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山里亮太 堕天録

2007年10月25日 22:55

2007年の出来事をそろそろ振り返っていきたい。
世の中ではいろいろあったが、私は日本アカデミー賞での惨劇を取り上げたい。
南海キャンディーズの山里亮太が相方のバーターながらインタビュアーに抜擢され、その悲劇は起こった。

生放送で日本全国に放送されたこの番組。
(気まずい)空気を感じる事に関しては人一倍敏感な私は、テレビの前で、あわわ・・あわわ・・を繰り返していた。
見逃した方の為にも、私のフィルタを通してカイジ風に描写してみる。


山里のしゃべり初めに音声トラブルで、放送事故のあの映像を10年ぶり観た事からこの悲劇は始まった



松山ケンイチにインタビュー

山里 「(カンペを読みながら)4ヶ月にもおよぶトレーニングを積んで、役作りをして映画に臨まれたということで…」

松山 「えぇ?」

山里 「4ヶ月・・・っていうことなんですけども・・・」(カンペ再度確認)

松山 「え?! 2週間ですけど・・」

山里 「あ・・2週間ですか、えらく短くなりましたね・・」



ざわ・・


おかしい・・
決められた進行に従ってカンペを読んでいるだけ・・
リハでも確認したアドリブ要らずの安全な橋・・


4か月でもつじつまの合う話を、わざわざしょぼい方に言い直したのか・・
妙な胸騒ぎ・・ 違和感・・



気を取り直し、大沢たかおにインタビュー

山里 「今回は一人三役とのことですが、三役をやるコツは?」

大沢 「え? コツ? コツですか?(半笑い)」
 
山里 (笑顔も完全に消え、真顔でカンペを確認)



なぜ、そこにひっかかった!
お前の生きている世界は虚無、矛盾で成り立っているはず・・

そんなお前が、なぜそんな軽石にひっかかった・・・!!



大沢 「・・・・(沈黙)」

山里 「…そうですか、どうもありがとうございました」


さわ・・・
       さわ・・


なんだ この違和感・・・
まるで異物、畑違いを排除しようという空気・・
場を覆う悪意に満ちた空気

それ以上に背後に感じる2億6千万の冷たい視線・・

その遠巻きにブラウン管から窺って(うかがって)いる男達・・
その黒い期待・・!

単なる視聴者ではない・・・・・。
なんというか・・
もう少し別の何か・・・

人のミスや・・・・、愚かさ、不幸・・
そんな人間を嗤(わら)う笑い・・・・。 

考えるなっ! 
考えちゃダメだ・・・!
麻痺させろっ・・・!
麻痺させるんだっ!

大御所の山田洋次監督で、この空気を変えてみせる!!


山里 「時代劇にはこだわりがあるんですか?」

山田 「特にこだわりはないですね




きさまらっ!(俳優陣)・・・・

   きさまらっ!(俳優陣)・・・・・・・・

     それでも・・・・・・
         人間かっ・・・・!?




山里「時代劇にこだわりがあるということで…」
(※パニくり、本来のカンペをそのまま読む)

山田「だからねっ!、こだわりはありません!」





ダメだ・・カンペに頼ろう・・・
そんな気持ちだから足元をみられる・・・


自分を救うのは・・・
自分だけっ・・・・!

何か策・・・突破口・・・・!
勝つための方向性・・・
勝負の羅針盤が欲しい・・・

先輩のくりーむしちゅー上田が「受賞の実感がまだ湧かない」との女優に対し
「KONISHIKI のマラソンより遅いですね」
と、上田さんらしいツッコミで会場を和ませていた


そうだ・・ここ一番でいつもおれを救ってきた鉄板
必勝パターン・・!

ブサイクである強み・・
自虐ネタしかない・・



山里「・・今後僕みたいなのと恋人同士の役とか・・?」

女優「・・・・」




鉄ちゃんも言ったはず・・
黙っちゃダメ! と・・

元U-turnの芸能界を去った方も
解散間際はしゃべらずひたすら笑っているだけだった・・
最も危険な兆候・・! サイン・・!

置きにいった定石こそが、
最も浅はかで危険球・・

結局は偽りの奮起・・・。
似非もいいとこ。
言うなら玩具屋で売っている
安物のロケット花火のような決意
飛び出してそれで終わりという代物
もはや持続の燃料は積んでいない。
 

どうか・・矜持をっ・・・!!
                (2007年 2月06日放送)



「後でビックリするくらい怒られました」という山里。
地上波で初めて「ざわ・・ざわ・・」という生擬音をお茶の間に届けたこの放送をこのブログとしては後世に伝えたい。

小室哲哉 ×岡村靖幸  対談

2007年10月23日 22:04

先日、NEWS23で「覚せい剤との決別…歌手・岡村靖幸の生きる道」が放送された。
彼のメディア登場は尾崎が夜ヒットに出た時のような、なんともいえない気持ちで見守った。
尾崎がもし生きていたら・・と、思うと彼の不器用な生き方で世の中に順応できたとは想像しがたく、
今の岡村のその姿だったかとダブッて見えてしまう。

