1961年4月12日 人類として初めて地球を外から見たガガーリンは、「
地球は青かった」といった。
(´ー`) 宇宙船地球号の乗組員として、環境にやさしくなろうと思った・・
1969年7月19日、初めて月面着陸したアームストロングは、「
ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言った。
(´ー`) 21世紀は宇宙に住む時代が来るのだと、胸の高鳴りを抑え切れなった・・
1998年 5月某日 傷害事件での釈明会見で、記者の「何発殴ったのですか?」の質問に
ワン、ツー・・、 スリー?と答えたアーティストを見た。
( ´ゝ`) 翌年に訪れる1999年のノストラダムスの予言は、間違いなく起こる事を確信した・・
哀川翔、氷室京介 、オール巨人・・芸能界では強さを物語る武勇伝には事欠かないものが数多くいる。しかし、そのほとんどは有名になる前の話で人の伝聞で成り立っている為、脚色が加わり大げさに伝わっていくものである。有名人である彼らが武勇伝を起こした時=傷害事件が発生した時で、最強の称号と引き換えに芸能活動を終焉しなければならない為、その武勇伝の真偽を確かめるのは事実上不可能である。
だが、一人だけ
実際に事件を起こし、その武勇伝を実証してみせた男がいた。その男こそ、
吉川晃司 である。
10年近く経ち、だいぶ風化した感のあるこの事件を、もう一度ちゃんと振り返ってみたい。
当時、この事件の第一報はこのような内容で世間に伝わった。
吉川晃司(当時33)自宅マンションで知人と喧嘩。
鼻骨やろっ骨が折れるけがを負わせ、書類送検された。普通の人ならこの事実をなんとなく覚えている程度だと思います。いや、そんな事があった事を知らないほうが大多数かもしれません。ファンであった私ですら、これを聞いた時は苦笑いする程度でした。
しかし、この事件で後日釈明会見を行った吉川だが、その口から語られた事件の詳細が、後に語り継がれる事となるのです(笑)
<記者会見で明らかになった事実>
・その知人Aさんというのが
元ボクサーであり、一方的に殴ったのではなく、殴り合いになったという点
・冒頭でも触れた通り、「ワン、ツー・・スリー?」の異例の回答と、たった3発で終わらしたという点。
・「泥酔していたといわれているが、それも違う。 自分は『真露』2、3本なら大丈夫。25%ぐらいの酒ならね」と発言。決して酔っ払い同士の泥試合ではなかったという点
この事実を踏まえてわかる事があります。長くなりそうなので先に結論を書きます。
これは素人の喧嘩ではなく、
プロによる仕事だったのです。

