルリマスター版、ファンベストなら今後もいくら出してくれてもかまわない。ただ、未公開映像発掘という悪魔のささやきだけ勘弁してもらいたいのだ。そんな淡い期待もすぐに破られる事となった。


2008年4月5日 “LAST GIGS”の完全版『“LAST GIGS”COMPLETE』 アンコール部分を含む全11曲の未発表楽曲が追加収録!

B0013BECBSLAST GIGS COMPLETE [DVD]
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(D) 2008-04-05

by G-Tools



この無い無いと言い続けながらも、新たに見つけ出す東芝EMIさんのその技量は ぜひ社会保険庁にでも行って活かしてほしいものである。昨年のDVD8枚組の中には入れずに、結成やら解散何周年のゴロにもかけず、この3月という時期にこんな隠し玉を発表するあたり、決算期アルバム(注2)の匂いがしてなりません。しかし、このDVDは間違いなくまた売れるし、私もそれに貢献してしまうのです。

さて、東芝EMIさんは何度COMPLETE の名のついたCD/DVDを発売するのですか?

解散から20年追いましたが、いつになったら本当のコンプリートは達成できるのでしょうか?



だが、業界を見渡すとBOOWYなんてまだ節操がある方かもしれない。尾崎の未公開音源発見は過去何度耳にしたかわからないし、TM NETWORKに関してはなにがオリジナルかも判別できないほど乱立しています(笑)その中でも今後一番脅威なのがZARDで、坂井泉水さんが亡くなってまだ1年も経たぬのに、既に

・2枚の未発表シングル
・スタッフによる選曲ベスト Brezza di mare 〜dedicated to IZUMI SAKAI〜
・坂井泉水がお気に入りとして上げていた作品を基に収録 Soffio di vento 〜Best of IZUMI SAKAI Selection〜
・ファン投票を基に収録 ZARD Request Best 〜beautiful memory〜

が発売されています。シングルを44枚、オリジナルアルバム11枚、ベストアルバム6枚も発売しているZARDを、今度はどんな切り口で哀悼との名で切り込んでくるのか、戦々恐々となるばかりです。


(注1) BOØWYが解散宣言した夜
(注2) ベストアルバムに巣食う利権

吉本興業 退社年表

2008年03月08日 17:30

あまり公に公表されてない事を、今後の為にもきちんとまとめておきたい。
ジャニーズ事務所に続き、吉本興行の退社年表も作成してみた。


<吉本興業 退社年表>


1968年 横山ノック 上岡龍太郎  退社
※漫画トリオ結成の一時期在籍


1979年 島田洋七 解雇  会社の反対を押し切って東京行きを決めた為
※吉本に頭を下げて99年に復帰


1988年 太平サブロー・シロー 吉本から独立して東京の芸能プロダクション移籍のため退社
※すったもんだのあげく共に吉本に再入社

同年 木村一八 運転手暴行事件で解雇
※2001年に再入社するも、2003年に再び退社


1989年 横山やすし  度重なる不祥事のため解雇


1991年 竹山隆範(カンニング)、ヒロシ  退社
※吉本興業福岡事務所所属 →ナベプロ →サンミュージック(現在)


