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「東京ラブストーリー」の東京とは?

2007年02月17日 23:40

田舎者にとって東京とは、いつの時代も憧れの響きである。
東京というその魅惑の響きは、幼い頃からアニメで餌付けされ続けてきた。

アキラで描かれた「ネオ東京」
機動警察パトレイバーで描かれた「コスモポリス東京」
エヴァンゲリオンに出てくる東京は「第3新東京市」

数知れず東京を素材としたものを観てきた訳だが、私の世代で一番の影響力といえばこれしかない。



「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」

そんな副題が付いていた、1991年放送ドラマ「東京ラブストーリー」である。
このドラマの詳細を、わざわざ説明をする必要もないだろう。

東京ラブストーリー DVD BOX

「東京ラブストーリー」の東京はどこからきているのか?
東京が舞台だからなのかと思っていましたが、原作であるマンガでの三上のあるセリフにその答えがあった。

リカは東京そのものだ
気まぐれでわがままで刺激的で…
魅力的だけど…疲れるだろ?



ドラマのタイトルバックでは、東京タワー、高層ビルが立ち並ぶ街並みを出勤途中の人混みの中で走っていたり、公衆電話に並んだりと、この時代の東京をイメージしたものとなっている。

当時24歳という設定だったリカの住むマンションは、3LDKはあろうかという広さに観葉植物に囲まれるといった贅沢なものだった。冷蔵庫にはバドワイザー、休みの日にやる事はジグソーパズルとこの時代背景がよくわかる。

私が上京して最初の休日に無意識でジグソーパズルを買ってしまっているのは、このドラマの影響がどこかであったからだと思う。無くしたピースの原因を聞く来客も特に無く、自分一人で永遠と探すこととなった事はもうそろそろ忘れたい。


リカのセリフは恥ずかしくなるようなセリフも多いのだが、はっとさせられることも多い。

 「人が人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ。
それだけが生きてく勇気になる。暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ」

「誰もいないから寂しいんじゃないよ。誰かがいないから寂しいんだよ」


心に残るリカのセリフは数多くあるのだが、それ以上に脳裏に残っているセリフがある。

それは関口さとみの

「わたし何言ってるんだろ・・」

一度でも観た事があればあのシーンが思い浮かぶのではないだろうか。恋愛ドラマの恋敵の典型的な役柄ながら、裕木 奈江も白旗を挙げるほどここまで世間に憎まれる事となった有森也実さんは、逆に誉められるべきだと思う。
兎にも角にもここまで感情移入して観たドラマなんて後にも先にも無かった。

あれから15年以上経ったわけだが、最終的に結ばれた織田裕二 ・有森也実だけが未だ結婚していないのは何とも皮肉な事実である。
よく行方不明になるリカだが、今の様に携帯が普及していたら成り立たない訳で、携帯電話がない時代の男と女のすれ違いはなんだかもどかしくてよい。


(リカ)ヒマラヤのてっぺんから電話したら迎えに来てくれる?
(カンチ)迎えに行く!

(リカ)あったかいおでん持ってきてくれる?
(カンチ)屋台ごと持ってく !

(リカ)ビートルズのコンサートうちで開きたいって言ったら?
(カンチ)連れてくる!

(リカ)ジョンはどうするの?
(カンチ)俺が代わりに歌う!

(リカ)魔法を使ってこの空に虹かけてって言ったら?
(カンチ)それはできないかもしんないけど・・・。 
    
魔法なら使える!



金八の第2シリーズと同様、2~3年に一回はレンタルして観てしまうそんなドラマです。

新ドッキリカメラの革命

2007年02月16日 23:29

私の中であれは革命的な企画だったなと今でも思うものがある。

それは「ダウンタウンのごっつええ感じ」で新メンバーとして加入したばかりの東野幸治を、
歓迎の意味を込めたドッキリにはめるというものであった。

ドッキリといえばバラエティではスベリ知らずの王道 of 王道

しかし、新ドッキリカメラと命名されたこの企画
冒頭の説明で松本は

防ぎようのないドッキリです」 
誰も得しません

と異例の前フリを行い、どのようなドッキリかは視聴者にも教えられない状態でスタートする。


何も知らずにやってきた東野に隠しカメラがロックされる。
そこでキーワードである「東野さんの頭ってカタ焼きそばに似てますね」を合図に羽交い絞めにされ、
有無を言わせずに頭に八宝菜をかけられる。
このドッキリの仕掛けは、単純明快、これだけである。

状況が全く飲み込めていない素の東野に


松本「東野!東野! ホラ!(ドッキリカメラの札を指差す)」

松本「ウソ! これ全部ウソ! ビックリした?