射撃訓練する吉川
(PV 「KISSに撃たれて眠りたい」より)ボクシング経験者と殴り合いになったというのに、自分は無傷で記者会見に望み、相手には鼻骨、肋骨を骨折の重傷を負わせ、一ヶ月の検査入院を余儀なくされた。しかもそれはたった3発で2ケ所も骨折させたという仕事ぶりであった。
ここからはわたしの推測(妄想)に入る。
通常、素人同士のケンカで顔面を殴る時は、頬に集中する。人間というものはどこかで恐怖心があるため、眼や鼻という場所はいくら興奮状態でも無意識に避けてしまうのだ。それが常人の喧嘩である。その点、
初弾を鼻に打ち込むとは、愚地独歩なみの実践空手の考え方である(吉川は少林寺拳法の使い手でもある)。そして一撃で鼻を折るほどのパンチであるから、ひねり(回転)と腰(体重)がのっていた事は容易に想像できる。
そして、もっと興味深かったのが肋骨の骨折である。元警視庁にいた経緯を持つ北芝健の書物を紐解いていると興味深い記述があった。取調室などで暴れるヤクザや凶悪犯を大人しくさせるときは、必ず
脇の下をピンポイントに強く殴るというのだ。この理由は簡単で、どんなに強打してもアザが出来ず(証拠を残さず)、尚且つ、吐血を伴うほどの激痛が一瞬で体中に走り、どんな巨体の男でも一発でダウンし、のた打ち回るという。そう、脇の下とは
その筋のプロが好むヒットポイントなのだ。吉川が鼻の後になぜここを狙ったのか?そして、たった3発で仕事が終わった理由は理解してもらえたと思う。
「一方的に殴ったわけではない。相手もボクシングをやっていて、 お互いに腕に覚えがあるから」の釈明からわかるように、Aさんは結果的に被害者になってしまったといえる。普通ならAさんが加害者になっているはずである。その証拠に、重傷であるAさんが自ら110番通報(助けを求める)している。
「ワン、ツー スリー?」発言後、3発のパンチを打つ動作を確認しながら「こう、こう、こう、、、うん、3発殴った」とその事件当時の動きを実際にやってみせた。バキを愛読されている方はご存知の通り、実在しない相手を仮想してイメージトレーニングする方法は、上級者クラスになるとそのあまりのイメージ力に本人以外にもその仮想の相手の姿が見えるという。そう、私は見えてしまったのだ・・。現役時代を彷彿させる渾身のストレートを放つもすでに吉川の姿は視界から消え、驚く間もなく急所を突かれていくAさんの姿が・・
「水中だったら、ヒクソンにも勝てる」とテレビでよく笑いながら豪語している吉川だが、
その笑顔と裏腹に眼が笑っていないのを私は見逃していない。
吉川語録はすべて事実のみを語っているのです。
そう考えると、今から20数年前の彼の芸能界デビューの設定
「
広島から東京湾までバタフライで泳いでやってきた」
(映画「すかんぴんウォーク」(1984年) 冒頭の登場シーンより)これも真実なのです。
- 2007/06/16(土) 19:24:03|
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自分のお笑いに絶対的な自信を持ち、決して笑いに関しては負けを認めない松本人志が、
唯一ある人物にはかなわないとラジオで言った事がある。
それは、
何かが降臨した時の山崎邦正だという。
若かりし頃の山崎邦正は、本当に神がかっていた。
名古屋の番組にて、雨上がり決死隊が「大吉」「中吉」のおみくじを引き、その流れとして山崎には当然「大凶」のおみくじを引くことが期待された訳だが、そこで実際に引いたのは
ミスで何も書かれていない白紙の紙であったという。
仕込み無しでの一発ロケ収録で、天性のひきの強さを見せ付ける。
また「いいとも」のゲストとして出演した際、タモリに「何か悩みを言ってください」と言ったところ、突然観客の男が「タモさん、いいともが年内終了するって本当なんですか?」と発言し、生番組が混乱したのも記憶に新しい。
その偶発的なおもしろさばかりが取り上げられがちだが、私は山崎ならではの計算無しの天性のおもしろさがあると思っている。
今でも忘れられない、その才能を示した最もたる例を紹介したい。
それはその昔「ガキの使い」での企画であった
「山崎vsジミー大西 仁義なき犬猿の戦い」である。
毎回前フリとなる激しい互いのバトルシーンがある訳だが、この放送ではジミーが罵倒の最中、
山崎の愛車三菱ミラージュのドアをヘコむほどマジ蹴りした。考えて欲しい。あなたの愛車がヘコむほどの蹴られたら、どれだけ逆上するだろうか?
普通ならここで「なにしとんねん!」と、ジミー大西を蹴り返すのが常人の反応である。
しかし、逆上した山崎は反射的に
我が愛車をジミー以上に強く蹴り、
その後にジミーを蹴るという規格外の行動に出たのだ。

何故、愛車をより強く蹴るという行為を間に挟んだのか?
もう、このおもしろさは文字起こしできません(笑)
ほっしゃんの鉄板ネタである「双子のビンタ」の話にも似た、錯乱中故に起きる人間の奇怪な行動ほどおもしろいものはありません。
この頃の山崎邦正は、ボキャブラでの「
リトルパンチドランカー」のキャッチフレーズ通り、他の芸人にない脳を揺らす中毒性を持っていたと思います。
- 2007/03/28(水) 21:28:03|
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80年代のJ-POPを語る上で欠かせない存在といえば
男ユーミンとの異名を持つ
大江千里の存在であろう。