その本質を知ろうとすればするほど、わからなくなる男 岡村靖幸。
そこで私のVHSに眠る岡村靖幸のメディア出演の一部を文字起こしてみる事にした。

それは1995年~1998年 フジテレビで放映された深夜音楽番組。
TK MUSIC CLAMPに出演した際のものである。

小室さんがパーソナリティーとなり、小室ファミリーはもちろん、異色の顔触れも多くみられた。その中でも対談リクエストが一番多かったのが、岡村靖幸であったという。

この対談を私は複数回観ているのだが、わざわざ紹介するようなネタ話はない。だが、この一見対極と思われる2人の対談こそが、お互いの見えざる魅力を引き出していると思う。そのごくごく一部を紹介したい。



小室 「ちなみにいくつになった?(1996年当時)」
岡村 「もう三十なんですよ」
小室 「僕なんてもう三十七だからね」

※TK)globe「DEPARTURES」華原朋美の「LOVE BRACE」安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』などTK絶頂期
※岡村)90年代に入り表舞台から突如消え、あらゆる噂が飛び交えっていた時期



小室 「素朴な疑問なんだけど、これだけ期間を空けたのか?空けざるを得なかったのか?」

岡村 「いい詩が書けなくて。見えるんですよね、人の顔が。「今回まあまあだったじゃん」とか、「今回ちょと手を抜いたな」っていうプロデューサーの顔とか。それが見えたとたん嫌になっちゃって・・」


岡村 「休んでいた期間というか、レコーディングだけの期間は、人に会ったりしなかったし、すごく閉鎖的だったですけど・・こうして小室さんに会ったりとかして、いろんな人に会っていろんなことを思い出したり、悔しい思いしたり「小室さんはいつもヒットチャートに・・うっ悔しい」とかって思いをしたり、「うらやましい」とか「モテモテだろうな」とか思ったり。「俺は悔しくないんだよん」ってフィルターを買ってきて、全て排除してたんですよ。でも、そうすると最悪の人間になっていくんですよ・・本当はそう思ってるくせに、違うフィルターを通すと。」


小室 「TMネットワーク時代とかで、描いてるのと違う形になってリリースされることもあるし、思ってるほどいい結果が出なかったことももちろん何回もあるわけでそういう時は違う道を探すじゃない。大通りを通らないで裏道はないか、とか。でも、僕なんかは、そこに行っても、すぐまた大通りへの抜け道があったら戻ろうって発想があって、裏道を最後まで行き着くことはないから、戻るんだよね。ただ岡村くんはレコーディングが1~2年かかるって聞いてたから、どんどん裏道に入っていく人なかって思ってたけどね。だから最後まで大通りに戻ろうという回路がない人、そんな感じがしてたけどね」

(中略)
岡村 「(レコーディングが終わると)ディスコに行くようになって、やっぱ「ヴェルファーレにも行くわけですよ。あまり行かないですか?」

小室 「年に2回ぐらいかな・・」

岡村 「そうか・・・・。いろいろ考えるんですよ。あそこに小室さんが行ったらギャルはみんな卒倒だろうな・・とかね。だから「お立ち台の左から三番目に小室さんの友達だって」とマネージャーに言おうかとか(自制心と)闘ってますよ。」

小室 「相変わらず変わってないね。全然」

岡村 「(小室さんの勧誘の仕方って)ベルファーレとかに週1ぐらいプリンスみたいに行って、「あの娘、Come on」とか言って、「君デビューさせよう」とか言って、「今晩、僕のホテルにCome on OK? 君デビューね」みたいなプリンス伝説みたいな事が行われているのかと・・」

小室 「もう、やめてよ、そういう事いうの・・。」

岡村 「よく聞くじゃないですか。プリンスの話でそういうの。でね。小室さんのファミリーには、そういうセクシーなギャルがたくさんいるから、そういうもんなのかな?と思ったんですよ。小室さんもそういうのあるのかなと思って」

小室 「言い方を換えれば紙一重なのかもしれないけど、それが本当にあることか、ないかは別にして、そう見えても仕方ないかなと思うけど」

岡村 「ぼくなんかそう思ってました。Hするとかじゃなくて、ベルファーレのお立ち台で気になる娘とか輝いている娘を見つけるのもひとつの手じゃないですか。」

小室 「僕はもうそういう探し方はしてないよ」

岡村 「小室さんついて知りたいことはたくさんあります」

小室 「ぼくよりも岡村くんの方が不思議な存在だと思うけどね」




               (1996年 2月7日放送 TK MUSIC CLAMPより)


危険物取扱注意

2007年10月10日 23:05

化学反応・・・
その組み合わせは多種多様にわたり、酸化、分解、中和などさまざまな反応を起こす。
人間も同じ事が言え、この組み合わせはどうなるのだろう?という期待を持たせる事で、
雑誌の対談などは成立している。