(なにがウソなのか全くわからない状況で、混乱する東野)

東野「え? はあっ?」

(ドッキリの仕掛け人風にその場の空気をつくる出演者達)

今田「(東野を指差し)ドッキリだとまだわかってない まだわかってない!」

東野「はあ?」

松本「はい これ大成功(拍手で成功を盛り上げる一同)」
今田「カメラ カメラ(東野に大成功のピースを強要)」

あとはこれが×4回続く天丼となる。


理不尽ドッキリに正論を吐き出す東野

「これドッキリやない ヤクザ怖い ビビる それがドッキリや!
(自分の頭にかかったかた焼きそばを指差し)これはなんや?」



真面目に考察してみる。
当時私はこの企画は腹がよじれる程笑ったか?といえば、そんな事はなかった。
しかし、3年殺しの様に時代が過ぎて、徐々におもしろさが染みてくる斬新な切り口だったと思う。

普通のドッキリカメラでは、ターゲットの素で驚いた表情を撮る為に、さまざまな仕掛けを用意して驚かす。
しかし、「スターどっきり(秘)報告」の様にアイドルの寝起きだったりスキャンダルまみれだった中森明菜の様なタレントを、
幾度も騙す事によって逆にタレントのイメージアップを目的とする方向にシフトチェンジしていった経緯がある。

この企画はその風潮を逆手にとったのでは?とも思えせるものだった。
騙している方もよくわからないであろう状況が、ターゲットの演技なしの真の驚きのリアクション引き出し、
視聴者も仕掛け人側としてそのリアクションを本当に楽しめるのです。

松本の「東野! これ全部ウソ!」との矛盾した一言が、この企画のおもしろさを集約しているといえる。
天丼となる2回目、3回目では
「その頭にかかっているかまぼこ(うずら)も全部ウソやから」
と、このドッキリの矛盾を際立たして、また新しい笑いをさそう。

近年、バラエティ番組ではテロップの乱用、サクラの観客、クライマックス直前にCM入りなどと視聴者を取り込む為にありとあらえることをする。この新ドッキリカメラの様なちょとした逆転の発想で、そんなものに頼らなくとも低予算でおもしろい番組は作れるのではないかと、素人ながら思う日々です。

キャシィ塚本の功績

2006年11月30日 20:50

「ごっつええ感じ」で一番完成度は高いコントは?

の問いに

松本人志は「駄作は一切無い」と濁しつつも、このコントをあげた



tukamotoy.jpg
キャシィ塚本


松本が演じる四万十川料理学校の講師キャシィ塚本の数々の奇奇怪怪な発言は、
台本無しのその場の思いつきであったという。
松本の言葉に乗っかる訳ではないが、確かにこのコントの切れ味は他のものとは違っていた。

ハイテンションで軽快に料理を作っているのかと思えば、急に落ち込み、そこで発する言葉は思い付きとは思えぬ完成度であった。


(豚肉を見つめながら・・)
「子供の頃、オマエの母ちゃん、ブターっていじめられたこともあるの…
 まぁ実際ブタに育てられてたんだけど・・
 そして今日用意した豚肉が… 」

今田「先生、先生!!」



(急に落ち込んで)
「ちょうど五年前なのね、レイプされたの・・・
 それを思い出しちゃってね、あの頃は滅茶苦茶だったわ・・」

(気を使いながらそんな事は忘れて作りましょうと言う今田に)
「そうね!今日はがんばって7人分作るわよ~♪
ちょうど私を犯した人数よ




(番組に遅刻しそうになった理由を聞くと・)
キャシィ「縛られてたのよね・・
     まぁ縛ってって言ったのは私なんだけどね・・」
    「今思い出しただけでも、半笑いになってしまうわ・・」