大江がデビューした80年代初頭といえば、女子大生ブームが起こった年でもある。関学在籍中にデビューした大江はこの時代の追い風を受けて、「私の玉子(たまご)様」のキャッチフレーズにウソ偽りのないアイドル顔負けの王子様ぶりであった。「十人十色」などのスマッシュヒットなどでその知名度も右肩上がりとなっていった。
そんな最中やってきたのが、
バブル景気であった。
みんながそこそこの金持ちになり、大学に行くことも珍しいことではなくなり、彼の関学出身という売りも徐々に色あせていった感がある。
自分のイメージが時代と合わなくなった事を察したであろう大江は、ここで楽曲を提供することで自分の活路を見いだしていった。
1989年 光GENJIに提供した大ヒット曲「太陽がいっぱい」での売り上げを考えればその戦略は成功といえるだろう。
余談だがこの曲のサビ前のフレーズの
水着をほどいたら 砂がこぼれてく
まぶたのオレンジ 弾ませてごらんの意味が未だに理解できてない
(追記)「まぶたのオレンジ」とは、眼を閉じて太陽の方を見るとまぶたがオレンジ色にまぶしく光っているから とのコメント頂きました。10年来の疑問が解けました。ありがとうございます)
ここで再び流れにのった大江は1991年に50万枚という自身最大のヒット曲となる「格好悪いふられ方」をリリースする事となった。これでミュージシャンとしての磐石の地位を得たように思えた。
しかし!
この年を境に大江のCD売り上げは急降下をたどる事となった。
何が一体あったのか・・
考察するに大江の売りといえば格好悪いふられ方でわかるように
「ダサい僕」を開き直ることで得る女性支持層だったと思われる。
ダサい僕を開き直る・・?
その路線の客を根こそぎ持っていったであろうある男が浮かんだ!
槇原敬之である
奇しくも、「格好悪いふられ方」が発売された91年は、槇原の出世作である「どんなときも」がちょうどリリースされた年でもあった。もはやこれは偶然の一致ではない。
かぶったのだ!あの槇原にダサい僕をテーマで歌われば、説得力の重みが違いすぎる。もう相手が悪かったと諦めるしかない。
その後イメチェンを工作したのか、女性誌の取材で突如「
僕は実は体育会系だった」と言い出したり、
東南アジアに自分探しの旅に出たりと急直下のイメージ戦略に出たものの、時はすでに遅かったようです。
十人十色と自分の中の可能性を求め、ラジオ、テレビなど様々なジャンルへと様変わりをしていった大江千里
ナンバーワンよりオンリーワンと、その枠を守り続けている槇原敬之
どちらが正解なのかは、今後の2人の活動を見守って行きたいと思います。
- 2007/01/29(月) 22:46:57|
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私が古舘伊知郎という人物の魅力を思い知らされたのは、夜ヒットスタジオでTM NETWORKを「
歌う日米半導体摩擦」と例えた時だった。
未だに意味はさっぱりわからないが、雰囲気はなんとなく伝わる絶妙な例えだったと今でも思う(笑)
そんな古舘さんの著書に書かれてあった実践に使える話術を、一部紹介させてもらいます。
■本音を引き出す為におしゃれカンケイに江川卓がゲストとして出演した際、当時週刊誌で話題になっていた「江川は女房をよく殴る」というウワサについて真相を聞き出したかった。
古舘「江川さん、奥さんと初めて会った時の印象は?」
江川「昔の事だから忘れましたよ」
古舘「どこに魅力を感じられたんですか?」
江川「魅力なんて別にないですよ 今も」
と、のらりくらりで話の核心に入れない。そこで古舘さんは
古舘「江川さん、僕は女房とケンカして殴っちゃたら、
その後のフォローはSEXですよ!」
江川「(警戒した表情で)あのですネ、いろんなところで僕が女房を殴るなんて書かれてるけど、そういう事に関してもどうのこうの言われても・・」
古舘「僕にSEXとまで言わせておいて逃げるのですか!女房はこういう事をTVで言うのは当然嫌がるんですよ。あえてそれを言ったんです。もう一度言います。ウチの場合はズバリSEXです!」
こう言ったら、江川さんは笑い出し、打ち解けた表情でこう語ってくれた
「昔は時々殴りましたよ。でも女房は殴られ強いというか、一度オレンジをぶつけたことがあります」
この場合、人間の心理としてうちはSEXではないと否定したいが為に、無意識にその前段のケンカの話をスラスラ喋りだしたという例である。
白々しくもいいから自己犠牲の精神でトライしてみる。それでも相手が逃げようとした時に初めてやんわりと突っ込むと、向こうも多少後ろめたさを感じて折れてくれる。
心理的なギブ・アンド・テイクが働くのです。
■苦手な相手に対して苦手な相手には逆に避けずに懐に飛び込んでいくという手法
アントニオ猪木は異種格闘技戦でボクサー相手に対し、あえて積極的に顔を全面に出していく事で相手の心理的なスキをついて関節を決めるという。水商売でもよく触ってくる客に対して、自分からグっと距離をつめてももとももがあたる距離まで近づき、自分の右手を相手のももに置くとそれ以上は絶対に近づいてこないという。
一を提供して九の災害を免れるである。