1994年 軌保博光(TEAM-0) 退社
※「やりたいことが見つかった」と吉本興業退社


1996年 松本竜助  事業に専念するため退社


2002年 木村政雄元常務 退社
※ヤスキヨのマネージャー でもあり、ミスター吉本と呼ばれた吉本の顔

同年   稲葉貴子 アップフロントへ移籍のため退社
※大阪パフォーマンスドール →太陽とシスコムーン


2003年 テイ・トウワ  契約満期のため円満退社
※今田はナウロマンティック


2005年 岡村 靖幸  契約終了のため退社
※詳細不明


2006年 山本 圭一(極楽とんぼ) 不祥事のため解雇
 
同年   石原真理子 退社
※2004年から一年半所属


2007年 島田洋七 がばいばあちゃんの利権をめぐって退社
※2度目の吉本 退社

同年   小室哲哉、契約期間満期のため退社
※2001年に入社

同年   木部信彦(ビッキーズ) コンビ解散のため退社


2008年 大西浩仁(ちゃらんぽらん)  画家に専念する為退社


<吉本養成所(NSC)に在籍、もしくは短期間の間所属していた芸人>
スピードワゴン、マイケル、サンドウィッチマン(富澤)、クワバタオハラ、ハチミツ二郎、田中 章(プリンプリン、矢部美幸、ザブングル、鳥肌実、なべおさみ、浜村淳・・・

(注)取り上げたのは一部の方のみで、全てを網羅してはいません。



ジャニーズ事務所と大きく異なるのは、解雇・契約満了・芸人引退を除けば、ほとんど自主的退社者が出ていない点につきる。
芸人で円満退社となるケースはほとんどなく、その後の芸能活動に圧力(俗に言う干す)がかかるようだ。
これだけの所属タレントを要し安月給と言われながらも退職者がでないのは、太平シローの一連の顛末が戦々恐々と吉本芸人の間で言い伝えらられているのではないだろうか。
吉本を辞めるとは芸人を辞めるという覚悟がないと離れられないという見せしめになったと思われる。

昨今、日本でも欧米型の転職を繰り返してのスキッルアップがごくごく普通になってきている。
吉本興行は、日本古来の終身型雇用・年功序列が厳しく守られている一方、年功賃金が存在しない実力主義という、ある種特殊な形態を持った企業と言えるのではないだろうか。

沈黙のセガール

2008年03月07日 22:01

シリーズものに一度手を出すと大抵最後まで観てしまう私だが、
唯一さじを投げたのがスティーヴン・セガールの「沈黙の~」シリーズだ。

有名な話だが実質のシリーズとなっているものは、ヒットした初作の「沈黙の戦艦(Under Siege)」 と「暴走特急(Under Siege 2)」のみで、
残りの作品は何の接点もなく、日本の配給会社のセールスのためシリーズと称しているだけで、海外作品でこのような形で邦題がつけられシリーズ物として公開される珍しい作品でもある。

本来はここで「沈黙シリーズ」の興行収入を書きあげて、失敗に終わったものとヒットしたものに分類し今後駄作を無駄にレンタルしないという目的があった。しかし、全米では5年ほど前からほぼ劇場公開されておらず、すぐDVD発売という日本のVシネマ的な扱いになっているというのだ。しかも日本では劇場公開されるが、公にされるような興行収入はここ数年なかったようだ。

では、少し切り口を変えて配給会社側の目線で振り返ってみたい。

(表記)
公開年 「邦題」 原題
キャッチコピー


1992年「沈黙の戦艦」 Under Siege
凶悪なテロリスト集団の前に今、戦艦は地獄の要塞と化した!!

1994年「沈黙の要塞」 On Deadly Ground
沈黙の戦艦に続くシリーズ第二弾!

1995年「暴走特急」 Under Siege 2: Dark Territory
走る核兵器。興奮が加速する

1997年「沈黙の断崖」 Fire Down Below 
沈黙シリーズ完結篇

1998年「沈黙の陰謀」The Patriot

2001年「沈黙のテロリスト」 Ticker


察するにこの辺りから客離れが起きたと思われる。同じ展開であれば3作観れば飽きるのが人の習性である。
この時期から沈黙シーリーズを打ち止めし、『漢字二文字をローマ字表記』にシフトチェンジしたと思われる

DENGEKI  電撃(2001) Exit Wounds
DAKKAN  奪還 -アルカトラズ-(2002) Half Past Dead
GEKITETZ  撃鉄 -ワルシャワの標的-(2002) The Foreigner
ICHIGEKI  一撃(2004) Out Of Reach

その後、また沈黙シリーズに戻る訳だが、
策が尽きたとはこの事なのか、ある統一したキャッチコピーで売り出す

2003年 「沈黙の聖戦」 Belly of the Beast
このオヤジ、最強

2003年「沈黙の標的」 Out For a Kill
無敵

2005年「沈黙の追撃 」 Submerged
このオヤジ、キレすぎ

2006年「沈黙の脱獄」 Today You Die
このオヤジ、究極!