(スタミナ料理を調理中に・・)
キャシィ「あの人にも食べさせてあげたかったなぁ・・」
キャシィ「昨日別れちゃったの。。彼氏と・・あ、ごめんなさい・・料理番組なのにでこんな話しちゃって」
今田「いいんですよ、普段の先生が見れるってのもこの番組の魅力なんですから」
キャシィ「夜電話がかかってきて・・来て欲しいって。ホテルまで行ったの私・・」
キャシィ「そしたらドアを開けるなり、チェンジだって言われてね・・
キャシィ「もっと若いのいねーのかって・・




(懐妊してもう胎動があるという話かと思いきや・・)
「どうやらあたし・・・、出来たらしいの。動くのよ♪
 ウィーンウィーンってね。
 電池切れたら止まると思うんだけど・・・・・




(キャシィ登場)
キャシィ『あんた達いい加減にしなさいよ!嫌がらせしたでしょ!』
今田『してないですよ先生』
キャシィ『入ってくるときにね、水の入ったペットボトル置いてたでしょ!』
今田『先生に対してじゃないですよ』
キャシィ『怖くて入れないじゃないのよ!!』



日曜8時という時間帯でデープな下ネタ中心であったり、食べ物を窓から投げ捨てるなど、いろんな意味で放送コード限界だったと思われるこのコントですが、今の子供達はエンタの神様や笑いの金メダルを観ている事を考えると、世代的な優越感を少し感じてしまいます。

ロングバケーションの悲劇

2006年11月15日 22:00

大人になるとまとまった休みは、なかなか取れない。
5連休でも取れる会社であれば、恵まれている環境といえるだろう。

そして、誰もが思うこと・・

半年ぐらいまとめて休みたい


誰もが夢見るこの願望・・
その願いが叶った後の悲劇を私は見てきた


1990年4月~9月
視聴率30%超えも何度も記録した人気番組「とんねるずのみなさんのおかげです」が突如 半年間限定で充電という名目で休業する事となった。そのわずかな間をつなぐ形で、当時まだ駆け出し中のウンナンが「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」を始める事となった。この誰かがやらねばとは、わずか半年しか無い誰もが敬遠するこの微妙な枠を誰かがやらねば!というウンナンの意気込みから付けられた番組名でもあった。
この番組はナンチャンをさがせ! などの名物コーナを生み出し、みなさんのおかげですの視聴者をそのまま獲得する人気番組となった。そして半年後の番組終了時に、ひょうきん族、めちゃイケでも知られるバラエティの王道、土八枠(フジ土曜八時枠)に「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!」と番組名を変えて移動し、この半年間を見事に踏み台としそのまま芸人道を上りつめる事となった。
逆にとんねるずはすぐ復帰するも、その後視聴率的に伸び悩みが続き、『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』などと方向転換を余儀なくされ、「食わず嫌い王」に落ち着くまで長く迷走する事となった。
休んだ期間はわずか半年なのです。

ここで勢いをつけたウンナンも後に苦渋をなめる事となる。

1990年4月~1992年6月
日テレで放送されていた『ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA』
ガキの使いの前時間帯番組でもあり、「夢で逢えたら」を観てきた私はそのままこの時間帯に流れ、とても楽しみな時間帯であった。 しかしこのSHA.LA.LAのつなぎとして当初短期間の予定だった「進め!電波少年」が、ご存知の様に人気を博し長寿番組となった。


お笑い界だけではない。
高視聴率の女王とも呼ばれた山口智子も休養後の2年10カ月ぶりと出演となった「女帝エカテリーナ 愛のエルミタージュ」は、視聴率が9.4%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)となっている。その枠にすべりこんできたのは篠原涼子だろうか。窪塚洋介もわずか1年ちょとの休業ながら今やその姿を見かける事はほとんどない。久米宏もNステの2ヶ月間の突如休養は代理が渡辺宜嗣アナという事もあり復帰を熱望されたが、報ステが始まるとその復帰論もマスコミが煽るほど世間には熱はなく、復帰後の番組『A』(2ヶ月打ち切り)で人の心の移り変わりの非常さを知る事となります。

TKも一時TMの活動を休止した際にB'zが台頭してきて自身がなかなか取れなかったオリコン1位をあっさり取られたことに危機感を覚え、この時に以後休息をとらない覚悟を決めたと言う

連日テレビで見ない日は無い、みのもんたや明石家さんま
三日間の睡眠時間が6時間とも言われている彼らは、もう十分だろうに何故そこまでして働くのか?という問いに「お金」や「名誉」などと思ったらそれは大きな間違いである。