これは話術にも使え、相手が学者や教授など専門分野に長けている相手と話さないといけない場合、最初に「すいません。ボク全然おたくの事を知らないんですよ」と、いきなり至近距離で突っ込んでいき、「でも教えてくださいよ、この際」と思い切って丸腰になってみる。相手は「知らない」と言われればムっとなるが、「教えてください」「お願いします」とくると相手はパンチが出せなくなるのだ。「知らなくてすいません」と言いながら時折「前から思っていたんですが○○の問題についてはどう思われますか?」との質問を混ぜると、相手は錯覚して(こいつ全然知りませんと言いながら、前々からその質問をしようと楽しみにしてたんじゃないか)と勝手によい方向に解釈するというのだ。
苦手な相手を迎えたときこそ、思い切って相手の胸に伸び込んでいく捨て身の策が、逆に最大の防御策になるのだという。
■お世辞上手 お世辞下手普段から誉められる事に慣れてしまっている、プロスポーツ選手や歌手に対して「MVPおめでとうございます」や「○○賞おめでとうございます」という言葉はかえって相手に白々しさを与えるという。そこで
「
あなたがここにいるから言うわけじゃないんですけど・・」
「
本人を目の前にして言うのもなんですが・・」
と枕詞をつけるだけで、ヨイショの内容は同じなのにそれまでガードの固かったゲストも積極的に受け答えしてくれる様になったという。
ストレートに相手を誉める事が白々しいと取られそうなときは、
逆にわざと白々しい前置きをする事によって中身のセリフを際立たせる事が出来るという。
枕詞の中でも一般人でも使えるのは「
イイ意味で」とのフレーズだと思う。
(例) 「イイ意味で生意気な小娘だったのですね」
「だけど君だってイイ意味で世間知らずだ」
簡単に使えて、かつ険悪なムードを抑止するフレーズである。
野球の江夏さんがゲストに出た際、中学時代意地の悪い先輩の仕打ちにたえかねて怒りを爆発させたエピーソードを聞きたかった時に
江夏「・・・それでこっちも冗談じゃない!この野郎とムカっときて・・」
古舘「殴ったんですか?」
江夏「いや、殴ったちゅうか、相手がむちゃくちゃするから・・」
古舘「
イイ意味で殴ったのですね?」
江夏「はい」
「イイ意味で」は、あらゆる場面に活用できる枕詞なのです。
■好印象が残る捨てセリフ古舘さんがサラリーマン時代に嫌いな上司に一時間説教された時の話
その上司は自分が話し上手と信じ込んでいて、「こういうときはこうなんだよ」とやさしく致せり尽くせりで説得にかかり、最後に「これだけ言えばわかっただろ?」と言われ「
はい、真綿で首をしめられるようによくわかりました」と答えてしまい、会社初まって以来の箸にも棒にもかからないやつと言われたらしい。
その失敗から、どういった捨てゼリフが好まれるのかと研究したという。
そこで目をつけたのが、ニュースステーションの久米宏がコマーシャルの前に入る2,3秒で言う「さあ次はプロ野球です。
あー巨人が負けてよかった」だという。彼の捨てゼリフは大々的な予告編になっており、これは捨てセリフではなく、キチント計算された立派な話術だという。
また、徳光和夫がニュース番組で自分の伝えたばかりのニュースを「でもそんなのおれわかんないよ」とさらりと本音を言う捨てセリフにも、計算というか人柄のにじませ方が実に巧みだという。
■中継法女の子に「”今度飲みにいかない?”なんて今どき、こんな野暮っぽい誘い方をするヤツいないよね」と言っておいてから、即座に「飲みに行かない?」と聞きなおすとかなり違った印象になる。女は「何?それ?(笑)」と笑うので、とりあえずその場はほぐれる。自分のしゃべっている言葉を、
あたかも第三者がみているような客観的な形で釈明する「中継法」をあみだした。
「要するに」が口ぐせの人は「要するに・・・なんて何が要するにかわからないけど・・」とダサい自分を中継する事によって客観的に自分を見直すという効能がある。
自分の事は誰よりも自分自身が一番熟知しているのである。自分はダサいですよという態度をみせれば、意外とすんなり受け入れられる事が多いのです。中継法とは、相手に自分の弱点を察知される前に自分から先に弱みをさらけだして、ダサい自分を帳消しするのだ。
参考文献 :
喋らなければ負けだよ古舘 伊知郎
- 2007/01/18(木) 21:15:39|
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NSC(吉本総合芸能学院)は現在29期生まで在籍し、その間数多くの芸人を生み出してきた。
豊作、不作の年というものが存在するが、その中でも8期生の卒業生は異色の組み合わせとなっている。
NSC第8期生
千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎3組とも追求するお笑いの方向性は全く違うが、それぞれにお笑い玄人なコアなファンを持つ事で有名な3組である。
「テレビタレントではなく芸人でありたい」と公言するバッファロー吾郎の一般ウケを全く無視したネタが好きだ。
天素時代のFUJIWARA原西のインパクトは今でも忘れられない
元ジャックナイフ芸人 千原Jrがジワりジワりと勢いを増している。
しかし、所詮、
千原靖史の顔イジりには勝てないという事実がある(笑)