だが、決して混ぜてはいけない薬品というものが存在する。

例えば、塩酸、硫化リン、ホルムアルデヒド・・

いやいや・・

プラトニウム、濃縮型ウラン・・

こちらのほうがこの人物の劇物ぶりを的確にあらわしているかもしれない。




chiharu1.jpg
松山千春である


彼が10年以上前にヘイヘイヘイにチャンプとして出演した際、
「オレは別格」「美空ひばりと五分」等の発言はインパクト抜群で、その後総集編でこの部分は繰り返し放送された。
だがこのブログとしては総集編では使われないであろう、数々の危険薬物との化学反応
我が家に眠るVHSを掘り起こし改めて検証してみたい。




<中和反応>
 →酸と塩基が反応してそれぞれの性質を打ち消す反応


(チャンプに大物で誰が来てないという話題になり・・・)

千春 「矢沢も呼べばいいじゃないか。」
   (注)もちろん矢沢氏の方が年上

浜田  「ヤ・ザ・ワ? それは矢沢永吉ですか?
     どんな感じの人なんですか?」
千春 「似たような感じよ。オレと。」




<脱水反応>
  →分子内あるいは分子間から水分子が脱離することで進行する化学反応


(ドラマの主題歌は歌わないと公言していたのに、主題歌となった事をつっこまれ・・)

千春 「(そのドラマが)へんなトレンディードラマじゃないし・・時代ものでもないし・・竜馬(注釈)でもないし」
(注)当時浜田が主演したドラマ「竜馬におまかせ!」。脚本の三谷幸喜、反町隆史 、H Jungle with t彼らの経歴から抹殺せざるをえない作品となった。

千春「坂本竜馬にそんなに不快感はないんだよ。ただ、竜馬に心酔してる武田鉄矢なんだよ
浜田 「武田鉄矢って・・・」
千春「キライなんだよ!オレ。昔からキライなんだよ



<脱離反応>
  →化合物が原子団を放出してより原子数の少ない分子となる反応


(TRFの音楽をどう思うか?(当時絶頂期))
来年いたらお話しましょう

(小室哲也をどう思うか?)
パシリにもならない

(桑田佳祐は同年代ですよね?)
バーカ桑田

(ドリカムは同郷ですが・・?)
吉田美和の後ろにいる男達がバカ

(大先輩にあたる井上陽水 、吉田拓郎に対し)
おい!ちょと勝負しようよ!」




<臨界反応>
  →液体と気体の区別がつかないような状態/事故


松本「前ね・・長淵剛さん来たんですよ。かなり威圧感ありましたけどね」

千春「オレの威圧感とあいつの威圧感は違うから。
   
   あいつのは病的な威圧感だから」



最後の劇物の組み合わせは、国内最大級の臨界事故になることだけは間違いないようだ・・

翔、曰く

2007年10月02日 22:10

先日本屋で書物を探していると、ある本の宣伝文句が否応にも目に入った

鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス
鳴かぬなら 鳴かせてみようホトトギス
鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス

と小さめに書かれたその下に、大文字でその著者の性格をあらわす「鳴かぬなら・・」が書かれてあった。

と、その前に・・

私はこのお題は日本で一番難問だと思っている。バリエーションがありそうで意外と少なく、人の心を討つ文句は出尽くしているからだ。つい先日もフィギュアスケートの織田信成が「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と発言し、寒波と共に本格的な冬のシーズン到来を感じさせてくれたのも記憶に新しい。まともに答えても、おちゃらけてもシラける究極の難問なのだ。その問いにこう書かれていた。

鳴かぬなら 俺が鳴こうホトトギス


ああ・・一番NG解答である。たぶん過去10万人はそう答えた最もありきたりなものだ。しかし、よく目をやると「俺が鳴こうホトトギス!!」と、妙に!が多い事に気づいた。

恐る恐る著者に目をやると、そこには哀川 翔の文字があった。

ちょと休憩・・

哀川 翔をこのブログで扱うにあたって私は気をつけている事がある。彼の取扱いは要注意で、招かざる客がやってきそうな予感をビンビン感じるのだ(笑)先日の布袋の暴行事件では「布袋 最強」などとても素敵な検索ワードで数万人がこのブログへとたどり着いていた。そのキーワードでひっかかってしまうこのブログは大いに問題ありだ(笑)そういったわけでこのブログで哀川 翔のカードをきるのは3回までとしている。そして今日は2枚目のカードをきることにした。


話を戻して・・

その本を開いてみると、居酒屋によくある「親父の小言」のように翔語録があった。


翔、曰く・・

俺には夜がない。昼、昼でダブル太陽よ

翔、曰く・・

俺は「裏NHK」って言ってんだよね、Vシネマの事は

翔、曰く・・

借金かかえてるってことは、信用して貸してくれる人がいるってこと

翔、曰く・・

原始的なことは、絶対負けたくない

翔、曰く・・

仕事は来た順。だってそれが誠意でしょ


翔、曰く・・

子育ては修行今世紀最大の修行


翔、曰く・・

「需要と供給」の中を雁首並べて生き抜いてきた


翔、曰く・・

気持ちって丸い形してると思わないか?