彼らは第一線に居続けるからこそ、わずかな立ち止まりで自分の地位がすぐ奪われてしまう怖さを誰より知っているのだ。故に決して立ち止まる事など出来ないのである。

ケガや病気は仕方ないとしても、本人がゴリ押しすれば長期休養は決して難しい事ではない。
ジョン・カビラや赤西くんは復帰後大丈夫なのかと、心にも無い事を心配してみました。

Panasonic枠の歴史

2006年10月13日 22:16

Panasonic枠とは松下電器の一社提供による
フジテレビの土曜夜11:30からの30分間の枠の事である。

panasonicmage11.jpg


この時間帯は若手バラエティータレントの登竜門と呼ばれていました。
このパナソニック枠の輝かしい歴史と消滅に至った経緯を簡単に振り返ってみます。



夢で逢えたら (1989年4月~1991年11月)
ダウンタウン ウッチャンナンチャン、他

Panasonic枠が若手の登竜門と言われる所以ともなった、最初の番組です。
前時間帯の「ねるとん紅鯨団」との相乗効果で、深夜では異例の20%超えを記録した事もあります。
この番組については皆さんよくご存知だと思うので、細かい説明はいりませんね。



夢がMORIMORI (1992年4月18日-1995年9月30日) 
森口博子 森脇健児 SMAP

当時からとても危険な香りのする番組名であった。
この番組は今ではキックベース発祥やら音レンジャーなどと明るく語られがちですが、
私の中では森脇健児が当時フジテレビ一押しの若手芸人であったという黒歴史が全てです。
この時期に裏番組にて現在も続く人気番組「チューボーですよ!」(TBS系)がスタートし、
この枠はフジの一人勝ちから、各局ひしめく激戦区へと変わります。



めちゃ×2モテたいッ! (1995年10月28日~1996年9月28日)
ナインティナイン 、極楽とんぼ、よゐこ、他

番組開始当時はPanasonicのCMをやっていた雛形、武田がメインの扱いで、ナイナイはサブの扱いであった。
番組当初から高視聴率を維持し、わずか1年でゴールデンタイムへと飛び立つ事となります。




LOVE LOVEあいしてる (1996年10月5日~2001年3月31日)
KinKi Kids、吉田拓郎、他

若者が多く観るこの人気の時間帯は、吉本とジャニーズでの争奪戦でもあったのかと思わせるが、ここで音楽バラエティへとシフトを図る事となる。パナソニックの商品をCMだけではなく、番組の半分を占める演奏で自社の製品を宣伝しやすいのも、この番組が長期続く要因となったのではないかと予想します。



胸さわぎの土曜日 (2001年4月~2001年9月)
筧利夫、ジョビジョバ

この番組からPanasonic枠の迷走が始まっていく
うろ覚えだが当初ワンナイメンバー(雨上がり、ドンドコ、ガレッジ他)がこの枠に昇進するはずだったが、何だかの政治力が働いたのか、ジャビジョバがメンバーとなった。結果どちらが良かったかは10%もろくに超えられずに半年で終了した事を考えれば明らかであった。



アイ×カチ (2001年10月から2002年3月)
飯島直子  河村隆一

こちらも半年で終了。こうゆう番組があった事も知りませんでした



やしがにのウインク (2002年4月から9月)
内村光良 飯島直子  ビビる大木

アイ×カチと全く同じコメントで(笑)



Ayu ready?  2002年10月12日から2004年3月20日 
浜崎あゆみ

全盛の浜崎あゆみをメインパーソナリティーに持ってきて,
低視聴率スパイラルに待ったをかけるべく勝負に出る。
豪華なアーティストが毎回出演する割には、視聴率的には決して良いものではなかった。
若い女性には受け入れられる番組だろうが、全世代が観るような番組だったかといえば疑問が残ります。

この番組を持ってPanasonicは提供を引き上げ、パナソニック枠は消滅となりました。





この後始まった「僕らの音楽」は、今度はソニーグループの一社提供となるも、こちらも視聴率的に苦戦が続きすぐ終了となります(現在は金曜にて「僕らの音楽2」として放送中)、その後もこの枠は長期続く番組は出てきていません。