2006年「沈黙の傭兵」 Mercenary For Justice
このオヤジ、ヤリすぎ

2007年「沈黙の奪還 」 Shadow Man
このオヤジ、15年間負け知らず

2007年「沈黙のステルス」 Flight Of Fury
オヤジ、空に挑む

2007年「沈黙の激突」 Attack Force
オヤジ、超人に挑む。

2007年「沈黙の報復」 Renegade Justice
オヤジ、死に挑む

tinmokuno.jpg

『沈黙シリーズ”遂に完結』の後に『!?』と保険を銘打った辺りで、次回作のタイトル及びキャッチコピーが容易に想像できますが、
今後も配給会社さまの迷走ぶりを見守っていきたいと思います。


それにしても沈黙シリーズの魅力といえば、これは僕の解釈ですが、アクション映画というよりかは敵のパニック映画という楽しみにつきます。

「だがまだ彼らは知らなかった、そこにあのコックが居る事を・・・」

猪木 幻の異種格闘技戦

2008年03月05日 23:44

NWF世界タイトルマッチ後の記者会見(79年)でアントニオ猪木は

「いずれにせよ、このあと、ミスターX、ウィリー・ウイリアムス、アミン
そしてモハメッドアリとの格闘技戦に全力で向かっていくつもりだ」

と発言した。

・・・アミン?

その場にいる記者が全員その人物名に固まったとされる。


イディ・アミン大統領という人物をご存じだろうか?

idiamin.jpg


軍人出身の大統領で身長は2mを超え、ボクシングのヘビー級チャンピオンになった経歴を持つ。
軍参謀総長だった1971年に、クーデターでウガンダ政権を掌握。
その後反体制派の国民約30万人を虐殺し、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」「人食い大統領」とも呼ばれ、
その冷血さから後に「ラストキング」(2006)で映画化されたことでも有名だ。

lastking0.jpg


アントニオ猪木は「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」を掲げ、モハメドアリ戦をはじめとした異種格闘技戦に挑んだのはご存じだと思う。
その対戦相手も多種多様に渡っていた。


『ウイリエム・ルスカ』戦 (1976年 )≪柔道≫
『モハメッド・アリ』戦 (1976年6月26日 )≪ボクシング≫
『アンドレ・ザ・ジャイアント』戦 (1976年10月7日)≪大巨人≫
『ザ・モンスターマン』戦(1977年8月2日 )≪全米プロ空手≫
『チャック・ウェップナー』戦(1977年 )≪ボクシング≫
『ザ・モンスターマン』再戦(1978年6月7日 )≪全米プロ空手≫
『ミスター・X』戦 (1979年)≪全米プロ空手・覆面格闘家≫
『ウィリー・ウイリアムス』戦(1980年)≪極真空手・熊殺し≫

この経歴の中に、アミン大統領の名が刻まれていたかもしれないのだ。

その対戦発表は衝撃であった。
朝日新聞の朝刊にまでに掲載されたというのだ。

契約内容も具体的に
・ウガンダの首都カンパラの国立サッカー競技場で試合が行われる
・放送権はアメリカのNBC
・猪木のファイトマネーは50万ドル
・レフェリーのアリのギャラは100万ドル
・アミン大統領のファイトマネーは公人なので無し

この契約内容でアミン大統領と合意したというのだ。

仲介人でもありレフリーとして同行するとしたアリが、

「最悪の事態に備え、ヘッドギア、グローブ、防弾チョッキを着てリングに登場する。
また、どちらかでも、違反を犯したら、俺がその場で俺がKОする」

と発言したものだから、普通なら東スポの話題作りとなる話ではあるが、一気に信憑性が高まっていったのだ。

猪木「専門家の情報を総合すると、アミン大統領は実力がある。やる限りは手加減は一切ない。
リングで上がったら大統領とはいえ一人の選手にすぎない。一分でKOする。負ける事は一切考えてない」