                     (引用文献 「翔、曰く」)


翔の小言が我が家のトイレに貼られることが決定した・・


関連記事:実録!平成の世に生きる狩猟民族

ナイナイに学ぶ継続力

2007年08月02日 21:21

更新には波風があるのだが、先月はついに3つしか記事を書けなかった。
ブログは、質より頻繁な更新が大事だとわかっているが、どちらも達成できていない。
こうやって星の数ほどあるブログは日々自然消滅していっているのだろう。

だが無理をしてでも続けていく事で得るものもある。

その思う理由は、ナインティナインにある。

彼らの芸人としての魅力は、キレのある動き、芸人らしからぬ努力家というのが一般的だが、
わたしは他ならぬ継続力だと思っている。

気づけば彼らの現在抱えている番組は恐ろしく長寿番組ばかりだ。


めちゃ×2イケてるッ!  10年9ヶ月
ぐるぐるナインティナイン  13年3ヶ月
ナイナイサイズ!  6年9ヶ月

ナインティナインのオールナイトニッポン  13年3ヶ月



デビューから常に第一線で活躍しているように見えるナインティナインだが、本人達も自ら認めるように決して天才肌ではなく、ダウンタウンと比較され酷評されるという苦難の時期があった。その当時、タレント化していたglobeのKEIKOがダウンタウンの番組で「矢部さんが嫌い。私の方がつっこみうまい」と好き勝手言われる始末で、この時期のナイナイの微妙なボジションがわかる象徴的な出来事でもあった。この放送を生で観ていたという矢部の気持ちを察すると本当に胃が痛い。私はここで間違いなく潰れてしまうタイプだ。この時期の彼らは自分たちの強みをいろいろと模索したのではないかと思う。

浮き沈みが激しいテレビ番組で10年以上継続させるには、幾度となく番組存亡の危機があったはずである。スポンサーあっての番組であるわけだから、多くの視聴者に観られることが大前提である。視聴者に媚びず自分の信じるお笑いを追及し、太く短い終わる番組もある。ナイナイはゴチバトルのようにその軸を大衆向けの方向に時には変えながらも、とりあえず続ける方向を選んだ。どちらが芸人にとって良いのかは私の知るところではないが、ナイナイはこの選択で30半ばながら他の芸人にはない、圧倒的な実績を得ることに繋がったのはひとつの事実である。

さきほどの長寿番組の中で、オールナイトニッポンに注目したい。 この記録は40年の歴史を持つこの番組でも、最長記録で現在も更新中なのです。かつてビートたけし、タモリ、私の時代ではとんねるずなどを聴きながら青春時代の夜長を過ごしてきた。

ラジオという媒体は、そのパーソナリティを身近に感じさせる力がある。中島みゆき、松任谷由実などが良い例で大衆の勝手に抱く雲の上の人のイメージを壊すことで、より深いファン層を得ることにつながる。それを13年間続けてきた彼らのチルドレンは日本中の至るところにいて、彼らのテレビ番組を支える土台ともなっている。


この継続力は意図したものか、結果的に付いてきたのかはわからない。だが彼らの継続力は苦悩と葛藤によって導き出された、彼らのもっとも誇れる才能になったのではないかと思う。

そういったわけで、このブログも初期に半年間もさじを投げた経緯があり、その壁を越えると良い意味でも悪い意味でも新たな世界が確かにあった。何事も3日坊主の私にとって、ナイナイにみた「継続は力なり」の真偽をこのブログで確かめてみたい。


<芸人に学ぶシリーズ>
さんまに学ぶ切り替え力
ロングバケーションの悲劇

「ワン、ツー・・ スリー?」 に隠されたプロの技

2007年06月16日 19:24

1961年4月12日 人類として初めて地球を外から見たガガーリンは、「地球は青かった」といった。

(´ー`) 宇宙船地球号の乗組員として、環境にやさしくなろうと思った・・


1969年7月19日、初めて月面着陸したアームストロングは、「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言った。

(´ー`) 21世紀は宇宙に住む時代が来るのだと、胸の高鳴りを抑え切れなった・・


1998年 5月某日 傷害事件での釈明会見で、記者の「何発殴ったのですか?」の質問に

ワン、ツー・・、 スリー?