土曜の夜といえば、フジテレビにチャンネルを固定して胸を躍らせていたものですが、
いつからか土曜の夜はネットをまとめて巡回する日となってしまいました。
この時間帯にまた優良な番組が帰ってくる事を期待しています。


僕が僕であるために

2006年10月10日 21:47

昨日「古畑任三郎vs SMAP」がフジTVで放送され、再放送ながら視聴率22.7%と驚異的な数字だったそうです。一回目の放送を当時観ていた私は、昨日の放送を改めて観ようとは思いませんでした。しかし、どうしてももう一度観てみたいSMAPのドラマがあります。

それは1997年の正月にフジテレビで放送されたドラマSP


僕が僕であるために
僕が僕であるために


主演… SMAP
共演者…鶴田真由、瀬戸朝香、松たか子、広末涼子、唐沢寿明
    岸谷五朗、椎名桔平、鈴木保奈美、野際陽子、植木等


社会人になってそれぞれ違う道を歩んできた高校時代の元駅伝部の仲間5人が、久しぶりに再会する。考え方も当時とはだいぶ変わっていて、そんな5人の私生活での葛藤や仲間とのすれ違い、友情の再構築、自分らしさの模索していくという、アイドルのドラマとは思えないとてもシリアスなものでした。


あらすじを書きながらふと思ったのですが、これはドラマ「愛という名のもとに」ととてもよく似ていると思いました。

愛という名のもとに DVD-BOX


このドラマも大学のボート部で青春時代を共に過ごした7人が、社会に出て久々に再会をする。それぞれの選んだ道の理想と現実のギャップ、仕事の葛藤や仲間とのすれ違いに悩みながらも、仲間の死をキッカケに友情の再構築するというもの。



それぞれのキャラ設定も、とてもよく似ている(役名は省略)


唐沢寿明 (ボート部キャプテン。レールに沿った堅実な生き方の商社マン)
  ↓
中居正広 (駅伝のアンカーを務め、そのまま実業団へ就職。真面目)



江口洋介 - (定職につかず、その日暮らしのヒモ生活)
  ↓
木村拓哉  (        ”         )


鈴木保奈美 (唐沢と江口との三角関係。最後はどっちつかずのうやむやに)
  ↓
鶴田真由  (中居、木村との・・(以下同文))


石橋保   (区役所に勤務。しかし作家になる夢を捨てれず、追い求める)
 ↓
稲垣吾郎  (小児科医を目指しているが、親がひいたレールを歩く事に違和感を持つ)


チョロ   (証券会社勤務。営業ノルマ、結婚の事で悩みを抱える。後に自殺)
 ↓
草 剛  (信用金庫に勤務 営業ノルマ、結婚の事で悩みを抱える。後に事故死)



チョロの様に一流企業に就職したが故に、本当は自殺に追い込まれるほど厳しいノルマに追い詰められていても、見栄が邪魔してその事を仲間に打ち明けられずに自分で抱え込むもの。
安定した公務員を選びながらも、どこか小説家になる夢を諦め切れずに、就職してわずか数年で仕事を辞めるもの。
唐沢、江口の関係に見られる様に、堅実に生きてきたものと、気ままにに生きてきたものの、人生の差が如実に出始める事への焦りと衝突。



私も似たような状況の経験があり、学生の頃の仲間が社会に揉まれてから集まると、どこでも同じような状況になるんだなと思いました。
皆さんも似たような経験があるんじゃないですかね・・


この2つのドラマを観た時はまだ学生だったので、なんとなくの感情移入でしたが、今観ればまるで自分の事の様に感情移入して観れる気がします。

このドラマを観たいもうひとつの理由として、このドラマのタイトルともなっている尾崎の歌う主題歌「僕が僕であるために」が驚くほどマッチングしていた記憶があります。「僕は街にのまれて 少し心許しながら」なんて歌詞はあの当時じゃわからなかったけど、今は少し理解できます。


「愛という名のもとに」はDVD化されているので過去何度も観ましたが、
この「僕が僕であるために」はビデオでは発売されているみたいですが、DVD化は何故かされていません。


古畑なんてDVDでいつでも観れるものを再放送するのではなく、フジテレビさんには是非今回の高視聴率に便乗して、今の自分の状況で改めて観てみたい「僕が僕であるために」を再放送して欲しいと願います。