千原靖史はスタイルが抜群であるにも関わらず
その神がかった顔イジりは、何年経っても鉄板です(笑)
ホクロの位置がマリリン・モンローと同じ世界で一番前髪が短い通りすがりのノラ犬に二度見された結局は原点回帰という事で(笑)
- 2006/12/22(金) 20:04:38|
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もっともファッションに情熱を注ぐ高校生の頃(90年代前半頃)に、とても迷惑なものが流行った。
フェミ男である。
この言葉の定義はよく知らないが、私の中では女の様なファッションをした男としか理解していない。
薄化粧、細眉、ピチTなど気持ち悪い男を増殖させ、終いにはスカートを履く男まで現れる始末だった。
この迷惑なムーブメントを牽引していったのが、
武田真治 いしだ壱成 であろう。
特にいしだ壱成はドラマ「放課後」(1992年)で、観月ありさと男女が入れ替わる設定で体は男、心は女を演じ、このヒットが彼の俳優としての方向性を決めてしまった感がある。
このムーブメントの危険性を自身が作詞を手がけたデビュー曲で予言していたのだ。

デビュー曲
WARNING woo-oh--
this is warning
woo-oh--
I'm telling you my warning
サビで繰り返し唄われるこのフレーズは、当時何を警告しているのかさっぱりわからなかったが、
いしだは10年の月日をかけながら身をもって我々にその警告を示してくれたのである。
THE BIG BAND!! 結成
2001年、大麻・LSD所持で逮捕
2003年、俳優復帰とともに、できちゃった婚。
2006年、離婚
残念な父親
- 2006/11/23(木) 15:11:07|
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藤田 晋

1997年 青山学院大学経営学部卒業、株式会社インテリジェンス入社。
1998年 インテリジェンスを退社し、同社の出資を受け、株式会社サイバーエージェントを設立、代表取締役に就任。
2000年 史上最年少26歳で東証マザーズ上場を果たす。
2004年1月27日 女優の奥菜恵と結婚(翌年7月22日に離婚)。
2006年4月18日 東京ヴェルディ1969を運営する日本テレビフットボールクラブの副社長に就任。
私が藤田 晋という人物を知ったのは2000年の史上最年少でマザーズ上場した時で、
フジテレビが密着取材をした時のものだった。
当時の藤田氏は短髪細身で今とだいぶ風貌が違っていた。