と答えたアーティストを見た。


( ´ゝ`) 翌年に訪れる1999年のノストラダムスの予言は、間違いなく起こる事を確信した・・




哀川翔、氷室京介 、オール巨人・・芸能界では強さを物語る武勇伝には事欠かないものが数多くいる。しかし、そのほとんどは有名になる前の話で人の伝聞で成り立っている為、脚色が加わり大げさに伝わっていくものである。有名人である彼らが武勇伝を起こした時=傷害事件が発生した時で、最強の称号と引き換えに芸能活動を終焉しなければならない為、その武勇伝の真偽を確かめるのは事実上不可能である。

だが、一人だけ実際に事件を起こし、その武勇伝を実証してみせた男がいた。

その男こそ、吉川晃司 である。

10年近く経ち、だいぶ風化した感のあるこの事件を、もう一度ちゃんと振り返ってみたい。


当時、この事件の第一報はこのような内容で世間に伝わった。

吉川晃司(当時33)自宅マンションで知人と喧嘩。
鼻骨やろっ骨が折れるけがを負わせ、書類送検された。


普通の人ならこの事実をなんとなく覚えている程度だと思います。いや、そんな事があった事を知らないほうが大多数かもしれません。ファンであった私ですら、これを聞いた時は苦笑いする程度でした。

しかし、この事件で後日釈明会見を行った吉川だが、その口から語られた事件の詳細が、後に語り継がれる事となるのです(笑)


<記者会見で明らかになった事実>

・その知人Aさんというのが元ボクサーであり、一方的に殴ったのではなく、殴り合いになったという点

・冒頭でも触れた通り、「ワン、ツー・・スリー?」の異例の回答と、たった3発で終わらしたという点。

・「泥酔していたといわれているが、それも違う。 自分は『真露』2、3本なら大丈夫。25%ぐらいの酒ならね」と発言。決して酔っ払い同士の泥試合ではなかったという点



この事実を踏まえてわかる事があります。長くなりそうなので先に結論を書きます。
これは素人の喧嘩ではなく、プロによる仕事だったのです。

20070616165558.jpg
射撃訓練する吉川   (PV 「KISSに撃たれて眠りたい」より)

ボクシング経験者と殴り合いになったというのに、自分は無傷で記者会見に望み、相手には鼻骨、肋骨を骨折の重傷を負わせ、一ヶ月の検査入院を余儀なくされた。しかもそれはたった3発で2ケ所も骨折させたという仕事ぶりであった。

ここからはわたしの推測(妄想)に入る。


通常、素人同士のケンカで顔面を殴る時は、頬に集中する。人間というものはどこかで恐怖心があるため、眼や鼻という場所はいくら興奮状態でも無意識に避けてしまうのだ。それが常人の喧嘩である。その点、初弾を鼻に打ち込むとは、愚地独歩なみの実践空手の考え方である(吉川は少林寺拳法の使い手でもある)。そして一撃で鼻を折るほどのパンチであるから、ひねり(回転)と腰(体重)がのっていた事は容易に想像できる。

そして、もっと興味深かったのが肋骨の骨折である。元警視庁にいた経緯を持つ北芝健の書物を紐解いていると興味深い記述があった。取調室などで暴れるヤクザや凶悪犯を大人しくさせるときは、必ず脇の下をピンポイントに強く殴るというのだ。この理由は簡単で、どんなに強打してもアザが出来ず(証拠を残さず)、尚且つ、吐血を伴うほどの激痛が一瞬で体中に走り、どんな巨体の男でも一発でダウンし、のた打ち回るという。そう、脇の下とはその筋のプロが好むヒットポイントなのだ。吉川が鼻の後になぜここを狙ったのか?そして、たった3発で仕事が終わった理由は理解してもらえたと思う。


「一方的に殴ったわけではない。相手もボクシングをやっていて、 お互いに腕に覚えがあるから」の釈明からわかるように、Aさんは結果的に被害者になってしまったといえる。普通ならAさんが加害者になっているはずである。その証拠に、重傷であるAさんが自ら110番通報(助けを求める)している。

「ワン、ツー スリー?」発言後、3発のパンチを打つ動作を確認しながら「こう、こう、こう、、、うん、3発殴った」とその事件当時の動きを実際にやってみせた。バキを愛読されている方はご存知の通り、実在しない相手を仮想してイメージトレーニングする方法は、上級者クラスになるとそのあまりのイメージ力に本人以外にもその仮想の相手の姿が見えるという。そう、私は見えてしまったのだ・・。現役時代を彷彿させる渾身のストレートを放つもすでに吉川の姿は視界から消え、驚く間もなく急所を突かれていくAさんの姿が・・


「水中だったら、ヒクソンにも勝てる」とテレビでよく笑いながら豪語している吉川だが、
その笑顔と裏腹に眼が笑っていないのを私は見逃していない。
吉川語録はすべて事実のみを語っているのです。

そう考えると、今から20数年前の彼の芸能界デビューの設定

広島から東京湾までバタフライで泳いでやってきた


20070617023502.jpg
(映画「すかんぴんウォーク」(1984年) 冒頭の登場シーンより)

これも真実なのです。

れいかん やまかん とんちんかん

2007年06月12日 22:25

折口会長の連日のお詫び行脚の様子を見ていると、しばらく雲隠れしていた時に、数年前のまだ生き生きしていた折口氏の映像がずっと流れていたせいか、今のその死んだ目が強く印象に残る。
どんな心労が重なればあんな目になってしまうのかと、朝の満員電車で高度圧縮されながらボーと考えていたが、ふと正面の窓ガラスに目をやると、そこに折口氏と全く同じ目つきの自分がいた。ああ、そういう事か・・人は覇気を無くすとあんな目になるらしい。意外と近くに答えはあった。