社会の荒波に揉まれて、昔の仲間ともすれ違いになりがち方に、是非お勧めしたいドラマですね。


アメリカ横断ウルトラクイズ

2006年09月09日 22:40

アメリカ横断ウルトラクイズ (1977~1992 1998年に一度復活) 

知力、体力、時の運」を合言葉に、広大なアメリカ大陸を横断しながら1000問以上に及ぶクイズに挑戦した。昨今、様々なクイズ番組の優勝者を"クイズ王"と呼ぶことがあるが、開催規模・参加人数・番組の量、質・視聴率等のいずれを以てしても当番組での優勝は他のそれを圧倒しており、「ウルトラクイズのクイズ王こそ真のクイズ王」という声も大きかった。


              参加者   視聴率  司会者
第1回大会(1977年)  404名   約25%   福留功男
第2回大会(1978年)  700名   23.9%     ↓
第3回大会(1979年)  1362名   23.9%
第4回大会(1980年)  2707名   29.9%
第5回大会(1981年)  6473名   27.2%
第6回大会(1982年)  7332名   27.2%
第7回大会(1983年)  10203名   34.5%
第8回大会(1984年)  11048名   23.1%
第9回大会(1985年)  11751名  22.2%
第10回大会(1986年)  17162名  26.8%
第11回大会(1987年)  18017名  20.4%
第12回大会(1988年)  20774名  17.9%
第13回大会(1989年)  24115名  16.6%
第14回大会(1990年)  26735名  15.0%
第15回大会(1991年)  28523名  18.1%  福澤朗
第16回大会(1992年)  26121名  14.6%   ↓


1992年での番組終了の原因は視聴率低迷だと思うが、終盤の時期も打ち切りになるほど悪い数字だったとは思えない。やはり何人も引き連れて長期間アメリカを横断するという予算は想像を絶する額だったと思われます。バブルが弾けると同時に終了した感じですね。
(追記)バブル期だったからこそ、NYに行くありがたみが薄れてきたとのご意見頂きました。全くその通りだと思いました。番組スタートは1977年ですから、海外旅行に対する認識も徐々に変わっていたっと思われます。

それにしても皮肉なのが福澤さんに変わってからたった2回で終了した事だ。1991年の放送は途中交代だったので実質一回しかやっていない事となる。福澤さんも名物である敗者復活を廃止し、サバイバル色を高めるなど独自色に奮闘したが、ウルトラクイズ=福留というイメージは壊せなかったみたいだ。



さてさて、16年の放送で私の中で忘れられない大会があります。

それは第13回の長戸勇人さんが優勝した回です。
20060909210241.jpg



この決勝はアメリカ横断ウルトラクイズの歴史の中で「史上最強の決勝」と言われています。彼の決勝の対戦相手の永田良彰さんは「FNS1億2000万人のクイズ王」 で第2回、第4回の優勝に輝いている屈指のクイズ王です。
20060909210232.jpg
その永田さん相手に当時まだ大学生だった長戸さんは圧倒的なスコアの差をつけ優勝します。この他を寄せ付けぬ強さと彼の人間味あふれる姿に視聴者は釘付けになったと思います。


クイズ界では長戸さんは有名人ですが、一般人にはどうもピンときません。
長戸さんがどれだけすごいかというと他の番組でも実証されているみたいです。

ワールド☆レコーズ
http://www.ntv.co.jp/wrs/renewal/kettei/20050116-1/main.html


そしてこの回の放送が記憶に残る事となるもうひとつの理由は優勝賞品にあったと思います。毎回優勝商品は直前まで教えられず、とても豪華な賞品なのですがオチが待っているという事が多かった様に思います。

(例)
小型飛行機 →自分で組み立てないとダメ
カナダ東部に浮かぶ"島 → 満潮時には畳一畳分を残して水没する

そしてこの年の優勝商品は冷凍人間保存の会員権だったのです。うらやましいのか・・そうでもないのか・・
ともかくこの当時としては人間を冷凍保存なんて夢の様な話でしたので記憶に残っています。



現在でも全国高等学校クイズ選手権は継続されていますが、たかだか2時間では出場者に全然感情移入できません。アメリカ横断は飛行機搭乗の前にじゃんけんが組み込まれており、前回のチャンピオンがじゃんけんで負けるといった不条理さがまたおもしろかったりしました。
毎週出場者のさまざまな人間模様を観ていると、自然と肩入れする人も出てきたりして、このクイズ番組の形式は画期的だったと思っています。バブル期ならではの番組だったのでしょうか?またこの番組が観れる様な時代が来れば良いのですが・・