インテリジェンスを退社してサイバーエイジェントを立ち上げるまでのスピード出世ぶりと、史上最年少での上場に至る華々しい経歴が紹介されていた。
何より私を含め視聴者を釘付けにしたのはこれではなかっただろうかか。
「
週110時間労働 月440時間」
(平日18時間労働、土日12時間労働)(注)
当時新入社員だった私は平日14時間労働、土日は休みありの週70〜80時間労働ながらもうヘトヘトで、時間的には自由だった学生時代からの変貌ぶりの生活に嫌気がさしていた。そんな時に週110時間なんて数字と藤田氏の輝かしい経歴をみて、時間拘束でグタグタ言ってる自分に喝を入れられた気がした。
藤田氏の発言
僕は“ハードワーク”が、20代で急成長するためには重要だと考えます。創業期は自分も社員も「週110時間労働」を課していました。僕だって長時間労働がいいこととは思っていません。しかし、当時は仕事に没頭する時間を増やすことで、周到な準備をしてお客様を訪問していました。その努力は相手に伝わり、「一生懸命やっているから仕事を任せてみよう」という気にさせたんです。そうやって得たチャンスで結果を出すと、次の仕事につながる“インフレスパイラル”ともいうべき好循環を生み出せるのです。
僕は20代前半のとき「一度限りの20代、後悔しない生き方をしたい」と強く願いました。20代は人生の中でも、1番輝いている時代。それを思いっきり駆け抜けたから、最高の20代が過ごせたと確信しています。僕の場合、いいことも悪いこともたくさん経験しました。それはたくさん打席に立てば、ヒットも凡打も多いのと同じこと。それでも打席に立ち続けることが自分を成長させます。必要なのは数多く打席に立とうとする“ちょっとの勇気”です。
当時はなんだかわからないが心を打たれた。
単純な私は自分の努力が足りないのだと思った。
拘束時間への賛否はおいて、私の打ちひしがれた心に活力を貰ったのは事実です。
この当時23歳だった私は3年後の26歳という年齢に何の目標もなく、
尾崎が亡くなった歳ぐらいにしか考えてなかったがひとつの目標を貰った気がしました。
私よりちょと上の世代の方は矢沢 永吉の「成り上がり」などでサクセスストリーを夢見てきたと思います。
私の世代は「不況」という言葉のみを聞き続けサクセスストーリがあまり無く、
この当時出版された藤田氏の本の「ジャパニーズ・ドリーム」を読み、私は不況時代の成りあがりを感じてしまったのです。
間を中略させてもらいますが、藤田氏も2000年の華々しい上場以降は苦難の時代がしばらく続いた。私の中で勝手な理想的な藤田像が出来上がっていて、彼のその後の経営方針、私生活は何度か首をかしげてしまう事もあった。しかし、一度消えかけた火をまた灯したのも事実であり、今なお注目される人物であるのは間違いない。
私は藤田氏が平成の成り上がりなのか、今後も見届けていきたいと思います。
(注)私は長時間労働を推奨している訳ではありません。
また藤田氏の経営方針には賛否両論あるのは承知しております。
この記事は新入社員当時ITバブルに魅せられた
私の主観で見た藤田氏を書いたものでのでご了承ください。
- 2006/09/04(月) 23:08:25|
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先日車の運転中に松本人志のラジオをきいていたのだが、
以前放送した「ガキの使い」のある放送分の舞台裏の話をしており、
それが 久々に声をだして笑ってしまったので、ちょと紹介 。
(記事元 松本人志の放送室)
その放送とは93年頃に放送しており、ゲストを招きトークを行うのだが、その際ゲストを何回叩いたかで点数を競い合った「叩いてさあ何点?」である。 このコーナの裏テーマは本当にゲストには秘密にしていたらしく、いかにして大物ゲストを蹴ったり、靴を放り投げたりと
どれだけより失礼なことを出来るかを競っていた。和田勉、ガッツ石松、志茂田景 加賀まりこなど匆々なメンバーが犠牲となったが、この裏話は大島渚の誕生日パーティーでマイク振り下ろしを喰らわした事でも有名な暴れん坊「
野坂昭如」が出演した際の話だった 。
さっそく野坂氏に対し、いつものようにまずビンタをかます浜田
ここで今までのゲストとは違い、
反射的に強くはたき返す野坂
本気でムカっときたようで、オマエ呼ばわりになり
本気のグーパンチもかます
浜田にもガソリンが投入され、火がつく
終には、本気で揉めだす二人w
(ここから放送されなかった部分)
松本 「もう結局普通に殴り合いになったからねw」
松本 「
遂には腹までを殴りだして、野坂さんが「うぅ!」と唸るほどだったんよw」
松本 「アカンアカンアカン・・・と思いながらもおもしろかったのが
(ここまでマジ喧嘩になっておきながら)
なぐる順番がちゃんと交互やねんw」
高須 「そこはルールがあるんやw」
松本 「そう、ちゃんと交互やねん」
高須 「かろうじて番組やとはわかってるんや?」
松本 「一応わかってたみたい。
スタッフも「はいOK」の声で、一応殴り合いを止めるやんか。
その後、つかみ合いにでもなるのかと思ったらそうでもないんよ」
松本 「でも、「あ、お疲れ様」みたいな事は一応お互い言うんやけど 、
それが微妙な感じなのよ」
(野坂さんは)「
え?何?」
「
結局喧嘩やんのか?」みたいな感じで
(浜田は) 「
お疲れ様でした・・・・やん・・な?」
「
場外乱闘いく? いかない?」 みたいな感じなんよw
松本 「そんな事があったせいか映画の『
火垂るの墓』を観ると笑ってしまうんよ。
(火垂るの墓は野坂氏が書いた小説 兄役は野坂氏本人)
松本 「こんな悲しい事があった何年後かに、浜田と殴り合いするのかと思うとおかしくておかしくてw」
高須 「あんな妹思いの野坂さんが・・(大爆笑)」
- 2006/08/21(月) 23:41:35|
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先日バラエティ番組のベタドラマというワンコーナーで
加勢大周を10年ぶりぐらいに見た。