折口氏といえばジュリアナ東京の仕掛け人として、バブルを象徴する映像と共にその経歴を紹介されることも多い。地方在住のわたしにとってのジュリアナ東京は、「トゥナイト2」などのテレビでその様子を間接的に見ているだけだった。今で言うヒルズ族のようなその時代を象徴する場所だったと思う。いつか自分もあの場所に行ってみたいと思っていたが、ご存知の通り1994年にジュリアナ東京はその短い幕を閉じた。自分がいざその土地に降り立った時は、その残り香すら嗅ぐ事が出来ない状況だった。

タワーレコードなんて行くと「ディスコ80's」なんてタイトルのアルバムが行く度に新しいのがリリースされている。ディスコ世代の人たちにとってディスコサウンドは、その音楽と共に若き日の踊り明かした自分が蘇ってくるので、金太郎アメのようにいくら同じものがリリースされようとも購入意欲を刺激されるのだ。どうもダンスミュージックというのには劣等感がある。パラパラ、ユーロビートなんてものあったが、知らぬ間に通り過ぎていて、今じゃ竹の子族との区別がつかない。ブレイクダンスは骨が硬いから無理だ。レゲエは髪が痛むからイヤだ。素人がかなり偏った思い込みとひがみで書いているので、許してほしい。


折口氏から始まり連想ゲームのようにボヤいているが、何が言いたいかというと、わたしはディスコやクラブに行ったことが全く無い!という事だ(笑)
そしてそれを時代のせいにしようとしているのだ。

踊って楽しむという空間に、ことごとくすかされてきた気がするのだ。最後に踊ったのは中学の頃の山の家でのキャンプファイヤーぐらいだ。ダンスという事に関しては本当に縁がなかった。そのくせ、「フラッシュダンス」は幾度も観たし、荻野目洋子のダンシングヒーローは十八番だ。踊り明かそうなんてよくある歌詞をカラオケで歌う度に、その経験が無いのでなんだか切なくなる。これは私の生きてきた時代というよりかは、わたしだけなのかもしれない・・。それぐらいの客観視は出来る子である。
ただ学生時代の友人の間でも踊るというキーワードに関しては、ほぼ出なかった。生きてきた時代というよりかは、その時に在住していた地域によるものが大きいかもしれない。今後、社交ダンスに興味を持つとは思えぬため、ダンスという事に関しては一生無縁だったことになりそうだ。。


そんなわたしが、唯一ダンスという文化に触れかけたのが、ダンス甲子園というTV発の一種のムーブメントだった。M.C.ハマー、 C+CMUSIC FACTORYなんてあの番組で使われていた曲を聴くと オヤジたちがジンギスカンを聴いて高揚するのと似た感覚になる。


「制服対抗 ダンス甲子園」のはずが、中期以降は制服などのルールは一切無視され、大本である高校生というルールすら全く守られていなかった事など今となってはどうでも良い。この企画の初期の頃を支えたあのチームについて振り返りたい。


yamakan.jpg

れいかん やまかん とんちんかん

本格派ダンスチームはT-BOYS、インペリアル、L.L BROTHERSとそのチーム名も横文字中心にかっこよさを求めたものが多かったが、それゆえに似たり寄ったりで今はほとんどその名を覚えていない。その点、この「れいかん やまかん とんちんかん」は抜群のインパクトに加え、ユーモアセンスも感じられる。そしていつまでも耳に残る韻をふんだ言葉遊び。ネーミングの才を感じずにはいられない。

どんなメンバ-で構成されていたのか、その後の活動と共に振り返ってみたい。
メンバーは全員で4人だったが、一人はその後芸能活動には携ってなく、現在一般人だと思われるので、伏せさせてもらいます。敬称は年齢的に考えても「~さん」なのですが、当時を思い出す意味でもここでは「~君」と呼ばせてもらいます。

reikannyamakan1.jpg


田中傑幸 (左)

このダンス甲子園の企画初めはL.L BROTHERSをうまくデビューさせるための企画だったという事はL.L本人達も認めている。そんな大会で、れいかん やまかん とんちんかんは第一回・第二回と全国大会準優勝チームであり、L.Lが既に高校生じゃなかった事を考えると、実質的な優勝であったといってもよいと思う。そしてこのチームにとっての田中君とは杉山清貴&オメガトライブの杉山清貴、いや、1986オメガトライブのカルロス・トシキ的存在であったのは言うまでもない。
そのリーダーである田中君は、その後俳優業に転向し、ドラマで今井美樹の弟役として出演していた記憶がある。私の記憶はそこで途切れているため、その後の作品は何があるのかと少し検索してみたが、一発目に出てきたのが、吉田栄作 主演の「代打教師」(名門高校の落ちこぼれ生徒が集まる“Z組”にやって来た熱血代打教師が~)のちょい役と知り、検索の指を静かに止め、コーヒーを飲みながら、これ以上の捜査は痛みを伴いそうなので打ち切ることを決意した。現在はプロのダンサーとして、またその名を広めているようだ。