この発言からわかるようにアミン側がどれだけ本気だったかはもはや知る由もないが、
猪木側は間違いなく本気で動いていたようだ。

しかし、ウガンダ、タンザニアの戦局が悪化し、戦争中に試合が行われるはずもなく、
この幻の一戦は対戦表明のみとなった。
もし、実現していればアリ戦を超えるインパクトがあったのは間違いない。

後に猪木は「あのときはアリ戦という布石があり、それ以上の話題を呼ぶ闘いがあるとすれば、結局そういった人を選ぶしかなかった。。普通、こんな話のらないけど俺はのっちゃうんだよね。もし、試合やって叩き潰してたら銃殺されてただろうね」

そしてなぜ彼を対戦相手に選んだのかとの問いに

「その頃(アミンは)大量虐殺とかを行なって世界的に非難されていた大統領だったんです。
 だから、こらしめてやろうかと思いまして・・

やはり猪木という人物は常人の枠に収まらない偉大な人物だった。

ジャニーズ事務所 退社年表

2008年03月03日 23:39

年に一度ぐらいの頻度で、全くどうでもよいある疑問が浮かぶ。つい先日も

「そういえば光GENJIの紫色担当こと、大沢樹生は今もジャニーズに所属しているのだろうか?」

グループを解散するとジャニーズ事務所を退社するかといえばそうでもない。
佐藤寛之(水色)は退社しているが、佐藤敦啓(黄色)は現在もジャニーズ所属である。

光GENJIをもはや色でしか判別出来なくなってきた私だが、この果てしなく今後の人生に生きてこないこの疑問も、
何度か調べているうちにだいぶ詳しくなった。


そこでジャニーズ事務所退社年表を作成してみた。


1967年 あおい輝彦(ジャニーズ) 退社
※矢吹丈の声優でもあり、3代目助さんでもあり、スケキヨ(犬神家)でもある

1975年 郷ひろみ 退社
※薄い給料で有名でった当時、若手を引連れバーニングプロへ

1978年 フォーリーブス 退社
※02年に再結成

1983年 川崎麻世 退社
※劇団四季「キャッツ」合格を機にミュージカル俳優へ

1986年 ひかる一平 退社
※金八先生、必殺仕事人などで俳優業をこなすも退社後の活動は不明

1988年 シブガキ隊 
※ 本木 →布川 →薬丸の順に退社

1990年 野村義男 退社
※一身上の都合により

1991年 反町隆史(野口隆史) 退社
※素行不良のため

1993年 男闘呼組
※高橋のクビで→前田→成田と退社。現在は岡本のみ

1994年 田原俊彦 退社
※前年に「おれはビッグ」発言

1994年 忍者
※志賀(妻子がいる事がバレてクビ) 古川(太っていてダンスについていけない為退社)
四銃士メンバーも全員退社

1994年 光GENJI
※大沢、佐藤(寛)がグループ脱退と同時に事務所も退社
95年 諸星(「人間不信になった」と言い残し退社)
02年 山本 退社
07年 赤坂 (覚せい剤所持でクビ)


1996年 森且行 退社
※オートレーサー転向の為

(注)全てを網羅してません。またジャニーズJrとされる方については省いてます


このように多くの退社者が出た事により、最終的に近藤真彦が実質のトップとなった。
少年隊、SMAPに学ぶように、アイドル時期が過ぎた後も息が長く生き延びる戦術が功を奏したのか、
森且行以降、デビュー後に退社するものはほとんどいない。

この年表を頭に入れれば、冒頭のような疑問はもう解消されるはずである。
忘れそうになったら、解散組では岡本健一 、佐藤アツヒロ、内海光司だけはまだ所属していると逆手に覚えると
判断に迷う事はなさそうだ。


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