1990年代前半には吉田栄作、織田裕二と共に「トレンディ御三家」(平成御三家とも)呼ばれ、
ドラマや映画の主役をやっていた彼は何が原因で落ちぶれていったのか?
そこには三つの矢(出来事)が原因だっとと考えられる。
1990年 映画「稲村ジェーン」で
3万人のオーディションから選ばれ華々しくデビューした加勢大周
最高のデビューながら、皮肉にも一つ目の矢はこのデビュー作である。
稲村ジェーンは「世紀の話題作」でもあり、「
世紀の駄作」となった。
詳しくは
「真夏の果実」の光と影 いきなりつまづいたいたものの期待の大型新人だけあって、メディアもそう簡単に見捨てたりはしなかった。直後のTBSドラマ「ADブギ」で主演をはり、これが大ヒットとなり株を持ち直す。
そんな矢先におきた2つ目の矢が
「新・加勢大周」問題

加勢大周の独立をめぐり同タレントと専属契約を結んでいた広告企画会社が同タレント側を相手に「勝手に芸名を使って活動してほしくない」などとする訴訟を東京地裁に起こし、「新・加勢大周」(注1)をデビューさせて対抗した。
本人に非があるとは思えないが、タレントにとして崖っぷちの状況に追い込まれた。
とどめとなった最後の矢は覚えている人がいるかも不安だが、
「パ★テ★オ」 (1992年)の大コケである。

PART1とPART2はテレビ放映され、完結編となるPART3が劇場公開されるというマルチミックス形式での公開。踊る大捜査線みたいにヒットしてから映画化ではなく、最終話が映画館と初めから決まっているTVドラマを一体誰が観るのか?フジ局内でどんな戦略会議がなされたのか理解できないが、社運を加勢大周に託す事となった。
宣伝は大々的にアピールしたものの予想通り見事に大コケで終わる。
その後まだ脇役だった共演者達に(鈴木京香・江口洋介など)あっという間に追い抜かれる。トレンディ路線じゃ活路を見出せないと判断したのかドラマ「人間失格」で柄にもない変態教師役を熱演するが、それも彼のキャリアとして何も評価される事とも繋がらず、そのまま絵に描いたような落ちぶれ方をみせ、Vシネマへと消えていったのです。
- 2006/08/15(火) 22:14:20|
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オヤジの世代と言えば 「巨人」 「大鵬」 「卵焼き」 だが
我々の世代で男だと 「ガンダム」「
ジャッキー」「ビックリマン」だろう。
このブログを書くにあたって避けては通れない
成龍
個人的なジャッキーの思い出を語るととても長くなってしまうので
ジャッキー・チェン自身が選んだスタントBEST10で振り返ってみたいと思う。
<ジャッキー自身が選ぶスタントBEST10>
10位 『プロジェクトイーグル』
バイクで海上の網ジャンプしがみ付き。
9位 『五福星』
ローラスケートで車上ジャンプとトラック下くぐり。
8位 『サンダーアーム/龍兄虎弟』
断崖絶壁からのダイビング。
7位 『クーロンズアイ/九龍の眼』
バスでの格闘シーンと前後!
6位 『プロジェクトA2』
ラストの大壁が倒れすれすれで当らない。
第5位
『フーアムアイ』
<ビル屋上から21階滑り降り>


命綱無しでこんな事が出来る時点でもうお腹いっぱいですが、見せ場はこの後となる。

この40度はあろうかという斜面をスベって下る。

・・・・・・・
これが5位ですか?(笑)
第4位
『ポリスストーリー3』
<ヘリコプターのハシゴに捕まって空中遊泳>

命綱無いよね・・・
頭のどの糸を切ればこんな事ができるのか・・
■第3位
『プロジェクトA』
<中盤の時計塔の文字盤からの落下シーン>

まず人間が20メートルの高さから落下したにも関わらず、無傷なのが理解できない。
リプレイで繰り返されるスロー映像だと不思議と安心して見れるが、
最後に等倍のスピードとなると、もはや飛び降り自殺と変わらないほど衝撃的な映像となる。
NG集での落ち方はもはや事故です。
■第2位
『ポリスストーリー/香港国際警察』
<デパート内のポール滑降>
あのジャッキーをもってして飛ぶのを本気で躊躇させた本シーン
まだ心の決心がつかない内に本番が急に始まり、12台のカメラが回っている状況にもう死ぬしかないと思ったそうで、飛ぶ前の「はっ!」と下るときの「ひやぁぁぁぁー」という生声はジャッキーの
本気悲鳴だったそうな(ジャッキー談)