永田雅規 (中)
ミクスチャー系バンド「JINDOU」として(「遊戯王」「ボーボボ」のOP曲を担当)に参加。日本ゴールドディスク大賞のニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞した経歴を持つ。音楽の道へと進み、実績も残している。


小笠原秀春(右)

リーダーの田中君の存在感が大きすぎたせいか、その他のメンバーの顔すら覚えてない方がほとんどだと思うが、小笠原くんはその後、いいとも青年隊を務めた経歴がある。岸田健作と共に「WithT」を結成し10代目いいとも青年隊として活動。その後の活動は岸田健作の今の所在すらつかめないのに、小笠原くんの現在を知るのはもっと困難そうだ。


結局、ダンス甲子園のビデオ4本を購入するまで熱を入れたが、彼らの唯我独尊なダンススタイルを真似出来るはずもなく、自分の才能の無さを知るまでに3日とかからなかった。そんな事よりも衝撃だったのは、地方の狭い文化で育っていた自分は、学生服の最先端の着こなしはモヒカン頭の鹿島優みたいな短ラン、ボンタンだとてっきり思っていたのだが、それがとんでもない勘違いだった事をツーブロック頭と細いズボンの東京代表だった彼らに教わった。そう、髪型、制服の着こなしもこの頃非常に地域差があり、そのブレを正す役目も果たしていたのです。

天然の向こう側 野性爆弾ロッシー

2007年05月10日 21:13

野球のピッチングに興味を持ち出すと、最初はストレートの球威や変化球のキレを身につけるべく練習を重ねる。ある程度のレベルに達すると、ナックルボール、ジャイロボールといったどこへ飛ぶのかわからない不確定な球に興味を持ち出す時期がある。そう、ドラクエで一時期バカみたいにパルプンテだけを唱える時期があるのと同様に・・。予測不能な動きというものは、人を惹きつける何かがある。

普段、居酒屋で飲んでいる時に旬なお笑い芸人の話で場が盛り上がる事なんてあるだろうか?大抵は身近な職場にいる本人は笑わすつもりはないのに、笑いの種を振りまいている人の話題で盛り上がらないだろうか?同窓会などの昔話でも気づけば同一人物に話題が集中する事が多い。
計算無しで奇跡的な笑いをおこす人物に与えられた称号 それを世間では天然ともいう。


人気番組「すべらない話」の数あるネタの中で、私が一番笑ってしまったのはとても単純な話で、
千原ジュニアが新幹線で東京に到着した際、靖史(兄)を起こすもまだ寝ぼけていて、ホームの改札で新幹線のキップを脇に挟み、読んでいた少年ジャンプを駅員に渡してそのまま通過しようとしたという話だった。どんなに練られエピソード話も、天然の持つ一撃力にはかなわないことがある。

その天然を売りにした芸人は数知れず、陣内智則、よゐこの濱口、板尾などが有名である。だが、山口百恵が「さよならの向こう側」を教えてくれたように、「スピードの向こう側」「ピリオドの向こう側」などまだ見ぬ様々なあちら側の世界が存在するわけで、どうやら「天然の向こう側」が存在することをある男に教わることとなった。


この人物を知ったのはつい最近で、ケンドーコバヤシが深夜の音楽番組でこんなエピソードを話していた時だった。

ある後輩芸人と仕事で東京にいくため大阪駅で待ち合わせしていたが、その人物はトチって現われなかったという。東京についてから電話があり、それが寝坊だったと知りその場で叱りつけたという。するとその芸人は既に新幹線に乗り込んでおり
「スイマセン!1秒でも早く東京に着こう思って、新幹線の先っちょの方乗ってますんで!

すごすぎる・・・当然、誰でも先頭でも真ん中でも新幹線のスピードは変わらないという至玉のツッコミをしたくなるところだが、この発言のすごいところは先頭車両に移動した事によって東京駅についた時に改札口からさらに遠くなってしまい余計遅くなるという2重のツッコミを発生させるのだ。すごいポテンシャルを持った男がいたものだ・・


この芸人の名前を野生爆弾 城野克弥(通称ロッシー)と言っていた。
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彼についていろいろ調べてみると、その地域によってだいぶ知名度が違うようだ。
私は残念ながら「やりすぎコージ」の数回でしか彼の姿を見る事は出来ていない。かつて27時間テレビで笑福亭鶴瓶に「どうでもええんじゃぁ!」発言で、「今までのお笑いの常識が変わった」と言わしめた東野幸治であるが、今度は東野が逆にロッシーに同様のセリフを吐き捨てた。