TBS 昼枠の迷走

2006年08月17日 21:09


図:ここ10年の民放各局 お昼の番組動向

フジテレビ 日テレ テレビ朝日 TBS
番組名 笑っていいとも
iitomo.jpg
おもいっきりテレビ
omoikkiri.jpg
ワイドスクランブル
waidosukurannburu.jpg
 ?
平均視聴率
(96年~現在まで)
  11.0     9.6    5.5  ?



見ておわかりの様に各局とも10年以上の長寿番組となっており、いいともとおもいっきりテレビに至っては20年も続いている。一見ワイドスクランブルが低いようにみえるが10年の平均値であり、ここ数年視聴率は上がっており、逆に「いいとも」は右肩下がりで、お互いしのぎを削っている状況といえる。そんな中TBSのお昼枠は悲惨という言葉では生ぬるい状況となっている。



<TBS昼枠 番組継続期間と平均視聴率>
「山田邦子のしあわせにしてよ」(1995年4月~1997年3月 出演:山田邦子)
 2年   4.1
「ちょっと言わせて」(1997年4月~9月 出演:うつみ宮土理)
 6ヶ月  3.0
「黄金のレシピ」(1997年10月~1998年3月 出演:うつみ宮土理)
 6ヶ月  3.3
「宮本和知の熱血!昼休み」(1998年4月~9月 出演:宮本和知)
 6ヶ月  2.6  
「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」(1998年10月~12月 出演:上岡龍太郎、笑福亭笑瓶)
 2ヶ月  2.3  
「マダムんむん」(1999年1月~9月 出演:小笠アナウンサー、安東弘樹アナウンサー)
 8ヶ月  2.5
「スーパー知恵MON」(1999年9月27日~2000年3月 出演:立川志の輔、坂上みき)
 6ヶ月  2.5
「ベストタイム」(2000年4月3日~2004年3月26日 出演:福留功男、)
 4年   4.5
「はぴひる!」(2004年3月29日~9月24日 出演:長嶋一茂、)
 6ヶ月  2.8
「(特)情報とってもインサイト」(2004年9月27日~2005年3月25日 出演:恵俊彰、山田五郎)
 6ヶ月  2.9




最初の表と見比べてもらえばわかると思いますが、TBSは20年間で18番組を投入し全て打ち切りとなっています。私自身、ベストタイムの福留さんをかすかに覚えてるぐらいで、その他の番組が一体どんな番組だったのか全く知りません

この中でも特に注目したいのが「宮本和知の熱血!昼休み」と「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」の2番組です。

全く未見で批判するのも失礼ですが、「宮本和知の熱血!昼休み」って・・・・。昼なのに「宮元」と「熱血」という組み合わせだけでも絶対観たくないものですが、この番組はいろいろと伝説を達成したそうです。まず視聴率1.4%と最低視聴率記録(深夜・早朝を除く)をマークしたそうで、9月というありえない時期に強制的に番組は終了した。宮元は自分の名前が入った看板番組にもかかわらず中盤から拍手するだけのアシスタント以下の扱いになり、末期は旅番組と化してていたらしい(笑)

前代未聞の記録を打ちたてたが、伝説はこれで終わらなかった。その後を急遽受け継いだ「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」が1.4をしのぐ最低視聴率0.9%を叩き出したのだ。ちなみにこの0.9という最低視聴率は現在も破られてないタイトルホルダーだそうです(笑)誰も見てないはずなのに、新聞の投書欄には「射幸心をあおるようで不快」などの投稿が相次いだ。さらにはこの番組は生放送に見せかけた録画放送で、しかも5本撮りをしていたというお昼の常識をくつがえしたもので、2ヶ月という驚異的なスピードで打ち切られた。上岡龍太郎はすでに芸能界引退を決めており、最後のこづかい稼ぎ程度しか考えておらず、逆に笑瓶は初の冠番組で気合が入っていたが、この番組の失敗が今もトラウマになっているそうです。