しかも実はこれ2回飛んで、大ヤケドを負っている。
飛んでから後の記憶は全く無いそうです。
■第1位
『ポリスストーリー/香港際警察』
<集落を車3台で横断>
何テイクか撮ってそれを繋ぎ合わせて編集してるのかと思いきや、一発本番です。
観た方はわかるかと思いますが、これ死者でてるでしょう?(笑)
<
ジャッキー・チェン本人が選んだバトルのベスト10>
■第10位 『プロジェクトイーグル』 ラストでの巨大タービン前でのバトル。
■第9位 『ヤングマスター』 ストのウォンインシックとのロングバトル。
■第8位 『プロジェクトA』 序盤酒場でのユンピョウとの大乱闘シーン。
■第7位 『サンダーアーム/龍兄虎弟』
ラストの僧とアマゾン女族戦
■第6位 『クーロンズアイ/九龍の眼』 公園での遊具を使った戦い。
■第5位
『サイクロンZ』
ラスト麻薬工場でのベニーユキーデとの戦い


相手役のベニーユキーデについては、1位でまた出てくるのでその時に詳しく述べましょう

最後決め技で華麗な180度キックがあるのですが、よく見れば全く別人がスタントしてます(笑)
この辺もご愛嬌ということで
■第4位
『ドランクモンキー酔拳』
殺し屋 鉄心との戦い。



ジャッキー・チェンの日本初公開作 邦画「トラック野郎」との2本立で当時の扱いの低さがわかる
一撃必殺型のキレのいい体技をワンショットで見せるブルース・リーに対し、ジャッキーのクンフーは
一定のリズムを刻む伝統的なクンフー映画のスタイルで本作で世に知らしらさせる事となる。2連続、3連続の複雑な動作のカットを細かくつなげることで、超絶的な連続技を画面に展開してみせる事が出来る
■第3位 『酔拳2』
ラストでの工場での格闘シーン

ヌンチャクみたいに動く足技に注目
この人はロウ・ホイクォンと名で、成家班(ジャッキースタントチーム)のエースである。
この後、ジャッキー映画で足技が多くなったのはこの人の影響と言われている
■第2位 『ポリスストーリー/香港国際警察』
デパートでのバトル

唯一個人バトルでない本シーン
デパートならではのエスカレーターや商品棚を使い、ひたすらガラスが割れるのが特徴でそのアクションは圧巻 。殴られる前に防御をするなど不自然なしぐさを嫌い、カンフーアクションの華麗な技ではなく終始ラフファイトに徹しています。
■第1位 『スパルタンX』
ジャッキー対ベニーユキーデ

ジャッキーファンなら誰もが認めるベストバトルでしょう!
この
ベニーユキーデという人物
格闘技好きなら誰でも知ってる有名人ですが、ご存知ない方の為に簡単に説明すると
WKA世界ライト級チャンピオン
マーシャルアーツ世界王者

ベニーユキーデ セルフディフェンス[ビデオ]
国内でも数多く試合をこなし、日本の知名度も高い。
故橋本真也も彼に憧れてパンタロン姿になったと言われている。
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蹴りの風圧だけで6本のロウソクを消す
彼の繰り出すパンチはヒョードルを彿とさせるほど体重が載っていおり、その上素早くキレがある。
明らかに他映画のバトルとは異なり、高度な技の応酬となり緊張感がみなぎります。
ワイヤーアクションが主なジャッキ映画でもこのバトルではほとんど見受けられません。

ジャッキー自身が語ってるのですが、彼の映画では寸止めはせずに実際に当てるという事で
(外人は鼻が高くすぐ折れるので、その場合は寸止めにするらしい)
本バトルでも寸止めどころか本気で殴り蹴っております。

前半戦 歯が立たないジャキー

お得意の変則パターンで突如イスに座って休憩をする(笑)
このバトルは見所がたくさんあるのですが、私はこれを選んでみました。


ちょと画像ではわかりにくいかも知れませんが、
カウンター回し蹴りって奴ですかね。
マンガでしか見たことありませんが、実際に見るとこれほど美麗な技はありません。
まさに自他とも認めるベストバトルだと思います。
- 2006/08/14(月) 23:44:43|
- 懐かし人物
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