芸人の間でロッシーワールドと呼ばれるそのエピーソードは他の天然芸人とは桁が違う。



21時がわからなくて1時入り

母校を”僕高”と2007年まで勘違いしていた

尊敬する千原ジュニアの本を2冊買って(同じもの)、どっちから読むか本気で悩んでいた

大阪で外国人にクラブの場所を聞かれて、魚民の場所を教えた。

ダーツのバイトで電卓が壊れてしまい、消費税を客からなんとなくで取っていた(3000円→3500円)

自動改札で左利きのロッシーは切符を左手で入れ、その右側の通路を通ろうとしてひっかかりその理由がわからなかった。

新幹線の中で、車内販売の売り子に 「お茶かコーヒーありますか?」と聞き、「お茶ならあります」と言われると 「じゃあ、いいです」と答えた。


芸人仲間達と食事に出かけようとした際、その場に居る人の人数を数えるときに、テレビの政見放送に映っていた政治家も人数に含めて数えてしまった


どうやら私は、お笑い界のジャイロボールに夢中のようだ。

さんまに学ぶ切り替え力

2007年04月28日 07:04

ブログを書く日は、ドタバタしながら時間との戦いになる事が多い。
先日も、家帰ってからネクタイも外さず勢いで書き上げ、その後、飯、風呂など一通りの事をすますと、時計も既に1時を回り、書いた記事の誤字脱字チェックだけして布団に入ろうと思った。

すると、その記事に一言コメントが付いてるのを見てしまった。もう批判なのか落書きなのかわからない一言コメントで、この手のコメントは残念ながらそんな珍しいことでもないので、いつも通りスルーすることにした。しかし布団に入ったものの、なにを読んでそんなコメントになったのか、自分の書いた記事を無性に読み返したくなった。

しかし、時計を見ると1時半になっている。ブログは仕事ではないわけで、睡眠を優先しないといけない。「鈍感力、鈍感力・・」と暗示をかけるようにつぶやき、布団をかぶった。

だが、それが気になっているのか、なかなか寝れない。まいった・・。結局、読み返すはめとなり、改めて読み返してみると、ますますそのコメントが見当違いに思えた。
最初は丁寧にその批判に応対して書いていたが、時計をみると2時になろうとしていた。たった一言のこのコメントのせいで、こんな時間まで起きる事になってるのかと思うと、最後は結構強めにコメントを返していた。こうなってくると直接関係ない外部要因がますます怒りに火をつけてくるのだ。

次の日、冷静な状態で読み返すと、返信するにも値しない、なんてことないラクガキだとわかった。だが人間怒りに火がつくと、周りが見えなくなっていくものだし、自分でなかなか鎮火はできない。

そんな中、かなり深夜にやっていた「さんまのまんま 総集編」を見て、さんまさんに学ぶ部分が大いにあると思った。


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リトルパンチドランカー山崎邦正

2007年03月28日 21:28

自分のお笑いに絶対的な自信を持ち、決して笑いに関しては負けを認めない松本人志が、
唯一ある人物にはかなわないとラジオで言った事がある。

それは、何かが降臨した時の山崎邦正だという。

若かりし頃の山崎邦正は、本当に神がかっていた。

名古屋の番組にて、雨上がり決死隊が「大吉」「中吉」のおみくじを引き、その流れとして山崎には当然「大凶」のおみくじを引くことが期待された訳だが、そこで実際に引いたのはミスで何も書かれていない白紙の紙であったという。

仕込み無しでの一発ロケ収録で、天性のひきの強さを見せ付ける。

また「いいとも」のゲストとして出演した際、タモリに「何か悩みを言ってください」と言ったところ、突然観客の男が「タモさん、いいともが年内終了するって本当なんですか?」と発言し、生番組が混乱したのも記憶に新しい。


その偶発的なおもしろさばかりが取り上げられがちだが、私は山崎ならではの計算無しの天性のおもしろさがあると思っている。

今でも忘れられない、その才能を示した最もたる例を紹介したい。

それはその昔「ガキの使い」での企画であった
「山崎vsジミー大西 仁義なき犬猿の戦い」である。

毎回前フリとなる激しい互いのバトルシーンがある訳だが、この放送ではジミーが罵倒の最中、
山崎の愛車三菱ミラージュのドアをヘコむほどマジ蹴りした。

考えて欲しい。あなたの愛車がヘコむほどの蹴られたら、どれだけ逆上するだろうか?
普通ならここで「なにしとんねん!」と、ジミー大西を蹴り返すのが常人の反応である。

しかし、逆上した山崎は反射的に我が愛車をジミー以上に強く蹴り
その後にジミーを蹴るという規格外の行動に出たのだ。

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何故、愛車をより強く蹴るという行為を間に挟んだのか?
もう、このおもしろさは文字起こしできません(笑)

ほっしゃんの鉄板ネタである「双子のビンタ」の話にも似た、錯乱中故に起きる人間の奇怪な行動ほどおもしろいものはありません。


この頃の山崎邦正は、ボキャブラでの「リトルパンチドランカー」のキャッチフレーズ通り、他の芸人にない脳を揺らす中毒性を持っていたと思います。


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