その後、手を変え品を変えで改変を繰り返すも視聴率は全く伸びる様子がありません。そんな状態が20年も続いているせいで、プロ野球の視聴率低迷がいつも話題になるような逆転現象がおきて、マスコミ関係者はもちろん、私のように昼にTVを見る機会もない一般人までもが、TBSの次の一手に注目しはじめているのです。
現在放送中の「きょう発プラス!」も10月に打ち切りが決まり、今度は日テレからフリーになったばかりの福沢アナをメインにもってくるそうですが、低視聴率スパイラルを抜けれるとは到底思えません。

TBSは20年間も咲かない不毛の土地(昼枠)に、いつ芽を出す事ができるのでしょうか・・

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シュプレヒコールの波

2006年07月27日 21:07

金八先生第2シリーズ(1981年放送)の 「卒業式前の暴力」の回

腐ったミカンの方程式で覚えている方も多いと思います。
個人的にドラマを観て鳥肌がたったのはこの放送が最初で最後でした。

この当時はまだ小学生で生徒目線でしか物を見ることが出来ず、それでも何かわからず涙したものです。今大人になって金八先生目線で見るとまた当時と違う部分で感銘を受ける部分があります。よく考えれば坂本金八(武田鉄矢)はこの撮影当時30歳で、今の私と年齢が近いことに驚きました。


<簡単なあらすじ>
荒谷二中の番長で学校を追い出された加藤勝は、桜中学の金八先生のクラスに転入してきた。卒業間近、就職も無事決まり後は卒業を待つだけの時期に荒谷二中の不良たちが卒業式をぶちこわす計画を立てている事を知る。仲間を無事卒業させてやりたいと願う加藤はそれを阻止すべく、校長達の謝罪を言わす事が防止に繋がると考え、松浦と一緒に荒谷二中に乗り込む。


加藤、松浦が逮捕されるまでのシーンはあまりにも有名な為簡略させてもらいます。

gdgd.jpg
「かとうぉー!!まつうらぁー!!」

030130b.jpg
警察強行突入

030130s.jpg
シュプレヒコールの波~ 通り過ぎてゆく~

030130x.jpg
護送車で運ばれる息子を追う加藤の母親




ここが一回目の泣き所ですね。ここで流れ出す涙は一体何の涙なのか未だにわかりません。
悔しさでもなければ無念とも違う、感動ともちょっと違う・・うまく言葉で説明できません。

ちなみにここで流れる中島みゆきの世情ですが、元々学生運動をテーマ作った曲だそうで、サビに出てくるシュプレヒコールとはドイツ語で「デモや集会で、参加者がメッセージやスローガンを一斉に唱えること」という意味です。どおりで恐ろしくこのシーンとマッチングしてくる訳ですね。


ここから本題なんですがちょと長くなってしまったので、
後半ご興味ある方は↓からどうぞ

[ 続きを読む ]

不良ものドラマといえば?

2006年06月01日 02:27

あなたの思い浮かぶ不良ものドラマといえば何ですか?


2005年「ごくせん」?
(失笑)

2003年「ヤンキー母校に帰る
(またご冗談を・・)

2000年「池袋ウエストゲートパーク」?
(怒るでしかし)

1994年「アリよさらば
(why?何故に?)

1994年「南くんの恋人
(あー友達でいいからー君が望むならーああーアァァ・・( ´_ゝ`))



1989年「はいすくーる落書」に決まってるでしょ!!
img200461091241.jpg
はいすくーる落書 ベスト(1) / 斉藤由貴、清水宏次朗 他
工業高校が舞台となった本作、あまりにリアルで荒み過ぎてるため
工業高校に対するイメージを損なうと抗議が殺到し、
再放送、DVD化が一切出来ない いわくつきのドラマなんです。

このリアルさこそ真の不良ドラマでしょ!


( ´_ゝ`)∂゛チョットコイヤ 
と自分より上の世代の諸先輩方のお怒りの声が聞こえてきましたw

不良ドラマと言えば大映ドラマに決まってるだろ!とつっこまれそうです。
20060601012917.jpg
 (スイマセン 未見です)


こんな争いをしてると、さらにこの世代が黙っていない事でしょうw
dsc00018.jpg



世代間で答えが異なるこの質問
思春期の多感な時期に観たものと、大人になって観るのでは当然違うもので
あなたは青春時代何をみて過ごしてましたか?^^


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